天山vs小島のシングル名勝負|8.15両国が最後になる理由
※本記事はプロモーションを含みます
「引退試合の相手が小島聡選手なのは、テンコジだからでしょ?」
「タッグの相方と最後に戦うって、そんなに珍しいこと?」
この2つの質問に、タッグの話を一切使わずに答えます。
天山広吉さんと小島聡選手は、組んだ回数と同じくらい、正面から潰し合ってきた2人です。しかもその潰し合いのほうが、記録として重い。ベルトも、G1も、骨折も、全部シングルの土俵で起きています。
結論:8.15の相手が小島聡選手である理由は、シングルの記録に全部書いてある
- 始まりがシングル——1991年7月16日、小島選手のデビュー戦の相手が山本広吉(現・天山広吉さん)
- 日本プロレス史に残る一戦もシングル——2005年2月20日・両国国技館、史上初のIWGP&三冠ダブルタイトル戦(59分45秒、小島選手が制す)
- 返し方もシングル——2005年5月14日・東京ドームで天山さんがIWGPヘビー級王座を奪還
- 頂点の決着もシングル——2006年8月13日・両国国技館、G1 CLIMAX優勝決定戦で天山さんが勝利し3度目の優勝
- 仲直りの前にもシングル3連戦——2011年8月・10月・11月に3試合を戦い、その直後に再々結成
つまり2026年8月15日・両国国技館は、35年続いた「シングルの物語」の最終章です。タッグの花道ではなく、決着戦の系譜のほうにこの試合は並びます。
🐄 (小声:私も同期とは、飲む回数より査定で殴り合った回数のほうが多いです。営業部あるある)
この記事でわかること
- 天山広吉さんと小島聡選手のシングル対決を時系列で(出典で確認できたもののみ)
- 2005年2月20日のダブルタイトル戦がなぜ「史上初」なのかと、決着の異常な形
- 2005年5月14日・東京ドームでの王座奪還
- 2006年G1 CLIMAX優勝決定戦の意味
- 2011年の3連戦→再々結成という不思議な流れ
- 8月15日の引退試合をリアルタイムで観る方法
1991年7月16日|天山vs小島の関係は、シングルから始まった
順番として、ここを最初に置かないと話が始まりません。
小島聡選手のデビュー戦の相手が、山本広吉——のちの天山広吉さんでした。1991年7月16日のことです。
天山さんのデビューは同じ1991年の1月11日。半年ぶんだけ先輩の若手が、新人の初陣の相手として立った。プロレスの世界ではよくある配置ですが、35年後に振り返ると意味が変わってきます。
小島聡選手というレスラーが初めてリングで向き合った人間が、天山広吉だった。
そして最後に向き合う相手も、天山広吉さんになる。
🐄 (小声:入社初日に教育係だった先輩と、定年の日に一騎打ち。字面だけ見ると社内でいちばん揉めてる部署です)
この2人はその後、1999年1月4日にIWGPタッグ王座を奪ってタッグチーム「テンコジ」として名を上げていきますが——そちらの27年史は テンコジとは?結成・解散・2度の再結成、27年の記録 にまとめました。この記事では、あえて組まなかったほうの歴史だけを追います。
2005年2月20日|天山vs小島、史上初のダブルタイトル戦(両国国技館)
2人のシングル史における最大の一戦は、間違いなくこれです。
形式:史上初のIWGP&三冠ダブルタイトルマッチ(60分1本勝負)
結果:59分45秒、天山さんの脱水症状によるKO負け/小島選手の勝利
その後:小島選手が第41代IWGPヘビー級王者となり、新日本と全日本の最高峰王座を同時保持
なぜ「史上初」だったのか
当時、新日本プロレスの最高峰がIWGPヘビー級王座、全日本プロレスの最高峰が三冠ヘビー級王座。日本のメジャー2団体のトップベルトが、1つのリングで同時に懸けられたことはありませんでした。
そして小島選手は、この試合の4日前(2005年2月16日)に全日本で川田利明さんを破って三冠王者になったばかり。ベルトを巻いた足で、古巣・新日本のリングに乗り込んでいったわけです。
段取りとして、無茶です。4日で2つの頂点を獲りにいく。営業でいえば、月末最終日に大型案件をクロージングして、その足で他社のコンペに飛び込んで勝つようなものです。
🐄 (小声:私だったら4日前に契約が取れた時点で焼肉に行って終わってます)
決着の形が、この試合を伝説にした
そして、この試合が語り継がれている最大の理由は決着の形です。
59分45秒。制限時間60分まで、残り15秒。
そこで天山さんが急激な脱水症状に襲われ、動けなくなりました。KO負け。60分フルタイムを戦い抜いたその15秒前に、肉体のほうが先に終わった。
時間切れ引き分けなら、天山さんはベルトを守れていました。15秒耐えれば防衛だった。逆に小島選手は、あと15秒でこの偉業が消えていた。両メジャーの頂点を同時に巻いた男が生まれるかどうかが、15秒に懸かっていたということです。
勝った小島選手にとっても、後味の良い勝ち方ではなかったはずです。それでも記録は記録として残り、「IWGPヘビー級王座と三冠ヘビー級王座を同時に保持した選手」という一行は、いまも小島聡選手だけのものです。
この試合の背景と小島選手側から見た物語は 【闘魂列伝㉛】小島聡|“剛腕”ラリアットと「いっちゃうぞ、バカヤロー!」 に、天山さん側からの視点は 【闘魂列伝㉚】天山広吉さん|モンゴリアンチョップと共に35年 に書いています。同じ試合を2人ぶん読むと、けっこう景色が違います。
なお私はこの試合を映像で観ました。生では観ていません。それでも、試合が止められた瞬間の会場のどよめきは、画面越しでもはっきり伝わってきました。歓声でも悲鳴でもない、「え?」という声が両国に充満していた。
2005年5月14日|東京ドームで天山さんが奪い返した
こういう終わり方をした試合には、続きが要ります。
結果:19分34秒、変形TTDで天山さんが勝利
その後:天山さんが第42代IWGPヘビー級王者に返り咲き
2月に倒れた男が、3か月弱でドームのメインに戻ってきて、獲り返した。しかも決め手はTTD(天山さんの代名詞のひとつ)。自分の技で、自分のベルトを回収しています。
2005年の大一番2試合は、これで1勝1敗。
そして重要なのは、この2試合で「天山vs小島はシングルでメインを張れる」ということが証明されたことです。両国のメインと東京ドームのメイン。タッグチームの相方という肩書きを外しても、この2人は最上段のカードとして通用する。
その事実が、21年後の8月15日に効いてきます。
TTDという技そのものについては TTDとは?やり方を図解で解説|天山広吉さんの脳天直撃 にまとめています。8月15日の引退試合を観返すときも、この技を知っておくと画面の前で「あ、来た」となれます。
🐄 (小声:3か月で借りを返す男と、3か月で返信を返せない私。同じ人間とは思えない)
2006年8月13日|G1 CLIMAX優勝決定戦という決着(両国国技館)
そして翌年、2人は真夏の祭典の頂上で再会します。
結果:天山さんが勝利
記録:天山さんにとって3度目のG1 CLIMAX優勝。この年の優勝でG1を制した回数は歴代屈指の3回に
天山さんのG1優勝は2003年・2004年・2006年の3度。2003年は決勝で秋山準選手を、2004年は棚橋弘至さんを破っての優勝でした。
そして3度目の相手が、小島聡選手。
G1というのは、その年の新日本でいちばん強い男を決める大会です。そこの決勝に2人が並んだということは、この年の新日本の頂上が「天山vs小島」だったということでもあります。しかも天山さんは1敗もしていない。
2005年2月の脱水KOから1年半。倒れた場所から始まって、勝ち上がって頂点に立ち、しかも最後に倒したのが自分を倒した男。物語として整いすぎていますが、実際にそうなっています。
G1という大会そのものの仕組みは G1 CLIMAX 2026完全ガイド にまとめました。8月15日はまさにそのG1の会期中、準決勝の日に引退試合が組まれています。
2011年|天山vs小島の3連戦、そして再々結成
ここが個人的にいちばん好きな時期です。2011年、2人は1年のうちに3回シングルで戦っています。
① 2011年8月14日・両国国技館(G1 CLIMAX公式戦)
G1で同じブロックに入り、公式戦で激突。天山さんがオリジナルTTDでピンフォール勝ちを収めました。
ただしこの試合で、小島選手は右目の眼窩底骨折と診断され、欠場に入ります。2006年の決勝から5年、久々のシングルが、そういう試合になった。
② 2011年10月10日・両国国技館『DESTRUCTION』(小島選手の復帰戦)
そして復帰の第1戦に、再び天山さんを選びます。
欠場明けの試合というのは、普通は慎重に組むものです。相手も、内容も。そこに自分を骨折させた相手をぶつけてくれと持っていく。結果は小島選手がラリアットで勝利。借りは、借りた相手にきっちり返しています。
ラリアットという技の系譜については ラリアットとは?剛腕・ウエスタンとの違いを図解で解説 をどうぞ。
③ 2011年11月12日・大阪『POWER STRUGGLE』(決着戦)
1勝1敗になったので、決着戦。15分49秒、天山さんがムーンサルトプレスで勝利しました。
そして試合後です。天山さんが飯塚高史さんに襲撃されたところへ、いったんエプロンに下がっていた小島選手がリングに戻り、飯塚さんを追い払っています。
3試合殴り合った直後に、助けに戻る。
そして11月27日、再々結成
この決着戦から15日後の2011年11月27日、小島選手の呼びかけに天山さんが応じ、テンコジが再々結成されます。
つまりこの2人、タッグに戻る前に、必ずシングルで殴り合っているんです。話し合いでも握手でもなく、3試合。順番としては「潰し合う → 組む」。テンコジという看板は、そのたびに殴り直して作られています。
🐄 (小声:うちの部で衝突した2人に「まず3試合やってこい」と言ったら人事に呼ばれます。プロレスだけに許された和解の手続き)
再々結成後のテンコジは、2012年1月4日・2012年7月22日・2013年5月3日・2017年3月6日と4度もIWGPタッグ王座に返り咲いています。40代に入ってからの黄金期です。ここは テンコジ27年の記録 に詳しく書きました。
天山vs小島シングル対決 年表
確認が取れたものだけを並べます。
| 日付 | 会場・大会 | 内容 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 1991年7月16日 | — | 小島選手のデビュー戦(相手=山本広吉/現・天山広吉さん) | — |
| 2005年2月20日 | 両国国技館 | 史上初 IWGP&三冠ダブルタイトル戦 | 59分45秒 KO/小島選手 |
| 2005年5月14日 | 東京ドーム『NEXESS』 | IWGPヘビー級選手権 | 19分34秒 変形TTD/天山さん |
| 2006年8月13日 | 両国国技館 | G1 CLIMAX 優勝決定戦 | 27分36秒 オリジナルTTD/天山さん(3度目の優勝) |
| 2011年8月14日 | 両国国技館 | G1 CLIMAX 公式戦 | オリジナルTTD/天山さん |
| 2011年10月10日 | 両国国技館『DESTRUCTION』 | 小島選手の復帰戦 | ラリアット/小島選手 |
| 2011年11月12日 | 大阪『POWER STRUGGLE』 | 決着戦 | 15分49秒 ムーンサルトプレス/天山さん |
| 2026年8月15日 | 両国国技館 | 天山広吉さん 引退試合 | — |
※上記は本記事で出典を確認できた試合のみです。両選手のシングル対戦はこれ以外にも記録されていますが、日付・結果を一次寄りの情報源で確認できなかったものは掲載していません。
この表を眺めていて気づくことが1つあります。
両国国技館が多すぎる。
2005年2月、2006年8月、2011年8月、2011年10月——確認できた主要なシングルのうち4試合が両国です。そして2026年8月15日も両国国技館。
この2人にとって両国は、決着をつける場所です。
なぜ引退試合の相手が小島聡選手なのか
ここまでの記録を踏まえると、答えは1つに絞られます。
- 最初の相手だから——1991年、小島選手のデビュー戦の相手が天山さんだった
- 最も重い試合を一緒に作った相手だから——史上初のダブルタイトル戦、G1決勝、IWGP選手権
- シングルで決着をつける関係だから——2011年も、殴り合ってからタッグに戻っている
天山さんは引退試合の発表時に、小島聡選手を「生涯のライバル」と表現したと報じられています。相方ではなく、ライバル。
タッグの相方だから最後に組む、ではないんです。逆です。
35年で最も多く肩を並べた相手を、最後は向かい側に立たせる。テンコジという看板を自分の手で外して、1991年の最初の一騎打ちと同じ形に戻してから終わる。
引退試合の日程・会場・チケット状況などの確定情報は 天山広吉さんの引退試合はいつ・どこで・相手は誰? に、2人だけが出せる合体技の構造は テンコジカッターとは?やり方を構造から分解 にまとめています。合体技のほうは、8月15日は2人が敵同士で向かい合うシングル戦のため出番がありません。つまりタッグでのテンコジカッターは、すでに見納めを迎えている可能性があります。
🐄 ウッシ視点:同期と最後に戦うということ
私は営業部長なので、どうしてもこの構図を会社に置き換えて考えてしまいます。
同期って、味方でも敵でもないんですよ。
同じ年に入って、同じ研修を受けて、同じくらい怒られる。だから助け合う。でも数字は並べられるし、席順も決まるし、どこかで必ず追い越すか追い越される。助けてくれる相手が、そのまま自分を落とす相手でもある。
天山さんと小島選手の記録を並べていて、そこがいちばん刺さりました。
この2人、ベルトを一緒に6回獲って、2005年以降のシングルでも6度ぶつかっている。2005年2月は小島選手が天山さんを倒してベルトを奪い、5月には天山さんが獲り返した。2011年は骨を折らせて、その相手に復帰戦で負けている。仲がいいとか悪いとかの話じゃない。両方が全力だと、こうなるというだけです。
私には、営業を20年やってきて、いまだに数字で並べられる同期がいます。飲めば楽しい。でも期末の会議では、そいつの数字が私の数字の隣に映る。あれは友情でも敵意でもない、もっと面倒くさくて、もっと有り難い関係です。
🐄 (小声:ちなみに私は先月負けました。焼肉をおごらされました。骨折はしていません)
35年やって、最後に呼ぶ相手がその人だった。これ以上の評価はないと思います。
8月15日、その最終章をリアルタイムで観る
年表の最後の行が埋まるのが、2026年8月15日(土)・両国国技館です。
チケットは完売と報じられています。ただ、会場に行けなくても見届ける方法は残っています。テレビの生中継とネット配信の両方があります。
アンテナの落とし穴、ネット配信(NJPW WORLD)との比較、8月28日の引退特番まで含めた観方は、こちらに全部まとめてあります。申し込む前に一度読んでおくと、当日あわてません。
👉 🐄 天山広吉さんの引退試合を生中継で観る方法|8.15両国G1
❓ よくある質問
Q1. 天山さんと小島聡選手は、シングルで何回戦っていますか?
本記事では出典で確認できた7試合(1991年のデビュー戦を含む)を掲載しています。両選手のシングル対戦はこれ以外にも記録されていますが、日付・結果を確認できなかったものは載せていません。タイトルやトーナメントが懸かったシングルは、2005年に2試合(ダブルタイトル戦・IWGP戦)、2006年に1試合(G1優勝決定戦)、2011年に1試合(G1公式戦)。2011年はこのほかノンタイトルの復帰戦・決着戦で2試合戦っています。
Q2. 2005年2月20日のダブルタイトル戦は、どちらが勝ったんですか?
小島聡選手です。59分45秒、天山さんが脱水症状でKO負けという決着で、小島選手が第41代IWGPヘビー級王者になりました。三冠ヘビー級王座と合わせ、新日本と全日本の最高峰王座を同時に保持した形です。制限時間60分まで、残り15秒でした。
Q3. そのベルトはその後どうなりましたか?
2005年5月14日・東京ドームで天山さんが挑戦し、19分34秒、変形TTDで勝利してIWGPヘビー級王座を奪還しました(第42代)。2月の借りを3か月弱で返した形になります。
Q4. G1 CLIMAXで2人が決勝で当たったのはいつですか?
2006年8月13日・両国国技館の優勝決定戦です。天山さんが勝利し、3度目のG1優勝を果たしました。
Q5. 2011年に3回もシングルで戦っているのはなぜですか?
8月14日のG1公式戦で天山さんが勝利した際、小島選手が右目の眼窩底骨折で欠場。10月10日の復帰戦で小島選手が勝ち返し、1勝1敗になったため11月12日に決着戦が組まれました。その決着戦の直後、11月27日にテンコジが再々結成されています。
Q6. 8月15日の試合は、シングルマッチで確定ですか?
天山広吉さん vs 小島聡選手のシングルマッチとして発表されています。天山さん本人が2026年7月18日のG1大会で発表しました。詳細は 引退試合はいつ・どこで・相手は誰? にまとめています。
まとめ:年表の最後の1行
この記事の要点
- 2人の関係は1991年7月16日のシングル(小島選手のデビュー戦)から始まった
- 2005年2月20日・両国、史上初のIWGP&三冠ダブルタイトル戦は59分45秒で小島選手
- 2005年5月14日・東京ドームで天山さんがIWGPを奪還
- 2006年8月13日・両国、G1決勝で天山さんが3度目の優勝
- 2011年は3連戦のあと再々結成——この2人は殴ってから組む
- そして2026年8月15日・両国国技館が、その年表の最後の行になる
タッグチームの解散試合ではありません。35年続いたシングルの決着戦です。
1991年に新人だった男が、35年ぶんの記録を全部積んだうえで、最初の相手ともう一度向かい合う。この形を用意できるレスラーは、そう多くありません。
8月15日、両国国技館。年表の最後の1行に、何が書かれるのか。
マイペースにいきましょう🐄 ——と言いたいところですが、この日ばかりは前のめりで観ます。
📚 参考・出典(9件・2026年8月10日確認)
- 週刊プロレス昔話(ベースボール・マガジン社):猛牛の脱水症状で明暗…小島聡が天山広吉さんとの史上初のIWGP&三冠ダブルタイトル戦を制す(2005年2月20日の試合時間59分45秒・KO決着・史上初のダブルタイトル戦であること・小島選手が4日前に三冠を獲得していたこと)
- Wikipedia:天山広吉(デビュー日1991年1月11日/IWGPヘビー級王座4度戴冠(第33・35・40・42代)/G1優勝3回(2003・2004・2006)/2005年5月14日の王座奪還/2011年の3試合の結果)
- Wikipedia:小島聡(デビュー1991年7月16日・相手は山本広吉/2005年2月16日に川田利明さんを破り三冠獲得/第41代IWGPヘビー級王者として両団体の至宝を同時保持)
- Wikipedia:テンコジ(2011年G1公式戦の決着=オリジナルTTD・小島選手の右目眼窩底骨折/10月10日両国での小島選手のラリアット勝ち/11月12日大阪の決着戦・ムーンサルトプレス/11月27日の再々結成/再々結成後のIWGPタッグ戴冠日)
- Wikipedia:IWGPヘビー級王座(第41代・小島聡=2005年2月20日両国国技館/第42代・天山広吉=2005年5月14日東京ドーム)
- Wikipedia(英語版):Power Struggle (2011)(2011年11月12日・大阪府立体育会館/天山さんが15分49秒で勝利)
- The SmackDown Hotel:NJPW G1 Climax 2006 Finals(2006年8月13日・両国国技館/優勝決定戦で天山さんが小島選手に勝利)
- 新日本プロレス公式DVD:天山広吉・小島聡 デビュー20周年記念DVD-BOX 収録内容(2005.2.20/2005.5.14/2006.8.13/2011年の各シングルを新日本公式が収録試合として列挙)
- 補足:2005年5月14日『NEXESS』東京ドーム大会の試合時間19分34秒・決まり手(変形TTD)は prowrestlingdaisuki.net の大会結果 を参照しました(勝敗と王座移動はWikipedia:IWGPヘビー級王座と照合済み)
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