新日本の第三世代とは|天山・小島・永田・中西4人の全記録
※本記事はプロモーションを含みます
「新日本プロレスの”第三世代”って、結局どこからどこまでの人を指すの?」
「闘魂三銃士は知ってる。棚橋弘至さんも知ってる。でもその間の世代の話だけ、いつも駆け足で終わる」
その”間”に、4人の男がいました。
✅ 結論:新日本の「第三世代」とは
- 一般に永田裕志選手・天山広吉さん・小島聡選手・中西学さんの4人を指します
- 広義には1990〜1994年にデビューした新日本の生え抜き世代(金本浩二選手・西村修さん・高岩竜一選手・大谷晋二郎選手ほか)を含みます
- 系譜は猪木さんら創成期 → 闘魂三銃士(武藤・橋本・蝶野) → 第三世代 → 棚橋・中邑世代。ただし世代の数え方には諸説あります
- 命名者はプロレス評論家の門馬忠雄さん。「アントニオ猪木さんから直接指導を受けていない三世代目」という意味合いだとされます
- この4人の本質は「エースになれなかった世代」ではなく「エースが不在でも団体を落とさなかった世代」——本記事の核はここです
この記事でわかること
- 「第三世代」という言葉の正確な意味と、語源・名付け親
- 第一世代・第二世代との系譜(諸説の整理つき)
- 4人それぞれの代表技・IWGP戴冠・G1優勝の実数
- なぜこの世代が「悔しい世代」と語られてきたのか
- それでもこの4人が新日本にとって何だったのか、という再評価
- 2026年8月15日・両国が、なぜ「第三世代の区切り」なのか
🐄(ウッシ小声:先に白状します。私はこの4人のうち2人に、一度だけ実際にお会いしたことがあります。その話は記事の後半で)
🧭 第三世代とは|まず言葉の定義から
「第三世代」は、新日本プロレスにおいては一般に、永田裕志選手・天山広吉さん・小島聡選手・中西学さんの4人を指す呼称として定着しています。
もう少し広く取ると、1990年から1994年にかけて新日本でデビューした生え抜きの一群が該当します。
| デビュー年 | 主な選手 |
|---|---|
| 1990年 | 金本浩二選手/小原道由さん |
| 1991年 | 天山広吉さん/小島聡選手/西村修さん(2025年逝去) |
| 1992年 | 永田裕志選手/中西学さん/高岩竜一選手/ケンドー・カシン選手 ほか |
この中で、ヘビー級のトップ戦線を長く走った4人——永田・天山・小島・中西——が「第三世代」の代表として語られるようになりました。
そして語源です。この呼び名の命名者はプロレス評論家の門馬忠雄さんとされ、「アントニオ猪木さんから直接指導を受けていない三世代目」という意味合いで名付けられたと伝えられています。戦後文学の「第三の新人」という言葉に着想を得た、という話まで残っています。
つまりこの呼称は、強さのランクづけではありません。「猪木さんの手から離れて育った、最初の世代」という時間軸のラベルです。ここを取り違えると、この4人の評価を全部間違えます。
🪜 第一世代・第二世代との系譜——数え方には諸説ある
ここは正直に書きます。世代の数え方は一通りではありません。
| 起点の取り方 | 第一世代 | 第二世代 | 第三世代 |
|---|---|---|---|
| 力道山さんを起点にする | 力道山さん | ジャイアント馬場さん/アントニオ猪木さん | 1970年代デビュー組(“鶴藤長天”=ジャンボ鶴田さん・藤波辰爾選手・長州力さん・天龍源一郎さん) |
| 馬場さん・猪木さんを起点にする | 馬場さん/猪木さん | 藤波選手・長州さんら | 闘魂三銃士/全日本四天王 |
| 新日本の生え抜きを起点にする | 猪木さんら創成期 | 闘魂三銃士 | 永田・天山・小島・中西 |
新日本の文脈で「第三世代」と言うとき、ほぼ確実に3行目の意味です。ファンの会話でも、実況でも、書籍のタイトルでもこの用法。だから本記事もこの意味で通します。
すぐ上の世代が、闘魂三銃士でした。
- 【闘魂列伝①】武藤敬司 ── 天才。ムーンサルトプレスで時代の顔になった人
- 【闘魂列伝④】橋本真也 ── 破壊王。IWGPを9度防衛した重量級の柱
- 【闘魂列伝⑩】蝶野正洋 ── 黒のカリスマ。nWo・TEAM 2000で時代の空気そのものを作った人
華やかさで言えば、日本プロレス史でも屈指の3人です。その直後に上がってきたのが、第三世代でした。
👥 第三世代の4人|一枚の表で把握する
まず全体像を。数字はすべて公表記録にもとづきます。
| 選手 | 生年月日 | デビュー | 代名詞 | IWGPヘビー戴冠 | G1 CLIMAX優勝 | 現在(2026年8月時点) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 永田裕志選手 | 1968年4月24日 | 1992年9月14日 | バックドロップ・ホールド/ナガタロック | 2度(第31代・第46代) | 1回(2001年) | 現役(58歳) |
| 天山広吉さん | 1971年3月23日 | 1991年1月11日 | モンゴリアンチョップ/アナコンダバイス | 4度(第33・35・40・42代) | 3回(2003・2004・2006) | 2026年8月15日に引退 |
| 小島聡選手 | 1970年9月14日 | 1991年7月16日 | ラリアット/「いっちゃうぞ、バカヤロー!」 | 2度(2005年・2010年) | 1回(2010年) | 現役 |
| 中西学さん | 1967年1月22日 | 1992年10月13日 | ヘラクレスカッター/アルゼンチン・バックブリーカー | 1度(第51代・2009年) | 1回(1999年) | 2020年2月22日に引退 |
4人合計でIWGPヘビー級王座9回戴冠、G1 CLIMAX優勝6回。「エースになれなかった世代」と言われる集団の数字が、これです。
永田裕志選手|10度防衛という、動かない記録
2002年4月5日、安田忠夫さんを破って第31代IWGPヘビー級王者に。ここから1年かけて10度防衛し、橋本真也さんの持っていた連続防衛記録9を更新しました。ベルトを手放したのは2003年5月2日、高山善廣さん戦です。
IWGPヘビー級王座の歴史で二桁連続防衛を達成したのは、オカダ・カズチカ選手(12回)・棚橋弘至さん(11回)・永田選手(10回)の3人だけ。しかも永田選手のV10は、この3人の中でいちばん早い2003年の記録です。“ミスターIWGP”という異名は、キャラクター付けではなく実績です。
G1 CLIMAXは2001年8月12日の決勝で武藤敬司さんを破って初優勝。2007年4月13日には棚橋さんからベルトを奪って第46代王者に返り咲いています。そして2023年、54歳で全日本プロレスの三冠ヘビー級王座を獲得——三冠史上最年長戴冠という、常識の外側の記録まで持っています。
→ 詳しくは【闘魂列伝㉕】永田裕志|“ミスターIWGP”白目の怪人
天山広吉さん|G1を3回獲った男
1991年1月11日デビュー、当時のリングネームは本名の山本広吉。海外修行を経て、nWo JAPAN・TEAM 2000という軍団時代の中核になりました。
G1 CLIMAX優勝3回(2003・2004・2006)。2003年の決勝ではカルガリー遠征中に開発した新技アナコンダバイスで秋山準選手からギブアップを奪い、翌2004年に連覇。IWGPヘビー級王座は第33代・第35代・第40代・第42代の4度戴冠です。
そして代名詞のモンゴリアンチョップ。ヒールの技だったはずのあの連打が、いつのまにか会場の「テンザン」コールと一体になった——プロレスでしか起きない現象でした。
→ 【闘魂列伝㉚】天山広吉/技の全体像は天山広吉さんの技一覧・必殺技
小島聡選手|会社員から、史上初の”四冠”へ
1991年7月16日デビュー。その相手を務めたのが、山本広吉——つまり天山さん本人です。プロレス史に残る巡り合わせが、キャリア初日から始まっていました。
2002年に武藤敬司さんらと全日本プロレスへ移籍。そして2005年2月20日・両国国技館で、IWGPヘビー級王者・天山さん vs 三冠ヘビー級王者・小島選手という史上初のダブルタイトルマッチが実現します。勝ったのは小島選手。三冠3本+IWGPを同時に保持する、いわゆる”四冠”と呼ばれる状態になりました。
2010年には新日本所属外の選手として初のG1 CLIMAX制覇、同年10月11日に真壁刀義選手を破って2度目のIWGPヘビー級王座戴冠。会社員からプロレスラーになった人が、たどり着いた場所がここです。
中西学さん|17年目の頂点、6度目の挑戦
1992年バルセロナ五輪のレスリング日本代表という異色の経歴を持ち、デビュー当初から「怪物」と呼ばれた人です。それなのに——団体の頂点に立つまで、16年半かかりました。
2009年5月6日・後楽園ホール。6度目の挑戦で、王者・棚橋弘至さんを特大☆中西ジャーマンで沈めて第51代IWGPヘビー級王者に。デビューから17年目。あの日の後楽園の音は、今でも語り草です。
その後、頸髄損傷という重傷を負いながら492日かけてリングに戻り、2020年2月22日・後楽園ホールで引退しました。
→ 【闘魂列伝⑯】中西学さん|“野人”が掴んだ苦節17年のIWGP
この4人が自分の言葉で当時を語った一冊があります。第三世代を「本人の口」で読める、ほぼ唯一の資料です。
🌑 悔しさの谷|この世代が背負ったもの
ここからが本題です。
これだけの実績がありながら、第三世代はずっと「エースになりきれなかった世代」と語られてきました。理由は3つあります。
① 前の世代が、あまりにも大きかった
武藤敬司さん、橋本真也さん、蝶野正洋さん。三銃士は団体の顔でありながら、同時に時代のアイコンでした。ムーンサルトプレス、破壊王のマイク、黒のカリスマ。プロレスを知らない人にまで名前が届く、その一段上の存在感。
第三世代がトップ戦線に上がってきたとき、比較対象がそこにありました。実績で並んでも、「空気」で並ぶのは別の話です。
しかも2002年、その武藤敬司さんが新日本を離れ、全日本プロレスへ。小島選手もこのとき一緒に出ています。第三世代は、先頭が抜けた直後の隊列を、自分たちで組み直さなければならなかった世代でした。
② いちばん苦しい時期に、団体の中心にいた
2000年代の新日本は、後に「暗黒期」「冬の時代」と呼ばれる状態でした。
総合格闘技ブームの直撃を受け、興行内容は迷走し、経営陣も入れ替わりが続きます。そして2005年11月14日、ゲーム会社の株式会社ユークスによる新日本プロレスリング株式51.5%の取得(同月30日付)が発表され、新日本はユークスの子会社になりました。創業者の団体が、他業種の傘下に入った瞬間です。
🐄(ウッシ小声:ゲーム会社の傘下入り、当時のファンには衝撃でした。でも振り返れば、あの時代に土台を立て直したからいまの新日本があります。会社というのは、沈んだ場所で誰が踏ん張ったかで決まるんですよね)
この時期に、リングの中心にいたのが第三世代でした。
観客が減っていく会場で、メインを務める。「プロレスは弱い」という言葉を浴びながら、それでも毎日リングに上がる。永田選手にいたっては、大晦日の総合格闘技イベントに団体の看板として送り出され、敗れて、批判の矢面に一人で立たされています。
🐄(ウッシ小声:売上が最盛期から半分以下になった会社で、営業のトップを張る。……想像しただけで胃が痛くなります。逃げ場がないんですよ、その席は)
③ 追い抜いていった世代が、あまりにも速かった
そして下から、棚橋弘至さん・中邑真輔選手の世代が上がってきます。
新日本はこの2人を軸に再生し、やがてブシロード体制で完全復活を遂げました。V字回復の物語の主役は、第三世代ではなかった。これは事実です。
だから語られ方はこうなります。「三銃士と棚橋世代に挟まれた、不遇の世代」。
……この整理は、間違ってはいません。でも、いちばん大事なところが抜けています。
🏛 誇りの山|“落とさなかった”という仕事
問いを変えてみます。
もし2000年代前半に、この4人がいなかったら?
三銃士が抜け、経営が揺れ、観客が減っていくあの時期に、毎大会メインを張れる日本人ヘビー級が4人もいなかったら、新日本のリングはどうなっていたか。
第三世代がやっていたのは、こういう仕事です。
- 永田選手が、10度防衛でIWGPというベルトの権威を守り抜いた
- 天山さんが、G1という看板大会を3度制して大会の格を維持した
- 小島選手が、団体の壁を越えたダブルタイトル戦でプロレス界にニュースを作った
- 中西さんが、デビュー17年目で頂点に立つという「諦めない物語」を、いちばん苦しい時期のファンに見せた(1999年には第三世代で最初のG1制覇も果たしている)
そして4人は、お互いに対戦相手であり続けました。天山さんと小島選手の「テンコジ」、その正面に立つ永田選手&中西さん組。この4人だけで、タッグ戦線もシングル戦線も何年分も回せた。テンコジはIWGPタッグ王座を通算6度戴冠し、2000年にはプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞も受賞しています。
会社が沈みかけたとき、いちばん効くのは「派手な新規」ではなく「落とさない既存」です。新日本にとっての第三世代は、まさにそれでした。
棚橋さんたちが立った土台は、この4人が守った土台です。順番が逆だったら、V字回復の舞台そのものが残っていなかった。
🐄 ウッシが実際に会った、第三世代の2人
ここで、私の話を少しだけさせてください。
私は一度だけ、新日本プロレスの興行後の打ち上げに参加させていただいたことがあります。プロレスファン歴30年で、たった一度の奇跡です。
その場にいらした選手のなかに、第三世代が2人——中西学さんと、永田裕志選手がいました。
中西学さんは、ずっと食べていた
野人。怪物。バルセロナ五輪代表。頭の中で作り上げていたイメージは、そういう言葉でできていました。
実際の中西さんは——ずっと食べていました。
本当に、ずっとです。私が「うわ、本物だ」と固まっている間も、隣で黙々と、幸せそうに。
笑い話に聞こえるかもしれません。でも私はあの光景を、この記事を書くにあたって思い出しました。あの体は、ああやって作られていたんだなと。17年目でIWGPにたどり着いた人の日常が、あの食事だったんだな、と。
テレビの中のキャラクターと、目の前の本人が完全に一致していた。あれは”素”だったんです。
永田裕志選手との2ショットで、私は敬礼を間違えた
そしてもう一人、永田裕志選手。
写真を撮らせてもらえることになりました。永田選手といえば、あの敬礼です。やるしかない。私はやりました。
——手のひらをピシッと伸ばした、自衛隊みたいな敬礼で。
違うんです。永田選手の敬礼は手のひらが開いているんです。あの独特の、ゆるく開いた形。30年観てきて、何百回も見てきたはずのポーズを、本人の隣で間違える。
家に帰って写真を見返したときの、あの「あーっ!」という声。今でも覚えています。
🐄(ウッシ小声:推しの前だと人間の脳は止まります。私はCIMAさんとエレベーターで乗り合わせたときも、結局一言も声をかけられませんでした。ファンなんてそんなもんです)
打ち上げの話をもう少し詳しく書いた記事はこちらです →新日本の打ち上げで見た、レスラーの素顔
この2つの記憶が、私が第三世代を語りたい理由の全部です。
テレビ画面の中で「三銃士の次の世代」「不遇」と語られていた人たちは、目の前ではただ、よく食べる先輩と、緊張しきったファンに付き合って一緒に写真に収まってくれる先輩でした。数字や世代論の前に、ちゃんと人だった。
📅 2020年2月22日|4人のうち、最初の一人が降りた
第三世代で最初にリングを降りたのは、中西さんでした。
2020年1月の引退表明を受けて、3人が残したコメントが公開されています。
- 永田裕志選手「残念!!今は言葉も出てこないです」
- 天山広吉さん「本当に残念です…」
- 小島聡選手「引退の事は、少し前に本人から聞かされていた。実際に発表を見ると、何を言っていいのか分からない。簡単に『今までありがとう』とか『お疲れ様でした』なんて言えない。辛いし、残念でしかない。仲間なんだから」
仲間なんだから。
この5文字に、第三世代という言葉の中身が全部入っていると思います。
同期であり、ライバルであり、何百回も殴り合った相手であり、それでも「仲間」。4人でひとつの世代を背負ってきた人にしか出てこない言葉です。
そして2020年2月22日、後楽園ホール。中西さんはリングを降りました。
🏔 2026年8月15日|二人目が降りる日
それから6年半。
2026年8月15日(土)・両国国技館。「G1 CLIMAX 36 〜天山広吉引退〜」。
天山広吉さんが、35年のキャリアに幕を引きます。相手は小島聡選手——シングルマッチ、5分1本勝負。チケットは完売と報じられています。
もう一度、この事実を並べてみてください。
デビュー戦で向かい合った同期が、引退試合でもう一度向かい合う。
小島選手のデビュー戦(1991年7月16日)の相手は、山本広吉——天山さん本人でした。35年前の最初の相手が、35年後の最後の相手。こんな終わり方を、脚本家でも書けません。
そして8月15日は、第三世代という言葉にとっての区切りの日でもあります。
中西さんは引退し、天山さんも降りる。残るのは永田選手と小島選手の2人。自分たちを追い抜いていった棚橋弘至さんが2026年1月4日の東京ドームで先に引退し、社長業に専念している——それでも永田選手は、まだリングに立っています。
その永田選手は、こう語っています。「まだまだ現役にこだわってやっていきたい。来年はデビュー35周年なんで、ガッチリいろんな相手とやりたいですね」(東スポWEB)。
58歳が、まだベルトの話をしている。
第三世代は、終わりません。ただ、その一角が8月15日に区切りをつける。それだけの日です。
📺 【ヒストリー】猛牛・天山広吉さん ー激闘、友情、感動―35年の歴史(新日本プロレス公式)
📺 8月15日を振り返って観る
8月15日は、観衆7,777人の超満員札止めで幕を閉じました。いまからでも、アーカイブ配信で立ち会い直せます。
| 方法 | 内容 |
|---|---|
| テレビ | スカパー! テレ朝チャンネル2(CS299)で8月15日(土)に生中継済み。翌16日のG1優勝決定戦、28日の引退特番も同チャンネルで放送済み。今後も新日本の大会中継が続く |
| ネット配信 | NJPW WORLD(新日本公式配信・月額1,298円/Webブラウザ登録の場合)。過去のG1アーカイブも見放題 |
どちらが自分に向いているか、料金・アンテナの有無・加入から視聴までの時間まで比較したのがこちらです。
大会そのものの情報(日程・会場・カード・チケット状況)は→ 天山広吉さんの引退試合まとめ
🐄 ウッシ視点|エースの影で、会社を回している人たちへ
ここからは営業部長の私見です。
会社にも、第三世代がいます。
創業者がいて、その次に会社を大きくしたスター世代がいて、そのあとに「地味だ」と言われながら現場を回している中堅がいる。そしてしばらくすると、若くて華のある世代が下から上がってきて、社内の空気を全部持っていく。
挟まれた世代は、こう言われます。「あの人たちの代は、決め手がなかったよね」と。
でも私は、営業を20年やってきて確信しています。会社がいちばん危ないときに効くのは、スターではありません。落とさない人です。
数字が右肩下がりの年に、既存顧客を1件も飛ばさなかった人。誰も行きたがらない客先に、黙って毎月通っていた人。新規で表彰される人の陰で、土台をゼロにしなかった人。V字回復のグラフは、その人たちが守った「底」から始まっています。
第三世代は、新日本の底を守りました。
永田選手の10度防衛は、ベルトの価値を落とさなかった仕事。天山さんのG1三冠は、看板大会を落とさなかった仕事。小島選手のダブルタイトル戦は、業界にニュースを作った仕事。中西さんの苦節17年目の戴冠は、ファンの希望を落とさなかった仕事。
「エースになれなかった」のではありません。エースがいない時期に、4人でエースの仕事を分け合っていたんです。
そういう人たちに、私はもう一度言いたい。あなたたちの世代がいたから、今があります。
私が打ち上げでお会いした中西さんも永田選手も、そんな顔は一切していませんでした。ただ普通に、よく食べて、ファンに気さくに付き合ってくれていた。それが、いちばんかっこよかった。
8月15日。私も画面の前で立ち会います。
闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄
❓ よくある質問
Q. 新日本プロレスの「第三世代」とは誰のことですか?
A. 一般に永田裕志選手・天山広吉さん・小島聡選手・中西学さんの4人を指します。広義には1990〜1994年デビューの生え抜き世代(金本浩二選手・西村修さん・高岩竜一選手・大谷晋二郎選手ほか)を含みます。
Q. 「第三世代」という呼び名は誰がつけたのですか?
A. プロレス評論家の門馬忠雄さんとされ、「アントニオ猪木さんから直接指導を受けていない三世代目」という意味合いで名付けられたと伝えられています。
Q. 第一世代・第二世代は誰ですか?
A. 数え方に諸説あります。新日本の文脈では第一世代=猪木さんら創成期、第二世代=闘魂三銃士(武藤・橋本・蝶野)と置いて、その次を第三世代と呼ぶのが一般的です。力道山さんを起点にする数え方だと、第三世代は藤波辰爾選手・長州力さんらの世代を指します。
Q. 第三世代の4人でいちばん実績があるのは誰ですか?
A. 単純比較はできませんが、IWGPヘビー級王座は天山さんの4度が最多、連続防衛は永田選手の10度(歴代でもオカダ・カズチカ選手・棚橋弘至さんと3人だけの二桁連続防衛)、G1 CLIMAX優勝は天山さんの3回が最多です。
Q. 第三世代は今どうなっていますか?
A. 中西さんは2020年2月22日に引退。天山さんは2026年8月15日・両国国技館で引退します。永田選手(58歳)と小島選手は現役で、永田選手は2027年のデビュー35周年までの現役続行を明言しています。
Q. なぜ「エースになれなかった世代」と言われるのですか?
A. 前に闘魂三銃士、後ろに棚橋・中邑世代という強烈な世代が並んだためです。ただし4人合計でIWGPヘビー級王座9回戴冠・G1優勝6回という実績があり、団体が最も苦しかった2000年代の最前線を支え続けました。本記事の立場は「エース不在の時期を、4人でエースの仕事を分け合って支えた世代」です。
📝 まとめ
- 第三世代=一般に永田裕志選手・天山広吉さん・小島聡選手・中西学さんの4人。広義には1990〜94年デビューの新日本生え抜き世代
- 命名は門馬忠雄さん。「猪木さんから直接指導を受けていない三世代目」という時間軸のラベルで、強さのランクではない
- 系譜は猪木さんら→闘魂三銃士→第三世代→棚橋・中邑世代(世代の数え方には諸説あり)
- 4人合計でIWGPヘビー級王座9回戴冠・G1 CLIMAX優勝6回。永田選手の10度連続防衛は歴代3人しかいない二桁防衛(史上3位)
- 2005年11月にユークスの子会社になるほど団体が揺れた時期、リングの中心にいたのがこの4人だった
- 2026年8月15日・両国国技館で天山さんが引退。相手は35年前のデビュー戦の相手・小島聡選手
エースの物語だけが、団体の物語ではありません。底を守った人がいたから、上がっていける床が残った。
8月15日、第三世代の一人が、同世代の盟友に見送られてリングを降ります。
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第三世代 4人の全記録
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ひとつ前の世代——闘魂三銃士
8月15日に向けて
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📚 参考・出典(12件)
- Wikipedia:第三世代(プロレス) ── 世代区分の諸説・命名者・メンバー
- 新日本プロレス公式:8月15日(土)両国国技館、“天山広吉引退試合”の対戦カードが決定
- 新日本プロレス公式:IWGPヘビー級王座 歴代チャンピオン
- 新日本プロレス公式:天山広吉さん 選手プロフィール
- プロレスTODAY:「生涯のライバルである小島聡選手とシングルマッチを」天山広吉さんが8.15両国での引退試合の相手を電撃発表
- ENCOUNT:中西学さんの引退表明に第三世代絶句…小島聡「辛い」天山広吉「本当に残念」
- ENCOUNT:“野人”中西学さんが引退発表、2・22後楽園ホールが最後
- 東スポWEB:永田裕志選手がバーネット&ウルフアロンとH.O.T討伐!「来年はデビュー35周年」(永田選手の現役続行への発言)
- Wikipedia:G1 CLIMAX(歴代優勝者一覧)(中西さんの1999年優勝ほか)
- web Sportiva:中西学さんのレスラー人生ヒストリー
- 週刊プロレス(BBM):猛牛の脱水症状で明暗…小島聡が天山広吉さんとの史上初のIWGP&三冠ダブルタイトル戦を制す
- 電撃オンライン:ユークスが新日本プロレスを子会社化(2005年11月14日)
※本記事は2026年8月13日時点の公表情報にもとづいています。世代区分は諸説あり、本記事は新日本プロレスの文脈で最も一般的な用法を採用しています。大会・配信の最新情報は必ず新日本プロレス公式サイトでご確認ください。
─ 産地と現場の仲間へ ─
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