🏠 ホーム📰 最新ニュースプロレス総合闘魂列伝黒船列伝女傑列伝軍団列伝プロレスABC技図鑑サラリーマン資産形成節約・固定費🔍 記事を検索
ジャイアント馬場はなぜ61歳で逝ったのか|死因と、209cmの巨人が愛され続ける理由
— 伝説のレスラー —

ジャイアント馬場はなぜ61歳で逝ったのか|死因と、209cmの巨人が愛され続ける理由

USSIBLOG
📖 この記事の目次
  1. ジャイアント馬場とは?プロフィールと基本情報
  2. ジャイアント馬場の死因:肝臓癌(肝不全)
  3. 死後に残ったもの──全日本プロレスと馬場の遺産
  4. 🦵 16文キック──馬場の代名詞を解説
  5. 📺 動画で観る(公式)
  6. 🐄 ウッシが語る馬場への思い
  7. 馬場から学ぶ──サラリーマン部長が受け取った3つの教訓
  8. ジャイアント馬場に関するよくある質問(FAQ)
  9. 📺 プロレスを動画で観るには?
  10. まとめ:ジャイアント馬場の死因と遺したもの

※本記事はプロモーションを含みます。

ジャイアント馬場の死因って何だっけ?」

プロレスを語るとき、必ずこの名前が出てくる。昭和のプロレスを知る世代はもちろん、ちょっとプロレスに興味を持ち始めた若い世代でも、「でっかい人」として記憶に残っているはずだ。

私ウッシは30代の営業部長。プロレスに本気でハマったのは中学生のころで、テレビ越しに見たジャイアント馬場の存在感に圧倒されたのを今でも覚えている。

あの身長209cmの巨体が、16文キックでバッタバッタと相手を薙ぎ倒していく光景。「こんな人間がいるのか」と子どもながらに震えた。

馬場正平、享年61歳。1999年1月31日に逝去。今回は、ジャイアント馬場の死因・晩年・残した功績を、プロレスファンの部長視点でまとめる。

ジャイアント馬場とは?プロフィールと基本情報

まずは基本データを確認しよう。

項目内容
リングネームジャイアント馬場
本名馬場 正平
生年月日1938年1月23日
出身新潟県三条市
身長・体重209cm・135kg
デビュー1960年(プロ野球選手から転向)
逝去1999年1月31日(享年61歳)
代名詞技16文キック・脳天唐竹割り
設立団体全日本プロレス(1972年)
★★★★★ 全日本プロレスの創始者
ジャイアント馬場
"東洋の巨人" / 全日本の創始者
👁 見た目
209cm・135kgという、日本人離れした規格外の巨体。リングに立つだけで会場の空気が変わる、まさに“見上げる”存在。元プロ野球選手らしい長い手足から繰り出される技は、大きさそのものが説得力になっていた。穏やかな佇まいと巨人の迫力が同居する、唯一無二のレスラー。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー9
⚡ スピード5
🎯 テクニック7
🔋 スタミナ8
😈 ヒール度1
👑 カリスマ9
🥋 得意技
16文キック 脳天唐竹割り 32文ロケット砲 ランニング・ネックブリーカー・ドロップ
🏛 主な功績・戴冠歴
1972全日本プロレス 創設日本プロレス界の巨星
1973PWFヘビー級王座初代王者
1974NWA世界ヘビー級王座日本人初・vsブリスコ
💥 必殺技
16文キック
巨体から繰り出される、相手の顔面をとらえる豪快な足。大きさと長いリーチがあって初めて成立する、馬場だけの代名詞。シンプルでありながら、観客の誰もが「出た!」と沸く——存在感そのものが武器になった一撃。

馬場は元々プロ野球選手だった。読売ジャイアンツ(巨人軍)に在籍していたが、野球選手としての才能が開花する前に怪我や体型の問題で限界を感じ、1960年にプロレス入りを決断した。

力道山に見出され、渡米修行を経てアメリカのリングで台頭。帰国後は全日本プロレスを設立し、昭和プロレス界の両雄として新日本の猪木と日本プロレス界を二分した。

ジャイアント馬場の死因:肝臓癌(肝不全)

ジャイアント馬場の死因は肝臓癌(肝不全)だ。

1998年末から体調不良が続いており、同年12月に入院。その後も回復することなく、1999年1月31日に東京都内の病院で息を引き取った。61歳だった。

馬場は晩年、全日本プロレスの経営・プロモーターとして多忙な日々を送っていた。試合に出る機会は減っていたものの、団体の頂点として常に第一線にいた。

体調の衰えは周囲にも気づかれていたという。しかし馬場本人は弱みを見せない性格で、それが早期発見・早期治療の遅れにつながった可能性もある。

妻の馬場元子さんが後に語ったところによると、馬場は死の直前まで「また試合に出たい」と口にしていたとのこと。レスラーとしての本能が最後まで消えなかった。

死後に残ったもの──全日本プロレスと馬場の遺産

馬場の死後、全日本プロレスは妻・馬場元子さんが引き継いだ。しかし経営は混乱し、2000年には三沢光晴ら大半の選手が離脱してプロレスリング・ノアを旗揚げし(川田利明・渕正信らは残留)、全日本は大きく縮小した。2002年には新日本から武藤敬司が移籍し、再建を担うことになる。

それでも馬場が残したものは大きい。

全日本四天王プロレスという、1990年代の日本プロレス史に燦然と輝くムーブメントは、馬場が三沢光晴・川田利明・小橋建太・田上明という世代を育てたからこそ生まれた。彼らの試合は今でも「あれを超えるプロレスはない」とファンに語り継がれている。

馬場本人が作ったリングの上で、馬場の後継者たちが歴史を刻んだ。それが馬場の最大の遺産だと、私は思っている。

🦵 16文キック──馬場の代名詞を解説

ジャイアント馬場の技といえば、まず16文キックが挙がる。

「16文」の由来は、アメリカで履いていた靴のサイズ表記「16」を、日本の記者が尺貫法の「文」と読み替えて広まったという説が有名だ。1文は約2.4cmなので文字どおりなら約38cmになる計算だが、実際の足のサイズは32cmほどだったと伝えられている。それでも規格外なのは間違いない。

技の見た目はシンプルだ。コーナーから走り込む相手の顔面に向かって、真っすぐ大きな右足を突き出す。いわゆるビッグブーツ(big boot)だ。

しかし馬場がやると別格だった。体重135kgの巨人が209cmの身長から繰り出す足は、相手の首から上を丸ごと押し出すような威圧感があった。

当時のプロレスは「受け身の技術」を競う世界でもある。16文キックを「きれいに受けて魅せる」のは、受ける側の技術と信頼関係の産物だった。

脳天唐竹割り──もう一つの必殺技

16文キックに並ぶ馬場の代名詞が脳天唐竹割りだ。

209cmの上空から相手の頭頂部に向かって、両手を揃えた大きな手刀を振り下ろす技。「唐竹割り」は剣道・剣術の用語で、頭頂部から真っ二つに割る一刀のことを指す。

シンプルだが、馬場の体格から繰り出されると説得力が違った。リーチが長く、相手は逃げようにも逃げられない。馬場の技は全て「体格を活かしたシンプルさ」の極致にあった。

📺 動画で観る(公式)

📺 ジャイアント馬場 vs ザ・シーク PWF戦(日本テレビ公式プロレスアーカイブ)

🐄 ウッシが語る馬場への思い

私がジャイアント馬場を初めてテレビで見たのは、小学生のころだ。あの体格から放たれる16文キックに「なんだこれは」と言葉を失った。

馬場が逝去したのは1999年1月31日。私が子どものころだ。訃報をニュースで見て、「昭和のプロレスが終わった」と子どもながらに感じた記憶がある。

馬場正平という人間は、体格こそ規格外だったが、どこか温かみのある人物だったと伝えられている。妻の元子さんへの愛情、選手たちへの気遣い──「プロレスの王様」がリング外で見せた人間的な一面が、ファンにとって馬場をより大きな存在にした。

61歳という年齢で逝った馬場を思うとき、「あと10年、20年生きていたら全日本はどうなっていたか」と考えずにはいられない。

馬場から学ぶ──サラリーマン部長が受け取った3つの教訓

プロレスは私にとって単なる「観るスポーツ」ではない。レスラーたちの生き様から、仕事や人生のヒントを受け取る場でもある。馬場正平が61年の人生で示したことを、30代部長の目線で3つ受け取った。

① 「形」より「存在感」で勝負する

馬場の技はシンプルだ。16文キック。脳天唐竹割り。それほど複雑ではない。しかし馬場がやると圧倒的な説得力があった。

これは仕事でも同じだ。複雑なプレゼンより、シンプルでも自信を持って言い切る一言の方が相手の心を動かす。「難しく見せること」より「正確に伝えること」。馬場の技の構造は、コミュニケーションの本質を教えてくれる。

② 後継者を育てる「仕組み」に投資する

馬場が全日本に三沢・川田・小橋・田上という四天王を育てたのは偶然ではない。馬場は選手の個性を尊重し、自由に試合をさせた。「馬場イズム」を押し付けるのではなく、それぞれが輝けるリングを用意した。

部長として部下を育てるとき、私はこれを思い出す。自分のやり方を押し付けるのではなく、それぞれの強みが活きる仕事の渡し方。馬場が四天王を輩出した方法論は、チームマネジメントの教科書だ。

③ 健康は後回しにできない──馬場の早すぎる死が証明すること

馬場が61歳で肝臓癌で亡くなった事実は重い。当時の馬場はまだまだ現役プロモーターとして全日本を率いていた。もっと続けられるはずだった。

仕事の忙しさの中で健康を後回しにしていたとしたら、それは馬場も例外ではなかったかもしれない。働き盛りの世代が学ぶべきは、「やりたいことを続けるための健康管理」だ。

健康診断・節度ある食事・睡眠の確保。これを「余裕があればやる」ではなく「最優先でやる」ことが、61歳の馬場が私たちに遺したメッセージだと思っている。

ジャイアント馬場に関するよくある質問(FAQ)

最後に、馬場についてよく検索される疑問をまとめておく。

Q. ジャイアント馬場の身長は?

公称209cm。体重は135kg。日本のプロレス史上でも屈指の巨体で、この体格そのものが最大の武器であり、16文キックや脳天唐竹割りといったシンプルな技に圧倒的な説得力を与えていた。

Q. ジャイアント馬場は何歳で亡くなった?

享年61歳。1938年1月23日に生まれ、1999年1月31日に肝臓癌(肝不全)で逝去した。亡くなる直前まで全日本プロレスの総帥として第一線に立っていた。

Q. ジャイアント馬場とアントニオ猪木の関係は?

二人はかつて日本プロレスで「BI砲」としてタッグを組んだ盟友であり、同時に昭和プロレス界を背負った好敵手でもある。後に馬場は全日本プロレス、猪木は新日本プロレスの総帥として時代を二分した。ファンの間で語り草となる「馬場 vs 猪木」のシングル対決は、ついに実現しなかった。

Q. ジャイアント馬場が創設した団体は?

全日本プロレス(1972年設立)。馬場が育てた三沢光晴・川田利明・小橋建太・田上明の「四天王」が、1990年代に四天王プロレスという黄金時代を築いた。

Q. ジャイアント馬場の足のサイズは?

代名詞「16文キック」の「16文」は、米国の靴サイズ表記「16」を日本流に「文」と読み替えたものとされる。実際の足のサイズは32cmほどだったと伝えられている。身長209cmと並び、規格外の体格を物語る逸話として、今もファンの間で語り継がれている。

Q. ジャイアント馬場の現役晩年はどうだった?

晩年は全日本プロレスの総帥・プロモーターとして団体運営に軸足を移しつつ、試合数を絞りながらもリングに立ち続けた。亡くなる直前まで「また試合に出たい」とレスラーとしての本能を口にしていたと、妻の馬場元子さんが後に語っている。

📚 209cmの巨人・ジャイアント馬場の姿を見るPR
馬場戦記 第1巻 世界進出編 表紙
評伝『馬場戦記 第1巻 世界進出編』(流智美)。「誰も知らない馬場」に初公開写真多数で迫る一冊。表紙では、あの巨大な手とともに在りし日の馬場の姿が見られます。

📺 プロレスを動画で観るには?

文章で知った技や名勝負は、実際の試合映像で観ると一気に面白くなります。昭和から令和、海外マットまで、ABEMAプレミアムなら月額1,180円で、過去の名カードや最新興行をまとめて楽しめます。プロレス観戦のコスパを考えると、まず押さえておきたいサービスです。

📺 プロレスを"今"観るならPR
昭和〜令和の名勝負も最新興行も、ABEMAプレミアム 月額1,180円で見放題。まずは気になる試合から。
▶ ABEMAプレミアムを見てみる

まとめ:ジャイアント馬場の死因と遺したもの

  • 死因:肝臓癌(肝不全)
  • 逝去:1999年1月31日、享年61歳
  • 身長209cm、16文キック──昭和プロレス界の頂点に立った巨人
  • 全日本プロレスを創設し、四天王プロレスという黄金時代を生んだ
  • 死後も「あの時代のプロレス」として語り継がれ続けている

馬場正平は「昭和の生き物」ではない。今もプロレスを愛するすべてのファンの心に生きている。

30代サラリーマン部長のウッシも、馬場の生き様から「大きく、シンプルに、本気で」を学び続けている。


プロレスが好きな方は、ぜひ他の記事もどうぞ。

プロレス技を体系的に学ぶ

馬場が築いた全日本プロレス・四天王関連

必殺技・観戦の基礎