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長与千種|髪を賭けた少女が、団体をつくる人になるまで
— 女傑列伝 —

長与千種|髪を賭けた少女が、団体をつくる人になるまで

USSIBLOG

※本記事はプロモーションを含みます

「Netflixの『極悪女王』で、ダンプ松本にやられてた側の人。あの人って今どうしてるの?」

「長与千種って、レスラーなのか社長なのか、結局どっち?」

答えを先に置いておきます。両方です。そして2026年7月時点で、61歳の長与千種は女子プロレス団体マーベラスの代表として、いまも会場のリングサイドに立っています。

⚡ 30秒で分かる長与千種

  • 長与千種(ながよ ちぐさ)=1964年12月8日生まれ、長崎県大村市出身。2026年7月時点で61歳
  • 1980年8月8日デビュー。1984年8月にライオネス飛鳥とクラッシュギャルズを結成し、女子中高生を巻き込んだ社会現象の中心になった
  • 1985年8月28日・大阪城ホールでダンプ松本に敗れ、髪を刈られる。1年余り後の1986年11月7日に同じ会場で勝ち、刈り返した
  • 1989年5月6日・横浜アリーナで引退(当時24歳)→1993年11月に復帰→1994年に自身の団体GAEA JAPANを設立し、里村明衣子ら次世代を育てた
  • 2016年にマーベラスを旗揚げ。2026年は旗揚げ10周年。2026年7月26日の千葉・船橋大会でもコメントを出しており、健在です

このブログの女子プロレス列伝では、アスカ紫雷イオ(IYO SKY)ジュリア栗原あゆみ、そしてダンプ松本豊田真奈美を書いてきました。ダンプ編は「悪役を全うした人」の話でした。今回はその反対側に立っていた人の話です。

ひとつ正直に断っておきます。ウッシはクラッシュギャルズの全盛期を、リアルタイムでは一切知りません。1985年の大阪城ホールは、ウッシが生まれる前後の出来事です。プロレスとの出会いはプレステの「闘魂列伝」(1995年)で、当時8〜9歳。この記事は映像と記録で後追いした人間が書いています。当時テレビの前でペンライトを振っていた世代の方には物足りない部分があるはずです。それでも、知らない世代に向けて残しておきたい選手です。

この記事でわかること

  • 長与千種の経歴を、デビューから2026年の現在まで一本の線で
  • 「社会現象」が具体的にどれくらいの規模だったのか(放送枠・動員・年間試合数)
  • 髪切りマッチを「賭けた側」の理由——なぜ髪を差し出したのか
  • 引退→復帰→団体設立と、選手を育てる側に回った流れ
  • Netflix『極悪女王』で誰が長与千種を演じたのか、本人はどう関わったのか
  • 2026年7月時点の活動(8月8日・後楽園にかかっている公約まで)

📋 長与千種 プロフィール

項目内容
リングネーム長与千種(ながよ ちぐさ)※本名
生年月日1964年12月8日(2026年7月時点で61歳)
出身長崎県大村市
身長/体重167cm / 71kg(公称・資料記載時点)
デビュー1980年8月8日(全日本女子プロレス/田園コロシアム・対大森ゆかり)
同期「55年組」=ライオネス飛鳥、ダンプ松本(当時は松本香)、クレーン・ユウ ほか
代表タッグクラッシュギャルズ(1984年8月結成/相棒:ライオネス飛鳥)
主なタイトルWWWA世界シングル王座、WWWA世界タッグ王座、オールパシフィック王座、AAAWヘビー級王座 ほか
引退→復帰1989年5月6日引退(横浜アリーナ) → 1993年11月に復帰 → 2005年4月10日に再び引退
設立した団体GAEA JAPAN(1994年8月25日設立・2005年4月10日解散)/マーベラス(2016年旗揚げ)
現在マーベラス代表。選手育成と興行のプロデュースが主軸(2026年7月時点)

📝 ここがポイント:長与千種の経歴は「クラッシュギャルズの人」で止めると半分も見えません。選手としてのキャリアより、団体をつくって人を育てた年数のほうが長いからです。1994年のGAEA設立からの32年間、この人はほぼ一貫して「経営者兼指導者」をやっています。ここを押さえると、2026年の発言の重みが変わります。

★★★★★ 女子プロレス列伝 VOL.8
長与千種
"炎の聖書" / クラッシュギャルズのエースから、団体をつくる人へ
👁 見た目
短く刈り上げたショートヘアと、細く締まった身体。当時の女子プロレスの「アイドル」像とは真逆の、格闘技寄りの佇まいでリングに立った。蹴りとスープレックスを軸にした攻めは速く、当たりが硬い。血と汗で顔が汚れても前に出続ける姿が、客席の女子中高生に「自分たちの代表」と映った。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー7
⚡ スピード9
🎯 テクニック9
🔋 スタミナ10
🔥 情の厚さ10
👑 カリスマ10
🥋 得意技
ランニングスリー 二段蹴り フライングニールキック タイガースープレックス デスバレーボム サソリ固め
👑 主な戴冠・軌跡
1984クラッシュギャルズ結成相棒:ライオネス飛鳥
1986敗者髪切りマッチ勝利vs ダンプ松本(11.7 大阪城ホール)
1994GAEA JAPAN設立選手から経営・育成へ
2016マーベラス旗揚げ2026年で10周年
💥 代名詞
ランニングスリー
走り込みからの連続攻撃で相手を畳みにかかる、長与らしい前へ出る攻め。ほかにも蹴り技、タイガースープレックスサソリ固めまで幅広く操った。技の派手さより「効かせ方」で客席を掴んだタイプ。

🌱 月給1万円、あだ名は「チコさん」

期待されて入ったわけではない

長与千種は中学卒業後に全日本女子プロレスへ入門し、1980年8月8日、田園コロシアムでデビュー。相手は大森ゆかりでした。

この年の入門者はのちに「55年組」(昭和55年組)と呼ばれます。ライオネス飛鳥、クレーン・ユウ、そして後のダンプ松本(当時は松本香)。つまり、国民的人気者になるクラッシュギャルズと、国民的悪役になるダンプ松本は、同じ年に同じ場所からスタートした同期です。

ただ、この時点で長与にスポットライトは当たっていません。募集記事の「月収10万円」に釣られて入ったら、初めての給料はわずか1万円だったという生活。新人時代は「落ちこぼれ」と見られ、あだ名は「チコさん」。経営側からは「お前はオシャカだ」と言われ続けたと、本人が後年語っています。

1983年1月4日の試合を前に、彼女が抱えていた気持ちは、好きなように殴り、好きなように蹴って終わりたい——という心境だったと記録されています。つまり、辞めるつもりだった人が、辞める前提で開き直った。ここが全部の起点です。

🐄 ウッシの小声:この「もう辞めるつもりで、好きなようにやった」が転機になる話、営業の現場でもたまに起きます。ウッシも21歳でドライバーから営業に上げてもらった直後、メーカー研修で「お前ら代理店は営業失格だ」とボロクソに言われて、報告会で言えたのが「毎日がんばりました」だけでした。あの時に開き直れていれば……いや、当時のウッシはただ震えていました。開き直りにも実力が必要です。

「引退覚悟の試合」がクラッシュを生んだ

面白いのは、クラッシュギャルズの結成理由がポジティブな話ではないことです。長与が引退するつもりでいた矢先、ライオネス飛鳥と意気投合し、引退覚悟で臨んだ試合がきっかけになったと記録されています。

コンビとしての出発は1983年。「クラッシュギャルズ」の名で本格的に走り出したのが1984年8月です。(ゆえに2023年10月には「結成40周年」名義の記念ライブが開かれています)

後がない2人が組んだら時代が動いた。プロレスというジャンルは、こういう筋書きを本気で拾ってくれる場所です。

📺 「社会現象」を数字で見る

「昭和の女子プロレスは人気があった」と言われても、いまの感覚では規模が掴めません。確認できる数字だけ並べます。

指標実際
テレビ放送フジテレビが毎週月曜19時00分〜19時30分のゴールデン枠でレギュラー放送(1984年7月9日〜1986年9月22日)
レコードデビュー1984年「炎の聖書」(ビクター)。歌手としても活動
音楽賞’85 FNS歌謡祭で優秀歌謡音楽賞を受賞
ドラマ出演1985年・TBS系『毎度おさわがせします』出演をきっかけに人気が爆発
会場動員1985年8月28日・大阪城ホールに1万1000人(満員)
年間試合数本人たちの振り返りによれば最多で年間310試合
客席カラフルなハッピにポンポンとペンライト。「チーグサッ」「アースカッ」と叫ぶ女子中高生の親衛隊

プロレス会場が女子中高生で埋まる。しかも黄色い声で。この光景は、前も後もほとんど例がありません。ウッシが後年映像で観たときの第一印象は「これアイドルのコンサート会場に、なぜかリングが置いてある」でした。

🧮 小ネタ:年間310試合って、どれくらい異常なのか
1年は365日。310試合ということは、休みが年間55日しかない計算になります。週休2日なら年間休日は104日前後ですから、その約半分。しかもこの間に歌番組、ドラマ、雑誌の取材が挟まります。移動は当然バス。
現代の団体で年間試合数が100を超えれば「ハードスケジュール」と言われる時代です。数字の桁が違います。人気の代償を、そのまま身体で払っていた時代でした。

🐄 ウッシの小声:年間310試合と聞いて、営業の稼働日数と比べてしまいました。ウッシの年間稼働は約240日。それでも金曜の夜は指1本動かせません。しかも家に帰ると双子が全力で待機しています。あの時代の彼女たちは、310日殴り合ってから歌番組で笑っていたわけです。勝てる要素がひとつも見つかりません。

✂️ 髪を賭けた側の理由

ダンプ松本との抗争は、ダンプ松本の記事で「悪役側の視点」から詳しく書きました。試合の細かい経過や、極悪同盟の成り立ちはそちらを読んでください。ここでは賭けた側・長与千種の視点だけを書きます。

なぜ髪を差し出したのか

まず前提として、髪切りマッチは長与にとって「盛り上がるから」やった試合ではありません。

当時の女子プロレスは、いまと違って「まともな競技として見られていなかった」側面がありました。長与が後年のインタビューで語っているのは、自分たちのプロレスを認めさせるためという一点です。認めさせるための代償として、女性にとって軽くはないもの——髪を差し出した。

ここが冷静に考えるとすごい話です。彼女は当時20歳。「髪を賭けないと、真剣に見てもらえない」という認識のもとで、賭けに行った。盛り上げるためではなく、認めさせるために。

1985年8月28日/大阪城ホール——負けた日

観衆1万1000人。11分4秒、ダンプ松本のKO勝ち。長与は凶器攻撃で大流血しながら奮闘し、イスでの殴打を受けてカウント10を聞きました。

この試合でウッシが一番きついと思うのは、結果ではなく途中の一コマです。セコンドのジミー加山がタオルを投げ入れたのに、長与はそれを投げ返した。「まだやれる」と。止めに来た人の手を振り払って、結果的に10カウントまで行っています。

そして試合後、リング上で髪を刈られる。大阪城ホールは阿鼻叫喚になり、中継したテレビ局には抗議が殺到したと記録されています。

映像で観ると、泣き叫んでいるのは客席の女子中高生です。自分が応援していた人が、目の前で髪を刈られる。あれを10代で目撃した人の記憶が40年残るのは当然だと思います。

🐄 ウッシの小声:ウッシはこの試合を「後追いで観た人間」なので、当時の温度は語れません。ただタオルを投げ返した1カットだけは、初めて観たときに椅子から少し身を起こしました。ここで受け取っておけば髪は残ったのに、受け取らなかった。得より意地を選ぶ人が、後で団体をつくるんです。

1986年11月7日/同じ大阪城ホール——刈り返した日

そして1年余り後、同じ会場での再戦。今度は長与千種が勝ちます。額を切り裂かれ、一斗缶での殴打やパイルドライバーでフォール寸前まで追い込まれながら、カウント8で立ち上がり、最後は丸め込みで勝利。ダンプは腕を組んでイスに座り、堂々と髪を刈られました。

賭けた側が、1年かけて取り返した。物語としてこれ以上の回収はありません。

なお、この抗争を「仲が悪かった2人の私怨」と読むのは正確ではありません。1988年のダンプ松本の引退特別試合では、試合後にダンプが「長与、来い!」と呼びかけ、怨敵同士が組んで5分間のエキシビションをやっています(時間切れ引き分け)。詳しくはダンプ松本編に書きました。

🥋 1989年、24歳での引退

「25歳定年制」という時代

長与千種は1989年5月6日、横浜アリーナで引退します。当時24歳。全盛期どころか、まだ選手として上がり切っていない年齢です。

理由として記録されているのは、他団体との対抗戦実現を「全女にメリットがない」と会社側に拒否されたこと、そして当時存在した「25歳定年制」による肩叩きです。つまり本人が辞めたかったから辞めたわけではない構造がありました。

引退興行は異例の作りで、プロレス界で初とされる2面リングが設営され、前半戦と後半戦の間にクラッシュギャルズのファイナルライブが挟まれています。試合はライオネス飛鳥と組み、北斗晶&西脇充子と対戦したと伝えられます。

相棒のライオネス飛鳥も同年夏に引退(本人談では8月24日・後楽園ホール。資料により1990年とするものもあります)。クラッシュギャルズは、ここで一度終わります。

後年、長与はこの時代の全女について、「全女ってブラックで…これ初めて言うことだけどね」と語り、トップ選手でも平気で底辺まで落とす会社だった、という言い方をしています。40年経ってから出てきた言葉です。

📌 ここが分岐点:24歳で、自分の意思ではないタイミングで辞めさせられた選手が、その後自分で団体をつくり、25歳定年もない場所を用意した。長与千種の経営者としての動機は、たぶん全部ここに置いてあります。恨みを制度で解決しにいったタイプです。

🏗 GAEA JAPAN——「育てる人」への転職

1993年復帰、1994年に自分の団体

長与は1993年11月に現役復帰します。そして翌1994年8月25日、自身の団体GAEA JAPANを設立。旗揚げ戦は1995年4月15日、後楽園ホールでした。

ここからの長与千種は、レスラーとしての顔よりもスカウト・トレーナー・経営者としての顔が主役になります。

15歳のデビューと、育成の実際

GAEA JAPANの旗揚げ戦で象徴的だったのが、里村明衣子のデビューです。1994年のオーディションに合格し、1995年4月15日・後楽園ホールで加藤園子を相手に、15歳でデビュー。当時の日本女子プロレス界で最年少とされました。

このオーディションには13人の練習生が残り、そこから旗揚げデビューの枠を争ったと記録されています。里村は長与の付き人としてハードな下積みを踏んでからリングに上がりました。

そして育てた選手たちのその後がすごい。里村明衣子はセンダイガールズを率いる立場になり、2025年に30年のキャリアを終えて引退。加藤園子も30年のキャリアを走り切りました。「1人の名選手」ではなく「団体を背負える人」を複数輩出しているのが、長与の育成の特徴です。

GAEA JAPANは2005年4月10日に解散。長与自身もこのとき2度目の引退をしています。10年で畳んだのは失敗ではなく、区切りの付け方でした。

🐄 ウッシの小声:ウッシは営業歴トータル20年目で、いまは運送会社の営業部長です。人を育てる側に回って痛感するのは、「自分で売る」より「売れる人を作る」ほうが100倍しんどいということ。自分が動けば数字は出ます。人を動かして数字を出すのは、出るまでの時間が読めません。長与千種が32年やっているのは、その読めないほうです。

🎪 マーベラス——2026年で旗揚げ10周年

一日限定復帰から、新団体へ

2014年3月22日、大田区総合体育館でのプロデュース興行「That’s女子プロレス」で一日限定の選手復帰。同年、新団体設立を発表します。

そして2016年5月3日、豊洲PITでマーベラスの旗揚げ戦「WALK THIS WAY!」。プロジェクションマッピングを使った演出で、「ドラマティックな女子プロレス」を掲げたスタートでした。

団体設立の背景として語られているのは、全日本女子プロレスの元会長・松永高司氏(2009年没)が残した「長与はすごい星だ」という言葉を北斗晶から伝えられたこと、そして父が臨終に残した「たったひとりでいいから、選手をつくれ。もう一度、見せてくれよ」という言葉——この2つを背負ったことでした。

📺 マーベラス旗揚げ10周年の記念日特別配信(Marvelousプロレス公式チャンネル)

「同じ人は一人としていらない」

2026年7月17日に公開された東スポのインタビューで、マーベラス代表としての長与千種(61歳)が、愛弟子・彩羽匠への指導方針をこう語っています。

「弟子だからこそ、どんどん叩き落としていくよ」「今、もがくところをしっかりやんないとダメなんだ」

さらに全女式の育て方について、「選手にどれだけお金かかってるの。全女はかけてなかったんだ。それで化け物が出来上がっていく」と説明。10周年という節目についても「富士山で言えば5合目。ここからまだきつくなると思います」と言い切っています。

そして日本武道館を「エベレスト」に例えたうえで、こう続けます。「同じ人は一人としていらない」

同じ育て方で同じ型の選手を並べるのではなく、全員違う形にする。育成の思想として、ここまではっきり言い切る人はそう多くありません。

🐄 ウッシの小声:「同じ人は一人としていらない」は、部下を持つ人間には効きます。ウッシはつい自分と同じ売り方を教えたくなるんですが、それをやると自分の劣化コピーが増えるだけなんですよね。ちなみにウッシの新人時代の教えは「ミッキーマウスはぬいぐるみを着たらミッキーになる。自分が思う良い営業マンのぬいぐるみを着て、なりきれ」でした。だから牛の被り物でブログを書いています。教えを守りすぎた例です。

📅 2026年7月時点の「現在」

ここが一番知りたい人が多いところなので、確認できた最新情報だけ書きます。

5月:クラッシュ2026として、1年ぶりにリングへ

2026年5月5日、横浜BUNTAIで行われたマーベラス10周年大会で、長与千種が約1年ぶりにリングに復帰。「クラッシュ2026」としてタッグ名も復活し、ライオネス飛鳥がセコンドに就きました。満員でした。

ただし試合後、長与は「私はもうやらない。もう無理」と語っています。そして今後については「あと何人を育てられるかな。それだけが楽しみ」。選手としての幕引きと、育成宣言を同じ日に済ませた形です。

8月8日・後楽園ホールにかかっている公約

その5月の大会で、長与は日本武道館進出を宣言しました。条件つきです。

まずは2026年8月8日の後楽園ホール大会を満員にすること。長与本人の言葉はこうです。「志を高く持たないと、プロレスはつまらなくなる」。

満員なら武道館へ。売上目標を客席に丸ごと預けるやり方で、営業の人間としては震えます。逃げ道がありません。

7月26日:船橋大会での言葉

そして直近です。2026年7月26日、千葉・船橋大会で永島千佳世が頭部を強打して緊急搬送される事態が発生。試合後、長与は状況をこう説明しています。

「大丈夫です。ちゃんと意識は戻ってました。レフェリーの問いに『うんうん』と言っていましたので」

自身も過去に何度も救急車に乗ったこと、5月の横浜大会でも3度救急車が呼ばれたことを明かしたうえで、「この後の試合はですね、激しいものになっていくと思います。でも楽しんでほしいです」と客席に呼びかけました。

つまり2026年7月末時点で、長与千種はマーベラス代表として現場に立ち、報道の場でも直接コメントを出しています。健在です。

📝 補足(正確に書くために):長与千種は2019年12月8日の後楽園大会で「Marvelousの代表取締役を辞めます」と表明し、代表の座を彩羽匠に託しています(見出しでは「退団」とも報じられました)。ただし同じ会見で「株式会社MarvelCompanyは俺が社長です」とも語っており、運営会社の社長は退いていません。現在もマーベラス公式サイトは「株式会社MarvelCompany 代表 長与千種」と表記し、2026年7月の東スポ報道も「マーベラス代表」として扱っています

🎬 Netflix『極悪女王』での再注目

2024年、40年前の抗争がいきなり現役の話題になりました。

項目内容
作品極悪女王(Netflixシリーズ・全5話)
配信開始2024年9月19日(世界独占配信)
主演ゆりやんレトリィバァ(ダンプ松本役)
長与千種 役唐田えりか
ライオネス飛鳥 役剛力彩芽
企画・脚本・プロデュース鈴木おさむ
総監督白石和彌
長与千種本人の関与スーパーバイザーとして参加

長与千種役の唐田えりかは、役づくりのために約10キロの増量と、髪切りマッチの場面のための丸刈りを実施。さらに長崎の方言も習得して撮影に入っています。公開前はキャスティングに懐疑的な声もありましたが、配信後は演技への評価が一気に反転しました。

そして忘れてはいけないのが、この作品に本人がスーパーバイザーとして関わっているという点です。自分が髪を刈られた場面を、40年後に自分で監修する。相当な胆力だと思います。

⚠️ 観る場所を間違えないように:『極悪女王』はNetflixの世界独占配信です。ABEMA・DAZN・新日本プロレスワールドといったプロレス系の配信サービスでは観られません。逆に「今の女子プロレス」を観たい場合はNetflixは的外れです。目的で使い分けてください。

ちなみに『極悪女王』の公開に合わせて、あのダンプ松本さんと長与さんが「ゲームで過去の因縁に決着をつける」というバラエティ企画で共演しています。40年前に髪を賭けて争った2人が、コントローラーを握って笑い合っている。この一本だけで、プロレスの40年の重みと軽やかさが両方伝わります。

📺 「【裏話満載】ダンプ松本 vs 長与千種【過去の因縁をゲームで決着!】」/エンタメメディア「クランクイン!」公式チャンネルより

🐄 ウッシ視点:営業部長が長与千種から持ち帰ったもの

ここは私見です。読み飛ばして構いません。

① 「認めさせるためのコスト」を自分で払う人が勝つ

髪切りマッチを、ウッシは「過激な演出」としてではなく価値証明のコストとして見ています。

女子プロレスがまともに見られていなかった時代に、認めさせる方法として髪を差し出した。ウッシの世界で言えば、これは実績のない新規先に、無償のサンプルや手間のかかる試験導入をぶつける行為に近いです。あれは痛いです。時間も金も持ち出しです。でも、それをやった相手だけが後で口座を開いてくれる。

ウッシが年収280万円だった頃、転職先に自分から「年収500万」を提示した話を別記事に書きました。あれも、通らなければ家業をやるという退路を用意した上での賭けでした。賭けずに認められた例を、ウッシは営業20年目で1件も見ていません。

② 記録をつけ始めた人間だけが、次の勝負を選べる

もうひとつ、これは自虐です。

ウッシは20代をまるごとパチンコとスロットに溶かしました。抜けられたきっかけは意志の力ではなく帳簿です。収支をつけ始めた瞬間から「負ける戦いをしなくなった」。最後は50万円貯めて勝ち逃げしましたが、トータルでは当然マイナスです。念のため書いておきますが、記録をつければ勝てるという話ではまったくありません。記録をつけると勝てない場所が見えるだけです。

長与千種が「25歳定年制」の会社から出て自分の団体をつくったのは、たぶん同じ構造の判断だと思っています。その場でどれだけ頑張っても勝てない盤なら、盤を変える。感情ではなく構造の話として。

③ 「あと何人育てられるかな」の重み

2026年5月の言葉に戻ります。

「あと何人を育てられるかな。それだけが楽しみ」

ウッシはこれを読んで、正直ちょっと嫉妬しました。ウッシも部下を持つ立場ですが、自分の数字を捨てて後輩の成長を「楽しみ」と言い切れるかというと、まだ怪しいです。今期の予算が頭をよぎります。61歳でこの一言が出るまでに、この人は32年、人を育てる側で飯を食ってきたわけです。年季が違いました。

📺 「今」の女子プロレスを観る順番

ドラマや記事で火がついた人が次にやることは、たぶん「実際の試合を観る」だと思います。順番を整理します。

目的使うもの費用感
ドラマ『極悪女王』を観るNetflix(独占配信)プラン料金
昭和のクラッシュギャルズの映像を断片で観る各団体・関連チャンネルの公式YouTube無料
マーベラスの空気を知るMarvelousプロレス公式チャンネル(見どころ配信・記者会見)無料
今の女子プロレスを毎週観るStardom World(月920円)/WRESTLE UNIVERSE(月1,298円・東京女子ほか)920円〜
WWEの女子部門を追うABEMA(RAW・SmackDownを日本語実況つきで無料放送)無料〜

団体ごとにどこで観られるかはプロレス配信サービス比較【2026年7月版】に全部まとめました。「サービスを選ぶ」のではなく「観たい団体を決めると行き先が自動で決まる」構造なので、先に推しを決めるのが最短です。

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※放送内容・料金は2026年7月時点。番組編成は変わるため最新はABEMA公式でご確認ください。『極悪女王』はNetflix独占配信で、ABEMAでは観られません。

会場で観てみたい方は後楽園ホール観戦ガイドもどうぞ。マーベラスの8月8日大会の舞台でもあります。

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❓ 長与千種に関するよくある質問

Q1. 長与千種は現在も生きていますか? 何をしていますか?

A. ご存命です。2026年7月時点で61歳、女子プロレス団体マーベラスの代表として活動しています。直近では2026年7月26日の千葉・船橋大会で選手の負傷について報道陣にコメントしており、現場に立っていることが確認できます。選手としては2026年5月5日の横浜BUNTAI大会でリングに上がりましたが、その後「私はもうやらない」と語り、育成に軸を置く姿勢を示しています。

Q2. クラッシュギャルズはいつ結成されたのですか?

A. 長与千種とライオネス飛鳥(本名・北村智子)のタッグです。きっかけは1983年1月4日・後楽園ホールでの2人のシングル戦。引退を決めて臨んだ長与と飛鳥の激闘が異常な熱気を生み、試合後に会社側からタッグ結成を指示されたと記録されています。「クラッシュギャルズ」名義での本格活動は1984年8月からです。なおタッグとしての結成を1983年とする資料もあり、2023年10月1日には「結成40周年」を冠した記念ライブが横浜武道館で開かれています。

Q3. ダンプ松本との髪切りマッチは何回あったのですか?

A. 2回です。1回目は1985年8月28日・大阪城ホール(観衆1万1000人)で、11分4秒でダンプ松本のKO勝ち。長与が髪を刈られました。2回目は1986年11月7日・同じ大阪城ホールで、今度は長与が勝ってダンプの髪を刈っています。抗争の詳細と悪役側の視点はダンプ松本|“極悪女王”の現在・全盛期にまとめました。

Q4. なぜ髪を賭けるような試合を受けたのですか?

A. 本人は後年、自分たちのプロレスを認めさせるためという趣旨で語っています。当時の女子プロレスは競技として十分に評価されておらず、「髪を賭けなければ真剣に見てもらえない」状況があった、という時代の証言です。演出として派手さを狙った試合ではありません。

Q5. GAEA JAPANとマーベラスの違いは何ですか?

A. どちらも長与千種が立ち上げた女子プロレス団体です。GAEA JAPANは1994年8月25日設立・1995年4月15日旗揚げ・2005年4月10日解散で、里村明衣子や加藤園子ら次世代を輩出しました。マーベラスは2014年に設立を発表し、2016年5月3日に豊洲PITで旗揚げ。2026年で10周年を迎え、エースは彩羽匠です。長与は2026年5月に日本武道館進出を宣言し、2026年8月8日の後楽園ホール大会が満員になることを条件に掲げています。

Q6. Netflix『極悪女王』で長与千種を演じたのは誰ですか?

A. 唐田えりかです。役づくりのために約10キロ増量し、髪切りマッチの場面のために丸刈りにもなっています。ライオネス飛鳥役は剛力彩芽、ダンプ松本役の主演はゆりやんレトリィバァ。長与千種本人もスーパーバイザーとして制作に参加しています。作品はNetflixの世界独占配信(2024年9月19日/全5話)です。

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📝 まとめ:長与千種は「賭けて、取り返して、育てた人」

  • 1964年12月8日生まれ、長崎県大村市出身。2026年7月時点で61歳・ご存命
  • ✅ 1980年8月8日デビュー。入門当初は月給1万円、あだ名は「チコさん」の落ちこぼれ扱いだった
  • 1984年8月にクラッシュギャルズ結成。フジテレビ月曜19時のゴールデン枠、レコード「炎の聖書」、年間最多310試合という規模で社会現象に
  • ✅ 髪切りマッチは1985年8月28日(敗北・観衆1万1000人)1986年11月7日(勝利)の2回。賭けた理由は「自分たちのプロレスを認めさせるため」
  • 1989年5月6日・横浜アリーナで24歳の引退。背景に他団体戦の拒否と「25歳定年制」
  • ✅ 1993年11月復帰 → 1994年GAEA JAPAN設立(1995年旗揚げ・2005年解散)。里村明衣子ら次世代を育てた
  • 2016年5月3日にマーベラス旗揚げ。2026年で10周年、エースは彩羽匠
  • ✅ 2026年5月5日にクラッシュ2026として1年ぶり復帰も「私はもうやらない」。以後は「あと何人育てられるか」
  • 2026年8月8日・後楽園ホールが満員なら日本武道館へという公約を掲げて現在も進行中
  • ✅ Netflix『極悪女王』では唐田えりかが長与千種役。本人はスーパーバイザーとして参加

昭和の女子プロレスの話は、どうしても「熱狂」と「過激さ」で語られます。でも長与千種の経歴を並べてみると、いちばん長いのは人を育てていた年数でした。髪を賭けて闘った日々より、団体を回した32年のほうがずっと長い。

24歳で無理やり辞めさせられた人が、25歳定年のない場所を自分で作って、そこで30年以上人を育てている。ウッシはこの構造が、いちばん格好いいと思っています。

マイペースにいきましょう🐄

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📚 参考・出典(23件)

本記事は以下の一次情報・報道を参考に作成しています(すべて2026年7月30日にアクセス確認)。裏が取れなかった事項は書いていません。

記載内容に誤りがあれば、お問い合わせフォームよりご指摘ください。年号・日付が資料により分かれる箇所は、その旨を本文に明記しています。

⚠️ 注意:プロレス技・凶器を用いた攻撃は、専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。

🎌 女子プロレス列伝 VOL.8

次回もどうぞお楽しみに。


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