天山広吉の名言15選|35年の言葉と出典【8.15引退】
※本記事はプロモーションを含みます
2026年8月15日(土)、両国国技館。天山広吉さんが、最後の試合を終えました。観衆7,777人・超満員札止め。9分22秒、小島聡選手のラリアットでの決着でした。
「天山広吉の名言が読みたい」
「試合の前に、あの人が何を言ってきた人なのか知っておきたい」
そう思ってここに来た方へ。この記事は、天山広吉さんご本人が公の場で口にした言葉だけを15、出典つきで並べたものです。ネットに転がっている「名言風のフレーズ」は、出典が取れなかったものを全部落としました。だから数は多くありません。そのかわり、全部本物です。
結論:天山広吉さんの言葉は「強がらない」のに折れない
- 引退理由の言葉は「体が痛いから」ではなく「対価として見せられる自信がなくなった」——最後まで客席側から自分を見ている
- 復帰戦では「自暴自棄になったこともあった」と弱さを先に出し、そのうえで「もう1回、天山広吉を花咲かせたい」と言い切った
- 35年の総括が「奇跡に近い」「プロレスラーになれて良かった」。自慢が一言も入っていない
- 引退前日までの最新コメントは「しっかり花道を飾りたい」(2026年8月12日)
この記事に載せた15の言葉は、すべて発言日・媒体・URLを明記しています。確認できなかった“名言”は載せていません。
🐄 (小声:営業を20年やってきて、「自信がなくなった」を人前で言える上司に、私はほとんど会ったことがありません)
📌 言葉ではなく技のほうを探している方は 天山広吉さんの技一覧・必殺技 に8+1で一覧化しています。
この記事でわかること
- 天山広吉さんの名言・語録15(発言日・場面・出典URLつき)
- 2026年5月11日の引退記者会見で語られた言葉のほぼ全部
- 2010年、1年3カ月ぶりの復帰戦で絞り出した一言
- 小島聡選手・中西学さん・蝶野正洋さん・飯塚高史さんについて語った言葉
- 2026年8月15日の引退試合を映像で見届ける方法
掲載したのは天山広吉さんご本人の発言として、報道機関・公式媒体が伝えた言葉だけです。まとめサイトで広まっているが一次寄りの出典が確認できないフレーズは、どれだけ有名でも載せません。試合前のご本人の心境を、こちらで勝手に想像して書くこともしません。
【2010年】谷底から言った言葉
35年のうち、天山広吉さんがいちばん深く沈んだのは2009年から2010年にかけてです。
2009年8月、脊柱管狭窄症と右肩亜脱臼で無期限欠場。同年9月に頸椎後縦靱帯骨化症の手術。さらに右肩腱板断裂も判明して再入院。首も肩も腰も、という状態でリングから消えました。
そして2010年11月18日、1年3カ月ぶりに帰ってきます。そのとき出てきたのが、この2つです。
名言1|「自暴自棄になったこともあった」
──天山広吉さん(2010年11月18日『NEVER.4』復帰戦後/スポーツナビ)
復帰の日、いちばん最初に出てきたのがこれです。「頑張りました」でも「支えてくれた皆さんのおかげです」でもなく、自暴自棄。
私はこの言葉の順番に、いつも唸ります。普通、復帰会見って美しい話から入るじゃないですか。この人は崩れていた自分を先に出した。
営業の現場でも同じことが言えます。数字が落ちた部下が戻ってきたとき、いきなり「これから頑張ります」と言われても正直しんどい。「一回どうでもよくなりました」と言ってくれたほうが、こっちは信用できる。そこから話が始まるからです。
名言2|「ここからもう1回這い上がっていきたい。もう1回、天山広吉を花咲かせたい」
──天山広吉さん(2010年11月18日/スポーツナビ)
自暴自棄の直後に、これです。
注目してほしいのは「もう1回」が2回入っているところ。這い上がるのも、花咲かせるのも、この人にとっては初めてじゃない。39歳。すでにG1を3回獲って、IWGPも巻いて、一度は頂点に立った男が、そこからもう一度言っている。
そして実際にやりました。この復帰のあと、天山さんはIWGPタッグ王座に何度も返り咲き、2015年にはNWA世界ヘビー級王座まで獲っています。40代の戴冠です。
🐄 (小声:私が39歳で「もう1回花咲かせたい」と言ったら、家族に「まず健康診断の再検査に行け」と言われます)
天山さんの技と全記録は 【闘魂列伝㉚】天山広吉さん|モンゴリアンチョップと共に35年 にまとめています。
言葉の本編に入る前に、1本だけ映像を置いておきます。新日本プロレス公式が公開した、35年のヒストリー映像です。これから並ぶ言葉が、全部この35年の中から出てきたものです。
📺 【ヒストリー】猛牛・天山広吉さん ー激闘、友情、感動―35年の歴史(新日本プロレス公式)
【2026年5月11日】引退会見という、いちばん長い語録
ここからが本編です。2026年5月11日、都内で棚橋弘至社長とともに開かれた引退記者会見。ここで天山広吉さんは、35年ぶんの言葉を出しました。
あの日を振り返って読み返すなら、まずこの会見です。
名言3|「私はこれで引退するっていうふうに自分で決めた」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/スポーツナビ)
言い回しはまったく決まっていません。「〜ですけども」が2回続いて、文章としては崩れています。
それでも「自分で決めた」だけは、はっきり入っている。
引退というのは、契約の話でもあり、会社の話でもあり、体の話でもあります。逃げようと思えばいくらでも主語をぼかせる。「会社と話し合った結果」でも「医師の判断で」でも通る場面で、この人は「自分で決めた」と言いました。
営業部長として翻訳すると、これは責任の引き受け方の話です。決定の主語を自分にできる人は、強い。
名言4|「お客様に高いお金を払ってもらう対価として見せられる自信がなくなった」
天山さんの引退理由として、いちばん多く引用されているのがこの言葉です。全文はこうです。
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/デイリースポーツ)
私はこの記事を書くにあたって全部の発言を並べましたが、一番刺さったのはやっぱりここです。
理由が「体が動かないから」ではないんです。「お客様が払った金額に見合うものを出せないから」です。
主語がずっと客席側にある。55歳、難病の手術明け、1年以上の欠場。誰も文句を言わない状況で、この人はチケット代のほうを見ていた。
これは商売をしている人間には、けっこうきつい言葉です。私は運送会社で営業をしていますが、「今日の自分は、もらっている金額に見合っているか」を毎朝チェックしている人間が、世の中にどれだけいるか。少なくとも私は毎朝はやっていません。
プロレスラーの引退理由は「体の限界」と語られがちです。でも天山広吉さんが言ったのは「価値の限界」でした。体は最後の理由ですらない。ここが、この人の35年の基準そのものだと思います。
名言5|「右も左もわからない新弟子として入門してからここまで来たのは奇跡に近い」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/デイリースポーツ)
35年、IWGPヘビー級王座4度戴冠、G1 CLIMAX優勝3回、IWGPタッグ王座は歴代最多。その人の総括が「奇跡に近い」です。
実績を1個も自分の手柄にしていない。
これ、けっこう珍しいことです。功績のある人ほど、引き際に「自分がやってきたこと」を語りたくなる。でも天山さんの35年の要約は「なれて良かった」でした。獲ったものの話ではなく、なれたことの話。
🐄 (小声:私の定年時の一言はたぶん「よく19年もクビにならなかったな」です。奇跡の方向性が違う)
名言6|「嫌なことばっかりありましたね。新弟子時代は」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見・一問一答/デイリースポーツ)
「良い思い出ばかりです」と言わないところが、この人です。
橋本真也さん、獣神サンダー・ライガーさん、長州力さんが全員バリバリの時代の道場。1990年前後の新日本プロレスです。想像するだけで胃が痛くなる環境で、そこを「嫌なことばっかり」と、35年経った引退会見で正直に言う。
そしてこの言い方には、亡くなった橋本真也さんへの「今は亡き」という一言がちゃんと入っています。嫌だった時代の話をしながら、その時代にいた人の名前を先に呼ぶ。この順番に、この人の人柄が出ています。
なお集英社オンラインのインタビュー(2026年8月14日)では、入門直後に一度逃げ出したことがあることまで、本人が率直に明かしています。盛りもしないし、隠しもしない。
名言7|「やっぱり新日本が一番だと思って、この業界でやってきている」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見・一問一答/デイリースポーツ)
新日本プロレス一筋35年。同世代の選手が移籍やフリー転向で活躍を広げていった時代に、この人は一度も動かなかった。しかも「動かなかった」ではなく「考えたこともなかった」です。
嫌なことばっかりだった道場のある会社に、35年いた。矛盾しているようで、していません。嫌なことがあった場所こそ、自分が作られた場所だからです。
私は転職を経験している側の人間なので、正直この言葉には少し眩しさを感じます。ただ、営業を20年やってきて分かるのは、1社にいる強さと、動く強さは別の筋肉だということです。天山さんのは前者を35年鍛え続けた結果です。
名言8|「痩せたってよく言われるのはめちゃくちゃムカつくんですよね(笑)」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/デイリースポーツ)
会見という場でこれを言えるのが、天山広吉さんです。
心配されるって、実はしんどいことなんですよ。相手に悪気がないぶん、返しようがない。それを「ムカつく」と(笑)付きで返した。湿っぽくさせないための、たぶん一番うまいやり方です。
「天山広吉 痩せた」で検索した人向けの整理は 天山広吉さんの現在|痩せた理由・長期欠場から引退決断まで に、公表情報だけでまとめてあります。
名言9|「リング上に裸でタイツ一丁で出たいので、またしっかり体を鍛え直してやっていく」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/デイリースポーツ)
これが個人的なベスト1です。
引退が決まった人の言葉です。もう防衛も挑戦もない。それでも「あの体で出たい」と言う。天山広吉さんにとって、あの厚みはコスチュームじゃなく35年かけて作った看板だったということです。
そして3か月後の2026年8月12日、東京スポーツの取材にこう答えています。
──天山広吉さん(2026年8月12日/東スポWEB)
5月に宣言して、8月に「増えてきている」。やると言ったことを、55歳が、手術明けの体で、3か月でやりきった。8月15日にリングへ出てきたのは、その体です。
名言10|「新日本でやってこれて本当に幸せです。あともう1試合、身体を作ってしっかりと試合できるように頑張ります」
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/スポーツナビ・見出しより)
会見のまとめとして、複数の媒体が見出しに取ったのがこの言葉です。
「あともう1試合」。
35年で、何試合やったか分からない人です。その最後の1試合を、キャリアの総量ではなく「あと1」という数え方で語った。ここまで来ると、残りの試合数って、そのまま残りの人生の一部みたいなものです。
その「あともう1試合」が、2026年8月15日でした。そして天山さんは、その1試合を戦い切りました。
名言11|「『いっちゃうぞ』かな……」
会見では引退試合の相手についても聞かれました。当時はまだ発表前で、天山さんはこう答えています。
──天山広吉さん(2026年5月11日 引退記者会見/プロレスTODAY)
名前を言わずに「いっちゃうぞ」。小島聡選手の代名詞「いっちゃうぞ、バカヤロー!」のことです。
会見の場で、フルネームではなく決めゼリフのほうで呼ぶ。2人の距離感が、この一言で全部わかります。「小島聡選手です」と言われるより、よっぽど重い。
小島選手側の35年は 【闘魂列伝㉛】小島聡|“剛腕”ラリアットと「いっちゃうぞ、バカヤロー!」、2人のシングル対決史は 天山vs小島のシングル名勝負 にまとめています。
【2026年5月12日】家族について語った言葉
会見の翌日、東京スポーツのインタビューで家族の話をしています。ここが、たぶん一番「人間・天山広吉」が出ている場所です。
名言12|「輝いて〝夏男〟と言われていた時代の天山広吉を息子に見せてやりたい」
──天山広吉さん(2026年5月12日/東スポWEB)
「夏男」というのは、G1 CLIMAXという真夏の大会で異常に強かった時代の呼び名です。2003年・2004年・2006年とG1を3度制した、あの頃の天山広吉さん。
その姿を、息子さんに見せたいと言っている。
これは子を持つ親なら、たぶん全員刺さります。私にも双子の子どもがいますが、子どもは親の全盛期を知らないんですよ。生まれたときには、親はもう「疲れてる大人」なんです。
だから最後の1試合で、あの時代の自分を出しにいく。
あの日の試合は、両国の観客とNJPW WORLDの視聴者に向けた試合であると同時に、客席のたった1人に向けた試合でもありました。そう思って観返すと、たぶん見え方が変わります。
同じインタビューでは、こうも語っています。
──天山広吉さん(2026年5月12日/東スポWEB)
そして奥さまからは「もっと試合やらなきゃダメでしょ」と言われたそうで、それについて「まああれも叱咤激励というか、ケツ叩いてもらって『頑張るから見ててくれよ』と思えましたね」と話しています。
🐄 (小声:うちも家計簿の前で似たようなことを言われます。叱咤激励の圧が強い家庭は、だいたい健全です)
さらにこの記事には、モヒカンについての一言も残っています。
──天山広吉さん(2026年5月12日/東スポWEB)
引退という重い話の最中に、この自虐を挟める。これが天山広吉さんの言葉のバランスです。
【2026年7月】第三世代と、小島聡選手を指名した言葉
名言13|「第三世代で集結できた。やっぱりニシオ君が元気で」
2026年7月12日、東京・京王百貨店新宿店でのサイン会に、天山広吉さん・小島聡選手・中西学さんの3人が並びました。
「もうニシオ君が引退して6年かと。月日が経つのは早いなって感じですけど、今回は自分の(引退の)番なので、しっかりと最後に悔いのない戦いをしたい」
──天山広吉さん(2026年7月12日/デイリースポーツ)
「今回は自分の番なので」。
第三世代——天山広吉さん・小島聡選手・永田裕志選手・中西学さん。同じ時期に上がってきて、闘魂三銃士の次の時代を背負わされ、長いこと「壁」であり続けた4人です。中西さんが2020年に引退し、次が天山さん。順番が回ってきている、という感覚を本人が持っている。
第三世代とは何だったのかは 第三世代とは?新日本プロレスの”間の世代”を解説 にまとめました。この記事を読んでからあの試合を観返すと、リングサイドに誰が座っていたかまで意味が出てきます。
なお私は一度だけ新日本プロレスの興行後の打ち上げに参加させていただいたことがあり、そこで中西学さんと永田裕志選手にお会いしています。そのときの話は 新日本プロレスの打ち上げで見た素顔 に書きました。あの4人は、リングを降りても本当にあの4人でした。
名言14|「生涯のライバルである小島聡選手とシングルマッチをやってやりたい」
2026年7月18日、G1 CLIMAX 36の北海きたえーる大会。ゲストで来場した天山広吉さんが、自分の口で相手を指名しました。
──天山広吉さん(2026年7月18日・G1 CLIMAX 36/プロレスTODAY)
ここ、言葉を1つずつ見てください。
「盟友」でも「相方」でもなく「生涯のライバル」。
テンコジという日本一有名なタッグチームの片割れが、最後の最後に選んだ肩書きがライバルでした。組んできた歴史のほうが長いのに、締めくくりは殴り合いの側から呼んでいる。
同じ日、こう続けています。
──天山広吉さん(2026年7月18日/プロレスTODAY)
そして最後は「カモ~ン! OK! ヨッシャ~!」で締めています。最後の相手を発表する場でも、いつものテンションを崩さない。これも語録の一部だと思います。
名言15|「コジしかいない」/「初めてでしたよ、蝶野さんの前で泣くなんて」
2026年7月21日、東京スポーツのインタビュー。
──天山広吉さん(2026年7月21日/東スポWEB)
「コジしかいない」。4文字+αで終わる、一番短くて一番強い言葉です。
小島聡選手について「やっぱり自分にとって欠かせない存在」と語り、2005年2月20日・両国国技館のIWGP&三冠ダブルタイトル戦(天山さんが脱水症状でKO負け)については「もう思い出したくない苦い記憶ですよ」と話しています。21年経っても苦い、と言い切るところが正直です。
そして同じ記事では、蝶野さんとのサイン会の帰りに、蝶野さんの車で道場まで送ってもらったときのことを、こう語っています。車内には小田和正さんの「たしかなこと」が流れていたそうです。
──天山広吉さん(2026年7月21日/東スポWEB)
そして、ファンに向けて。
「応援よろしくお願いします! カマーン!」
──天山広吉さん(2026年7月21日/東スポWEB)
【2026年8月12日】引退3日前の言葉
そして、直近です。8月12日に東京スポーツが伝えた言葉。
──天山広吉さん(2026年8月12日/東スポWEB)
「今まで培ってきたすべて」と「今の自分」が、同じ文の中に並んでいます。
35年ぶんの蓄積を出すと言いながら、見せるのは「今の自分」。過去の再現ではなく、55歳の、手術を越えた、いまの体で出る。しかも副詞が「がむしゃらに」です。技術でも計算でもなく、がむしゃら。
同じ記事で天山さんは、かつてのタッグパートナーで2019年に引退した飯塚高史さんへの思いも語っています。
「できるのであれば友情タッグを思い出してほしいし、もし来てくれるのであればどんな形でも受け入れたいなと。最後のチャンスというか、これが最後のリングなので」
──天山広吉さん(2026年8月12日/東スポWEB)
自分の引退の話をしているときに、他人の未完成を回収しようとしている。これが天山広吉さんです。
天山語録に共通する「3つの型」
15の言葉を並べ終えて、営業部長として気づいたことを3つだけ書きます。
天山広吉さんの言葉の共通点
- ① 弱いところを先に出す——「自暴自棄になった」「自信がなくなった」「思い出したくない苦い記憶」。強がりから入らない
- ② 主語が自分の外にある——お客様、家族、息子、コジ、中西さん、飯塚さん。自分の実績を語る言葉がほぼゼロ
- ③ 最後に必ず笑いに落とす——「ただの角刈りのオッサン」「ムカつくんですよね(笑)」「カマーン!」
この3つ、実は信頼される話し方の基本形そのままです。
弱みを開示する(①)と、聞き手は身構えを解く。相手を主語にする(②)と、自慢に聞こえない。最後に軽くする(③)と、重い話が持ち帰れるサイズになる。
私は営業で20年目、いろんな人の話し方を見てきましたが、この3つを全部やれる人は本当に少ないです。だいたい①が抜ける。かっこ悪いからです。
天山広吉さんは35年、リングでは一番かっこいい部類の男でありながら、マイクの前ではいつも一番かっこ悪いところから話し始めていた。この記事を書きながら気づいた、いちばんの発見でした。
🐄 ウッシ視点:「自信がなくなった」と言えた55歳
ここからは完全に私見です。
私はこの記事を書くために、天山広吉さんの発言を全部並べました。そこで一番長く手が止まったのは、名場面の話でも王座の話でもなく、「対価として見せられる自信がなくなった」でした。
会社で働いていると、この言葉を口にできる場面って、まずありません。
営業部長という立場は、自信があるフリをするのが仕事の一部みたいなところがあります。部下の前で「今月の数字、正直しんどい」とは言えない。取引先に「うちのサービス、他社より高いです」とは言えない。言った瞬間に何かが崩れる気がして、言わない。
でも天山さんは言いました。しかも引退という、一番言い訳が許される場面で、言い訳ではなく自己評価として言った。
「体が動かないから辞める」は事情の説明です。
「もらう金額に見合わないから辞める」は、自分への評価です。
35年やった人が、最後の最後まで自分を評価する側でいた。これがどれだけしんどいことか、社会人なら分かると思います。
私はプロレスを30年観てきて、初めての生観戦はドラゴンゲートでした。新日本の第三世代は、映像とテレビで、ずっと「壁」として見てきた人たちです。強いのに、なぜか主役になりきらない。三銃士の後で、棚橋世代の前。いつも誰かのための壁だった4人。
その1人が2026年8月15日、リングを降りました。
そして降りる理由が「見合わなくなったから」。最後まで壁の仕事をした人の、最後まで壁らしい辞め方だと思います。
あの日の両国で、天山広吉さんが何を言うかは、事前には分かりませんでした。ここは想像では書きませんでした。ただ1つだけ確実だったのは——この15の言葉を全部通ってきた人が、あの夜マイクを持つということでした。
闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄
📡 2026年8月15日、その最後の言葉を聴く
言葉の記事なので、最後に実用的な話をします。あの日のマイクは、いまも映像で聴けます。
新日本プロレス公式の引退試合CMがこちら。30秒で、あの日の空気が伝わります。
📺 【完売御礼! LIVE配信はNJPW WORLDで!】天山広吉引退試合CM(新日本プロレス公式)
🎫 天山広吉さん 引退試合
- 日時:2026年8月15日(土)13:30開場/15:00開始
- 会場:両国国技館(G1 CLIMAX 36)
- 相手:小島聡選手とのシングルマッチ(メインイベント・5分1本勝負)
- チケット:全席完売と報じられています
- 観る手段:テレ朝チャンネル2の生放送/新日本プロレス公式配信NJPW WORLD
申し込み手順・アンテナの落とし穴・NJPW WORLDとの比較は、こちらに全部書いてあります。アーカイブで観返す前の整理にどうぞ。
👉 🐄 天山広吉さんの引退試合を生中継で観る方法|8.15両国G1
大会全体のカード・会場情報は 天山広吉さんの引退試合はいつ・どこで・相手は誰? にまとめています。
❓ よくある質問
Q1. 天山広吉さんの一番有名な名言は何ですか?
引退を巡る言葉としては「お客様に高いお金を払ってもらう対価として見せられる自信がなくなった」(2026年5月11日 引退記者会見)が最も多く引用されています。キャリア全体を振り返った言葉としては「プロレスラーになれて良かった」、復帰時の言葉としては「もう1回、天山広吉を花咲かせたい」(2010年11月18日)が代表的です。
Q2. 「シュー!」は名言ですか?
モンゴリアンチョップの前に発する「シュー!」は、言葉というより天山広吉さんの代名詞的な所作です。Wikipediaによれば、幼少期から見ていたアブドーラ・ザ・ブッチャーさんの呼吸法を真似て、海外遠征時からフェイントの意図で言い始めたものが、やがて観客の唱和になったとされています。技そのものの解説は モンゴリアンチョップのやり方と系譜 をどうぞ。
Q3. 引退試合の相手に小島聡選手を選んだ理由は、本人がどう説明していますか?
2026年7月18日に自ら発表した際、「タッグで組んだり、時にはシングルで戦ったりした生涯のライバル」と表現しています。7月21日の東京スポーツのインタビューでは「『コジしかいない』って気持ちが前からありました」「やっぱり自分にとって欠かせない存在」とも語りました。2人のシングル対決の全記録は 天山vs小島のシングル名勝負 にまとめています。
Q4. 「いっちゃうぞ」は天山さんの言葉ですか?
いいえ。「いっちゃうぞ、バカヤロー!」は小島聡選手の決めゼリフです。ただし天山さんは2026年5月11日の会見で、引退試合の相手を問われた際に名前ではなく「『いっちゃうぞ』かな……」と答えており、その意味で天山語録にも登場する言葉になっています。
Q5. 新弟子時代について、本人はどう語っていますか?
2026年5月11日の会見で「嫌なことばっかりありましたね。新弟子時代は。今は亡き橋本(真也)さん、ライガーさん、いろんな人が(現役感)バリバリの時代で。長州さんもバリバリで…」と振り返っています。集英社オンラインのインタビュー(2026年8月14日)では、入門直後に一度逃げ出したことも明かしています。
Q6. 引退後も天山さんの言葉は聞けますか?
2026年5月11日の会見で棚橋弘至社長が、引退後は新日本プロレス所属のまま芸能活動を継続する予定であること、若い選手へのアドバイスにも関わってほしいことを説明しています。天山さん自身も「まだまだ新日本の会社の中で協力できることは何でもしたい」と話しました。リングを降りても、話す場所は残ります。
まとめ:言葉は、あの日で終わらない
この記事の要点
- 天山広吉さんの言葉は弱さから入り、他人を主語にし、最後に笑いで閉じる
- 引退理由は体ではなく「対価として見せられる自信がなくなった」という価値の話
- 2010年の復帰では「自暴自棄になったこともあった」→「もう1回、天山広吉を花咲かせたい」
- 最後の相手は「生涯のライバル」小島聡選手。理由は「コジしかいない」
- 引退3日前の言葉は「しっかり花道を飾りたい」
35年です。
デビューは1991年1月11日。新弟子時代は嫌なことばっかりで、途中で自暴自棄にもなって、首も腰も膝もやって、それでも一度は這い上がって、最後は「見合わなくなった」と自分で判定を下してリングを降りる。
この15の言葉のどこにも、天山広吉さんが自分をすごいと言っている箇所はありません。並べ終えて、それが一番すごいことだと思いました。
2026年8月15日15時、両国国技館。観衆7,777人の超満員札止め。その35年の最後の言葉は、あの夜に追加されました。
私は画面の前で待ちました。マイペースにいきましょう🐄 ——と言いたいところですが、あの日ばかりは正座で観ました。
天山さん・小島選手・永田選手・中西さんの4人が、自分の言葉でキャリアを語った一冊です。この記事に載せた15の言葉の「その前」が、ここに入っています。あの日を振り返る一冊に。
📚 参考・出典(13件・2026年8月14日確認)
- デイリースポーツ:引退決断の天山広吉さん、国指定の難病で昨年5月手術も足腰にしびれ「痩せたと言われるのはムカつく」8・15両国でラストマッチ(2026年5月11日)(名言4・8・9)
- デイリースポーツ【一問一答】:天山広吉さんが引退、新弟子時代も懐古「嫌なことばかり…橋本さん、ライガーさん、長州さんがバリバリで(笑)」新日本一筋35年(2026年5月11日)(名言5・6・7)
- スポーツナビ:「新日本でやってこれて本当に幸せです。あともう1試合、身体を作ってしっかりと試合できるように頑張ります」天山広吉さんが“現役引退”を発表!【5.11会見】(2026年5月11日)(名言3・10)
- プロレスTODAY:【新日本】天山広吉さんが35周年の節目に現役引退を発表! 8.15両国「G1」でラストマッチへ(2026年5月11日)(名言11・棚橋社長の説明)
- 東スポWEB:【新日本】天山広吉さん 8・15両国でラスト〝夏男〟「輝いていた時代を息子に見せてやりたい」(2026年5月12日)(名言12・家族・断髪式)
- デイリースポーツ:感涙ファンも…8・15引退の天山広吉さんが「第三世代」中西学&小島聡と盟友3人でサイン会(2026年7月12日)(名言13)
- プロレスTODAY:【新日本】「生涯のライバルである小島聡選手とシングルマッチを」天山広吉さんが8.15両国での引退試合の相手を電撃発表!(2026年7月19日)(名言14)
- 東スポWEB:【新日本】天山広吉さん 8・15小島聡戦…引退前に胸中激白「初めてでしたよ、蝶野さんの前で泣くなんて」(2026年7月21日)(名言15)
- 東スポWEB:【新日本】天山広吉さん 8・15引退試合前に…等々力渓谷で〝飯塚高史の魂〟大捜索「友情を復活したい」(2026年8月12日)(引退3日前のコメント・飯塚さんへの思い)
補足出典
- スポーツナビ:猛牛が帰ってきた! 天山広吉さん、1年3カ月ぶり涙の復帰=新日本プロレス(2010年11月18日)(名言1・2)
- 集英社オンライン:〈天山広吉引退〉「背中がビーンとしびれ、下半身に力が入らなくなった」新日本一筋36年、55歳で引退を決めた瞬間(2026年8月14日)(引退を決めた瞬間)
- 集英社オンライン:天山広吉さんが明かす、病弱だった少年時代と一度逃げても諦めなかったプロレスへの道(2026年8月14日)(入門直後に一度逃げ出した述懐)
- Wikipedia:天山広吉(デビュー日・戴冠歴・2009年の負傷・手術歴・「シュー!」の由来)
※本記事に掲載した発言は、上記媒体が報じた表記にもとづいています。一次寄りの出典が確認できなかった“名言風”のフレーズ(まとめサイトで流布しているモットー系の言葉、1990〜2000年代のリング上マイクなど)は、有名なものであっても掲載していません。
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