🏠 ホーム📰 最新ニュースプロレス総合闘魂列伝黒船列伝女傑列伝軍団列伝技図鑑サラリーマン資産形成節約・固定費🔍 記事を検索
豊田真奈美の現在|"飛翔天女"の必殺技と引退後の活動
— 女傑列伝 —

豊田真奈美の現在|"飛翔天女"の必殺技と引退後の活動

USSIBLOG

※本記事はプロモーションを含みます

「女子プロレスの歴史上、いちばんすごかった選手は誰なのか」

「豊田真奈美って名前は聞くけど、何がそんなに評価されてるの? 今どうしてるの?」

この2つに、先に答えます。豊田真奈美さんは2017年11月3日に引退した元プロレスラーで、2026年3月にはインタビューに55歳として登場しています。ご存命です。そして海外の評価を含めれば、「史上最高の女子プロレスラー」候補の一角に必ず名前が挙がる人です。

🌊 先に結論だけ

  • 豊田真奈美=1971年3月2日、島根県益田市生まれ。異名は「飛翔天女」。1987年8月5日に全日本女子プロレス(全女)でデビューし、1990年代の全女の象徴として君臨した
  • 必殺技は出身地の日本海にちなんだ「ジャパニーズ・オーシャン」シリーズ。中でもジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド(日本海式竜巻固め)は、難易度が高すぎて真似できる選手がほとんどいない代物
  • WWWA世界シングル王座4回戴冠。1995年3月26日、横浜アリーナでアジャコングの2年4か月続いた長期政権を終わらせた一戦が最大の勲章
  • 米『レスリング・オブザーバー』の1995年「最優秀選手(Most Outstanding Wrestler)」は女性で彼女だけ。2002年には同誌の殿堂入り
  • 2017年3月に首と肩の限界を理由に引退を発表。11月3日の引退興行では1日で51試合・52人掛けを完遂し、最後は藤本つかさとの3連戦でリングを降りた
  • 現在=2018年に右肩を人工関節に置換。同年からアイスリボンのスーパーバイザー、その後は糖質OFFアドバイザーとしても活動。2026年3月13日公開のNumber Webのインタビューに55歳で登場している

このブログの「女子プロレス列伝」では、アスカ(Asuka/華名)紫雷イオ(IYO SKY)栗原あゆみ、そして前回は昭和の大ヒールダンプ松本を追いました。今回は同じ全日本女子プロレスから、ダンプ松本の少しあとの時代=1990年代の全女を背負った選手です。

先に正直に書きます。ウッシがプロレスに出会ったのはプレステの「闘魂列伝」(1995年)で、当時8〜9歳。深夜のワールドプロレスリングを眠い目こすって観ていた新日ジュニア小僧です。全女黄金期をリアルタイムの会場で観てはいません。この記事は後追いで映像と記録を掘った人間の視点で書きます。だから「生で観た」とは一度も書きません。

この記事でわかること

  • 「ジャパニーズ・オーシャン」シリーズの技の中身(何がどう危険で、なぜ真似されないのか)
  • アジャコング・山田敏代・井上京子・伊藤薫との名勝負、日付と決着技つき
  • 東スポ・週プロ、そして海外評論家が彼女をどう評価したか(“天才”の値段)
  • 2017年の引退興行で何が起きたのか(1日51試合の内訳)
  • 2026年時点の現在と、才能で30年走った身体に残ったもの

📝 最初におことわり:豊田真奈美さんはご存命です。本記事は公表されている記録・報道・本人発信の範囲だけで書き、健康状態については本人がメディアで語った内容のみ扱います。裏が取れなかったことは書きません。

📋 豊田真奈美 プロフィール

項目内容
リングネーム豊田真奈美(2008〜2009年の一時期は「豊田魔波」)
本名豊田真奈美(とよた まなみ)
ニックネーム飛翔天女(ひしょうてんにょ)/打たれ強さから「ゾンビ」
生年月日1971年3月2日(2026年3月時点で55歳)
出身島根県益田市
身長/体重167cm / 80kg(現役時の公称)
スポーツ歴空手・水泳・バスケットボール/1987年10月 レスリング全日本選手権 女子65kg級優勝
トレーナー山崎五紀
デビュー1987年8月5日(全日本女子プロレス・後楽園ホール/対 中村幸子)
所属全日本女子プロレス(1987〜2002年)→ フリーランス(2002〜2017年)
主なタイトルWWWA世界シングル王座4回/WWWA世界タッグ王座3回/オールパシフィック王座2回/IWA世界女子王座/AAAWシングル王座 ほか
リーグ戦ジャパングランプリ優勝4回(歴代最多)/タッグリーグ・ザ・ベスト優勝5回(個人歴代最多)
引退2017年11月3日(横浜・大さん橋ホール)

📝 ここがポイント:デビュー年の1987年10月にアマチュアレスリングの全日本選手権(女子65kg級)で優勝しているのが、この人の異常さの入口です。プロのリングに上がった年に、競技の全日本を取っている。「華麗な飛び技の人」というイメージが強いですが、土台は完全に格闘技側にあります。

★★★★★ 女子プロレス列伝 VOL.7
豊田真奈美
"飛翔天女" / 90年代・全女の象徴
👁 見た目
長い黒髪と、黒を基調にしたコスチューム(初期はピンク×白、一時期は赤×金)。全女時代のイメージカラーはピンクで、入場時には客席からピンクの紙テープが飛んだ。リングに上がると、167cmの体が信じられない高さまで跳ぶ。トップロープから場外へ飛ぶ前は手を合わせて拝み、「よっしゃ行くぞー!」と叫んでから宙に消える——その一連が「飛翔天女」という4文字の中身。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー7
⚡ スピード10
🎯 テクニック10
🔋 スタミナ10
🕊 華やかさ10
👑 カリスマ9
🥋 得意技
ジャパニーズ・オーシャン・スープレックス ジャパニーズ・オーシャン・クインビー・ボム ローリング・クレイドル ムーンサルトプレス ラ・ケブラーダ ドロップキック連打
👑 主な戴冠歴
1990オールパシフィック王座王座決定戦でバイソン木村を日本海式原爆固め
1995WWWA世界シングル王座(初)横浜アリーナでアジャコングから奪取(28分10秒)
1995WWWA世界シングル王座(2度目)両国国技館でダイナマイト関西から奪取
2002WWWA世界シングル王座(4度目)横浜文化体育館で伊藤薫を破る
💥 必殺技
ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド(日本海式竜巻固め)
相手の両腕を前で交差させて背後から手首を掴み、そのまま相手の股の間に頭を入れて肩車の形で担ぎ上げ、後方へ倒れてブリッジしフォールする技。腕をロックしているので相手は受け身が取れず、落差はバックドロップ以上。重量級のアジャコング相手にはコーナーに座らせてから投げる雪崩式も使った。難易度が高すぎて、現役時代に真似できた選手はほとんどいない。

🌊 「期待されていなかった子」が飛翔天女になるまで

入門オーディションは、本当は落ちていた

いちばん最初のエピソードが強烈です。全日本女子プロレスのオーディション合格者リストに、豊田真奈美の名前は入っていませんでした。それを空手家の山崎照朝さんが「この子取っといた方が良いよー」と一言添えたことで、入門にこぎつけたと本人が語っています。

2025年6月、その山崎さんが亡くなった際、豊田さんはこう記しています。「先生の目にとまる事が無ければプロレスラー豊田真奈美は存在しません」——史上最高の女子プロレスラー候補が、採用の当落線上にいた。人事というのは、こういう怖さがあります。

デビュー年に「売店の手伝い」をしていた

1987年8月5日、後楽園ホールで中村幸子を相手にデビュー。同年12月、ファンの集いのようなイベントで、同期の三田英津子・下田美馬・山田敏代はソロで1曲ずつ歌いました。そのとき豊田は売店の手伝いをしていたと本人が振り返っています。まったく期待されていなかった。その悔しさから「絶対に出世する」と誓ったそうです。

🐄 ウッシの小声:この話、刺さります。ウッシも21歳で営業に抜擢された直後、メーカー研修で「お前ら代理店は営業失格だ」とボロクソに否定され、報告会で言えたのは「毎日がんばりました」の一言だけでした。売店で物を売っていた側の悔しさは、20年近く経ってもちゃんと燃料になります。

1990年、ジャパングランプリ制覇で一気にスターへ

転機は1990年6月17日のジャパン・グランプリ’90。1回戦で2年先輩の北斗晶と当たり、攻め込まれる展開のなか北斗が場外プランチャを自爆して負傷、ドクターストップで豊田が勝ち上がります。準決勝は不戦勝、決勝で堀田祐美子を破って初優勝。デビュー3年目でスターダムに躍り出ました。2017年の座談会で、本人が「一番覚えている試合」と挙げているのがこの試合です。

そして同年7月21日、大田区体育館のメインで、当時の絶対王者ブル中野が持つWWWA世界シングル王座に挑戦。圧倒的不利と言われた通り、10分と持たずに敗れています。ここから王座に手が届くまで、あと5年かかりました。

🌊 コラム:なぜ技の名前が「ジャパニーズ・オーシャン」なのか
出身地の島根県=日本海に面した土地であることにちなんで、オリジナル技には全部「ジャパニーズ・オーシャン(日本海)」の名を冠しています。しかもシリーズ全部が「相手の腕をロックした状態で投げる」という共通思想で作られている。技名にも設計に一本の筋が通っている——このネーミングセンス、地元愛と自己ブランディングが完全に両立していて、営業目線でも見事です。ちなみに雑にカタカナで書くと長すぎるので、ファンの間では「サイクロン」「クインビー」で通ります。

💥 必殺技を分解する|真似できない技のカタログ

豊田真奈美の技は「難易度が非常に高く、他のレスラーに使われることがほとんどない」と評されます。理由は単純で、身体能力が足りないと物理的にできないから。まず一覧で押さえます。

技名(和名)何をする技か立ち位置
ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド(日本海式竜巻固め)両腕を交差させて掴み、股下に頭を入れて肩車→後方へ投げてブリッジ代名詞。継承者は藤本つかさ・日高郁人
ジャパニーズ・オーシャン・スープレックス(日本海式原爆固め)相手の腕を背中側でロックし、自分の腕をクロスさせて手首を掴んで後方へ投げる1990年のベルト奪取もこの技
ジャパニーズ・オーシャン・クインビー・ボム腕をロックして投げ、ノーザンライト・ボムに近い落とし方をする晩年のフィニッシュ。継承者は高橋奈七永
ジャパニーズ・オーシャン・ボムリバース・フルネルソンから担ぎ上げ、腕をロックしたまま叩きつける1996年、井上京子を沈めた技
ローリング・クレイドル相手を抱えたまま回転し続けてフォールを狙うGAORAで「世界一美しい」と紹介された
ムーンサルトプレスコーナー最上段から後ろ向きに270度回転して浴びせる「もっとも優れた使い手の1人」と評される
ラ・ケブラーダ/プランチャ・スイシーダ場外の相手へ向かって飛ぶ大技「飛翔天女」の名の直接の由来
ドロップキック仰向け水平の姿勢で蹴り抜き、背中から着地。連打する破壊力は「交通事故」と形容された

①サイクロン・スープレックス——落差の暴力

もういちど中身を書きます。相手の両腕を前で交差させて背後から手首を掴み、自分の頭を相手の股下に入れて肩車の形まで持ち上げ、そのまま後ろに倒れてブリッジ。腕を固定されている相手は受け身が取れないまま、通常のバックドロップより高い位置から落ちます。

女子プロレスゲーム『レッスルエンジェルス』では投げ技系の最強技として設定されていたほどで、当時のファンの体感がそのまま数値化されていた技です。アジャコングのような重量級には持ち上げ切れないため、コーナーに座らせてからクラッチして投げる雪崩式を開発しています。相手に合わせて技の入口を作り替える——これは技術者の仕事です。

⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。

②ドロップキック——「交通事故」と呼ばれた反復

意外かもしれませんが、豊田真奈美の凄みが一番よく分かるのは、必殺技ではなくドロップキックだと思います。若手時代からの得意技で、トップに立ってからも痛め技として多用しました。

型は、師匠にあたる先輩・山崎五紀から受け継いだもの。仰向けでマットと水平になる姿勢で蹴り、背中から着地するタイプです。膝から下を伸ばしきり、下から上へ突き上げるように蹴り抜く。そして相手が立ち上がりきる前にロープへ走ってもう一発、また一発。破壊力を「交通事故」と表現された記録が残っています。

🐄 ウッシの小声:同じ攻撃を、相手が立つ前に何度も浴びせる。これ、営業で言うと「断られた翌週にまた行く」やつです。技の凄さより、やめない設計が凄い。ウッシは双子の寝かしつけで3回連続で失敗すると心が折れますが、豊田さんは相手が立ち上がるたびに走って、蹴って、また走った。回数を数えるのが馬鹿らしくなる反復です。

③ローリング・クレイドル——調子がいいと20回転以上

回転しながらフォールを狙う技。豊田のそれは非常に速く、GAORAの紹介では「世界一美しい」と言われました。調子の良いときは20回転以上回したという記録が残っています。対抗戦時代にはJWPの福岡晶と「ローリング・クレイドル合戦」まで繰り広げました。

🐄 ウッシの小声:20代のウッシはパチスロにハマって、勝つために回転数を帳簿につけていた男です(トータルは負けています、念のため)。回転を数える才能だけは無駄に鍛えられているので、この20回転の映像は数えながら観てしまいました。……ちゃんと20回超えてます。数えた自分がいちばん虚しい。

🏆 全女黄金期の名勝負|1992年から1996年まで、地獄のような5年

1990年代前半の全女は、団体対抗戦ブームの中心にいました。豊田真奈美のキャリアで最も濃いのがこの時期です。年表で追います。

日付会場・大会カード結果
1991/5/26後楽園ホールvs アジャコング30分フルタイム引き分け(メインイベンター同士の初対戦)
1992/6/21後楽園ホールvs 山田敏代(4度目の大場所シングル)26分20秒、山田がリバース・ゴリー・スペシャル・ボムで勝利
1992/8/15後楽園ホールvs 山田敏代(IWA選手権・敗者髪切りマッチ19分44秒、豊田が日本海式竜巻原爆固めで勝利
1992/11/26川崎市体育館豊田&山田 vs 尾崎魔弓&ダイナマイト関西(WWWAタッグ)2-1で防衛。対抗戦時代の幕開けを象徴し、ベストバウト獲得
1993/4/11大阪府立体育会館同カード(WWWAタッグ)1-2で敗れ王座流出。全女の王座が史上初めて他団体へ
1994/8/24日本武道館vs 井上京子(ダブルタイトル)23分31秒、飛び付き式高角度回転固めで勝利しシングル二冠
1994/11/20東京ドーム(憧夢超女大戦)vs アジャコング17分17秒、アジャのスタイナー・スクリュードライバーに敗れる
1995/3/26横浜アリーナvs アジャコング(WWWA世界シングル)28分10秒、雪崩式→通常型のサイクロン連発で初戴冠
1995/5/7後楽園ホールvs 井上京子(防衛戦)全女では10年ぶりの60分フルタイム。名勝負として語り継がれる
1995/9/2日本武道館vs 北斗晶掟破りの逆ノーザンライト・ボム2連発でフォール
1996/3/31横浜アリーナvs 井上京子(防衛戦)21分29秒、ジャパニーズ・オーシャン・ボムで勝利

髪を賭けた同期対決で、彼女は相手の髪を切れなかった

この年表の中で、ウッシがいちばん心を掴まれたのは1992年8月15日です。

同期の山田敏代とは、大場所のシングルで3試合連続時間切れ引き分けという異常な決着不能状態が続いていました。1992年6月21日、ついに完全決着戦で豊田が敗北。敗れた豊田はマイクで「IWAのベルトと髪の毛を賭けての再戦」を要求し、山田も快諾。前代未聞のベビーフェイス(善役)同士の髪切りマッチが実現します。

8月15日、後楽園ホールのメイン。互いの決め技を打ち合い、切り返し合った末に19分44秒、豊田が日本海式竜巻原爆固めで勝利しました。

問題はその後です。勝った豊田は、山田の髪を切ることを拒みました。自分の髪にハサミを入れ、泣き崩れ、山田の髪切りを体を張って止めようとしたと記録されています。山田は堂々と髪切りに応じ、結果としてふたりの友情はさらに深まった。

🐄 ウッシの小声:勝ったのに泣いて、相手の髪を切れない。ビジネスの言葉に直すと「契約を取ったのに判子を押させられない営業」で、成績としては褒められません。でもプロレスがスポーツと芝居の間にあるものだとしたら、これは最高の”はみ出し”だと思います。台本のどこにも書けない反応です。

アジャコングの2年4か月を終わらせた日

そして1995年3月26日、横浜アリーナ。当時アジャコングは1992年11月から2年4か月にわたるWWWA世界シングル王座の長期政権を築いていました。豊田は場外の机の上でパイルドライバーを食らい、机が真っ二つに割れるという扱いを受けながら耐え抜き、28分10秒、雪崩式から通常型へのサイクロン・スープレックス連発で初戴冠します。

週刊プロレスはこの一戦を「全女戦国時代の到来を告げ」た試合として記録しています。戴冠直後、豊田はマイクを持って北斗晶に「チャンピオンになりました。一騎打ち、してください!」と要求。北斗は「もっともっと面白くしろ!」と返した。ベルトを取った瞬間に、次の相手を自分で指名する。この主導権の取り方が、彼女がエースだった理由の一つです。

📖 “天才”の系譜|週プロ・東スポ、そして海外の評価

豊田真奈美の評価を語るとき、日本の専門メディアと海外の評論家がきれいに同じ方向を向いているのが面白いところです。

東スポの評価:「体がボロボロになっても美しさを保ち続けた」

東京スポーツの「女子レスラー名鑑」は、彼女を「30年間トップに君臨した『飛翔天女』」と題して紹介し、抜群の跳躍力・身体能力・柔軟性と、「ゾンビ」と呼ばれたタフネスを特徴に挙げています。ドロップキックの美しさは「日本一」評価。そして結びは「体がボロボロになっても美しさを保ち続けた姿はまさに『飛翔天女』だった」

海外の評価:1995年「最優秀選手」は、女性で彼女だけ

米国のプロレス専門紙『レスリング・オブザーバー・ニュースレター』(WON)の年間表彰で、豊田真奈美は1995年の最優秀選手賞(Most Outstanding Wrestler)を受賞しています。この賞を獲った女性は、彼女以外にいません。同年は読者人気投票の1位も獲得し、2002年には同誌の殿堂(WON Hall of Fame)入りを果たしました。

さらに、同誌の主宰デーブ・メルツァーが与える5つ星(★★★★★)評価の試合。集計の数え方によって資料ごとに数が変わるのですが、Wikipediaの5つ星試合一覧に載っているだけでも彼女の試合は13試合あり、そのうち5試合が1995年の1年間に集中しています。相手は井上京子(5月)、アジャコング(6月)、下田美馬(7月)、井上京子&井上貴子とのタッグ戦(8月)、北斗晶(9月)。さらに1992年の山田敏代との髪切りマッチも5つ星に数えられています。

🎌 コラム:WWEのトップ選手が名前を挙げる人
彼女のテクニックはWWEの選手からもリスペクトを受けています。ナタリアは「サバイバー・シリーズで組みたいレスラー」の1人に豊田を挙げ、リタは自身のWWE殿堂入り式典のスピーチで豊田を称賛しました。日本の女子プロレスが世界の評価軸に乗った起点が、この人のあたりにあります。今の[アスカ](/blog/asuka-wwe/)や[紫雷イオ](/blog/io-sky-wwe/)、[ジュリア](/blog/giulia-wwe/)がWWEで戦えている道の、かなり手前の舗装工事をしていたのが豊田真奈美です。

意外な事実:男子プロレスを、まったく観なかった

もう一つ。豊田真奈美は男子プロレスをまったく観ないタイプで、その影響を頑として拒否していたと記録されています。女子プロレスは技の面で男子の影響を受けることが少なくないのに、この人はそこを断った。だから技が独自進化した。

🐄 ウッシの小声:ここはウッシの正反対です。ウッシは高校時代にTSUTAYAとゲオのプロレスビデオを全部借りて、他人の型を丸ごと吸収して育った人間です。真似から入るタイプと、参照を断つタイプ。後者のほうが圧倒的に少数で、圧倒的に真似されない。営業でも売れてるやつの資料を全部集めるウッシと、自分の型だけで数字を出す人がいて——たぶん後者が天才って呼ばれます。悔しい。

🎬 引退|2017年11月3日、1日で51試合

「体が限界。痛すぎます」

2017年3月17日、豊田真奈美は首と肩の状態が思わしくないことを理由に、同年11月3日の30周年興行をもって引退すると発表しました。報道に残る本人の言葉は「体が限界。痛すぎます」。才能を中心に30年走った人の身体が、ついに白旗を上げた形です。

引退興行の中身が、そもそも異常

2017年11月3日、横浜市中区の大さん橋ホール。「プロレス・豊田真奈美30周年記念興行〜飛翔天女引退〜」。

このカードの組み方が、まず普通じゃありません。1日で51試合。「52人掛け」です。まず4人がかりの3分1本勝負から始まり、そこから1分1本勝負が24試合・9試合・14試合と積み上がり、最後に引退試合の3連戦。週刊ファイトが「ゾンビ52人掛け完遂」と報じたとおり、延べ52選手と戦い切りました。

そしてメインの引退試合。相手は藤本つかさ——サイクロン・スープレックスの継承者です。

試合勝者決着技時間
第49試合(引退試合)豊田真奈美ジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド7分06秒
第50試合(再試合)豊田真奈美ジャパニーズ・オーシャン・クインビーボム→体固め3分34秒
第51試合(再々試合)藤本つかさジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド5分52秒

読み返してください。最後の最後、豊田真奈美は自分の必殺技で負けてリングを降りました。継承者に、自分の技で刺されて終わる。そして試合後、藤本にこう言いました。

「豊田真奈美2世じゃなくて、藤本つかさの技にして」

セレモニーでは、自慢の黒い髪を切ってリングを降りています。1992年、勝ったのに同期の髪を切れず、自分の髪にハサミを入れた人が、最後の日にもう一度、自分の髪を切った。

🐄 ウッシの小声:引退興行で1日51試合というのは、営業で言えば最終出社日にアポを51件入れるようなものです。ウッシは想像した時点で腰が引けました。しかも締めは自分の必殺技で負ける。格好つけて勝って終わる選択肢を捨てている。この人が「天才」と呼ばれるのは技のせいだと思っていましたが、違いました。引き際の設計まで天才です。

🩺 現在(2026年時点)|人工関節と、糖質OFFアドバイザー

ここが一番、事実確認が大事なところです。豊田真奈美さんはご存命です。時系列で公表情報を並べます。

  • 2018年3月13日:かねてより状態が悪かった右肩を人工関節に置換する手術を受けたことを本人が発信
  • 2018年8月26日:女子プロレス団体アイスリボンのスーパーバイザー就任を発表。「女子プロの全盛期を取り戻してくれると思っている。そのためならなんでもやる」という趣旨のコメント
  • 2021年:ブル中野さんの公式YouTubeチャンネル「ぶるちゃんねる」に3回にわたって出演し、全女時代と現在を語る(第3回のタイトルはそのまま「今は人工関節」)
  • 2023年時点糖質OFFアドバイザーとして活動(日刊ゲンダイのインタビュー)
  • 2025年4月:姪の豊田紗也夏(旧リングネーム・しゃあ)が女子プロレスラーとして活動していることが報じられる
  • 2025年6月23日:入門の恩人・山崎照朝さんの訃報にコメントを寄せる
  • 2026年3月13日:Number Webのインタビュー最終回に55歳として登場。最高90kgあった体重から30kgのマイナスを達成した理由を「糖質制限ダイエットにハマって…」と語る

つまり2026年時点の豊田真奈美さんは、プロレスの現役ではないが、健在で、体づくりの側から発信している人です。人工関節の肩でリングを降りた人が、いま現役ピーク時から体重を30kg落として(Number Web 2026年3月・本人談)糖質の話をしている。この振れ幅がすごい。

全女を出た日のこと

なお2026年3月のインタビューで、彼女は2002年に全女を退団した当時について「会社ぐるみで、追い出しっぽい空気があった」「全女に私はもう、必要なかったから」と語っています。2002年7月6日、大田区体育館で伊藤薫にWWWA王座を明け渡した試合後、マイクで「ここに私の求める全女イズムはない!」と言い切って退団を表明。翌日にはもうGAEA JAPANの大阪ドーム・スカイホール大会に現れて参戦表明をしています。切り替えの速さも一流。

📺 本人の証言を観る(公式チャンネル)

📺 「今は人工関節 ”飛翔天女” 豊田真奈美の代償」/ブル中野さん公式チャンネル「ぶるちゃんねるBULLCHANNEL」より

同じシリーズでは全女の内側や、豊田さんがフリーダム・フォースを結成した経緯も語られています。文字で読むより、本人の口調で聞いたほうが伝わるタイプの話です。

そして引退後の意外な一面がこちら。2021年には『マツコの知らない世界』に「新生姜の世界」のプレゼンターとして出演しています。あの飛翔天女が、マツコさんの前で新生姜を語る。人生は面白い方向に続いていきます。

📺 『マツコの知らない世界』2021年9月14日放送回の公式予告/TBS公式チャンネルより

🐄 ウッシ視点|「才能でやってきた」と本人が言う怖さ

ここまで事実を並べてきましたが、ウッシがこの人の記事を書きたかった理由は、記録ではなくある一言です。

2017年の週刊プロレスの座談会で、豊田真奈美はこう言っています。

「やっぱり努力した人が最後まで残れるんだなと思って。20年ぐらい前にさかのぼって努力したいもん」

史上最高の女子プロレスラー候補が、引退の年に自分の稽古不足を後悔している。才能を中心に戦ってきたから、体を酷使する形になった。同期の下田美馬が元気なのを羨んでいる、とまで記録されています。

ウッシはこれを読んで、背筋が寒くなりました。営業20年目やってきて、周りにも「才能型」がいたからです。数字を出すのが異常に速くて、勉強しなくても売れる人。あの人たちは強いんですが、40代で伸び止まる確率が高い。逆に、地味に記録を残して型を積み上げた人が、部長になったりずっと現場で回していたりする。

そしてもう一つ。プロレスラーの身体は、後払いのローンです。若い頃に高いところから飛んだ分、20年後に肩の人工関節という形で請求が来る。これはサラリーマンにも同じ構造があります。若いうちに無理して積み上げた成果の請求書は、必ず後から来ます。ウッシの場合は20代でパチスロに突っ込んだ時間の請求書が、30代の貯金額として来ました。

だからこそ、豊田さんが引退から9年、現役ピーク時から体重を30kg落として体づくりの話をしているのを知ったとき、少し嬉しくなりました。請求書が来たあとに、まだ身体を作り直せる。これは全然、遅くない話です。

🐄 ウッシの小声:ちなみにウッシは、CIMAさんとエレベーターで遭遇したのに声をかけられず後悔している男です。仮に豊田さんに会えても、たぶん「応援してます」しか言えません。20年営業をやっても、推しの前では新人に戻る。

📺 「今の女子プロレス」を無料で観てみる

正直に書きます。全女黄金期の試合は、2026年時点でどこかの配信サービスで丸ごと観られる状態にはありません。市販のDVDや動画サイトに残る断片を追う世界です。ここを「配信で全部観られます」と書くのは嘘になるので書きません。

一方で、豊田真奈美の後の世代が世界でどう戦っているかは、今すぐ無料で観られます。ABEMAはWWEのRAWを毎週火曜よる9時、SmackDownを毎週土曜よる9時に日本語実況つきで無料放送しています(2026年7月時点)。そこには紫雷イオジュリアという日本人女子が普通にトップで出てきます(アスカは2026年5月以降、日本帰国に伴い限定参戦の見込みと本人が説明しています)。プロレスリング・ノアの無料生中継もあります。

登録も支払い情報も不要で、女子の試合まで含めて0円。見逃し配信や過去大会まで掘りたくなったら、そのときに広告つきプレミアム(月680円〜)を検討すれば十分です。

📱 ABEMAでプロレスを観てみる(無料放送は登録不要/プレミアムは広告つき月680円〜)→(PR)

無料でどこまで観られるかの詳細はABEMAでプロレスを無料で観る方法に、各サービスの料金比較はプロレス配信サービス徹底比較にまとめています。

📚 豊田真奈美の素顔を見る・もっと深く知るPR
DVD『女神たちの伝説III 豊田真奈美』(中古)
DVD『女神たちの伝説III 豊田真奈美』(中古)
リング上の飛翔天女がジャケットにそのまま写るドキュメントDVD。全女黄金期の空気ごと手元に残せます。
楽天価格:1,331円(税込・送料別)(2026年7月30日時点)

❓ 豊田真奈美に関するよくある質問

Q1. 豊田真奈美は現在も生きている? 何をしている?

A. ご存命です。2026年3月13日公開のNumber Webのインタビューに55歳として登場し、最高90kgあった体重から30kgのマイナスを達成した話を語っています。プロレスは2017年11月3日に引退済み。2018年からアイスリボンのスーパーバイザーを務め、2023年時点では糖質OFFアドバイザーとしても活動しています。

Q2. 必殺技の「ジャパニーズ・オーシャン」って何?

A. 出身地の島根県=日本海にちなんで、自分のオリジナル技に冠した名前です。代表格はジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド(日本海式竜巻固め)で、相手の両腕を交差させて掴み、股下に頭を入れて肩車の形から後方へ投げてブリッジする技。ほかにジャパニーズ・オーシャン・スープレックス(日本海式原爆固め)、クインビー・ボム、ボム、バックドロップがあり、全部「相手の腕をロックして投げる」という共通思想で作られています。

Q3. なぜ「飛翔天女」と呼ばれたの?

A. プランチャ・スイシーダやラ・ケブラーダといった場外への華麗な飛び技を多用したことからついた異名です。トップロープから飛ぶときの決まり文句は「よっしゃ行くぞー!」。なお本人によれば、ほとんどの飛び技は練習では怖くて飛べず、試合中の勢いに任せて飛んでいたとのこと。別の異名として、極端な打たれ強さとスタミナから「ゾンビ」とも呼ばれました。

Q4. 引退試合の相手と結果は?

A. 2017年11月3日、横浜・大さん橋ホールでの30周年記念興行。相手は藤本つかさで、3試合連続で行われました。第49試合は豊田が7分06秒でサイクロン・スープレックスで勝ち、第50試合も豊田がクインビーボムで勝ち、第51試合(再々試合)で藤本がサイクロン・スープレックス・ホールドで5分52秒、豊田を破って決着。この日、豊田は1日で51試合・52人掛けをこなしました。

Q5. アジャコングとはどちらが強かった?

A. 勝負は五分に近い形で行き来しました。1991年5月26日の初のメインイベンター対決は30分フルタイム引き分け。1994年11月20日の東京ドームではアジャが勝利。1995年3月26日、横浜アリーナで豊田がアジャの2年4か月に及ぶWWWA王座長期政権を終わらせ、同年6月27日にはアジャが王座を奪回しています。豊田本人が「北斗、ブル中野、アジャコングといった先輩がいなければベルトを巻くほど強くはなれなかった」と語っている関係です。

Q6. 豊田真奈美の技を今使っている選手はいる?

A. います。サイクロン・スープレックスは藤本つかさと日高郁人(豊田と同じ益田市出身)、クインビー・ボムは高橋奈七永ジャパニーズ・オーシャン・スープレックスはつくしが継承しています。引退試合で豊田が藤本に「豊田真奈美2世じゃなくて、藤本つかさの技にして」と言ったのが、技の受け渡しの本質だと思います。

📖 ここまで読んだ人は、これも読んでいます
ジャーマンスープレックスのやり方と歴史

|ジャパニーズ・オーシャン系の土台になった投げ技

📝 まとめ:豊田真奈美は「才能で30年走り、代償を払ってなお身体を作り直している人」

  • ✅ 1971年3月2日、島根県益田市生まれ。異名は飛翔天女、別名「ゾンビ」
  • ✅ 入門オーディションでは本来落選。山崎照朝さんの一言で拾われた
  • ✅ 1987年8月5日デビュー。同年10月にアマチュアレスリング全日本選手権65kg級で優勝
  • ✅ 1990年ジャパングランプリ初優勝で一気にスターへ(同大会は歴代最多4回優勝
  • ✅ 必殺技はジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックス・ホールド。腕をロックする独自シリーズは真似できる選手がほとんどいない
  • ✅ 1992年8月15日、同期・山田敏代との髪切りマッチで勝ったのに相手の髪を切れず、自分の髪を切った
  • ✅ 1995年3月26日、横浜アリーナでアジャコングの2年4か月の政権を終わらせWWWA世界シングル王座初戴冠(通算4回)
  • ✅ 海外評価も最高峰。1995年WON最優秀選手(女性で唯一)、2002年WON殿堂入り
  • ✅ 2017年3月に首と肩の限界を理由に引退発表。11月3日の引退興行で1日51試合・52人掛け、最後は継承者・藤本つかさに自分の必殺技で敗れて終幕
  • ✅ 現在=ご存命。右肩は人工関節。アイスリボンのスーパーバイザー、糖質OFFアドバイザー。2026年3月時点で55歳、体重マイナス30kg

「史上最高の女子プロレスラーは誰か」という問いに、正解はありません。でも候補の名前を3つ挙げるなら、豊田真奈美は必ず入る。それは記録が言っていることで、ウッシの好みではありません。

そして彼女が引退の年に言った「20年前にさかのぼって努力したい」という一言は、才能の話ではなく積み上げの話です。天才が最後に言ったのがそれだった——これはウッシのような凡人の営業部長にとって、たぶん一番効く教訓です。

🔗 あわせて読みたい

📚 参考・出典(17件)

本記事は以下の一次情報・報道を参考に作成しています(すべて2026年7月30日にアクセス確認)。数字や年号が資料により分かれる部分は「〜とされる」と記し、裏が取れなかった事項は記載していません。

記載内容に誤りがあれば、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。

🎌 女子プロレス列伝シリーズ VOL.7

次回もどうぞお楽しみに。マイペースにいきましょう🐄


─ 産地と現場の仲間へ ─

🤝 令和8年 熊本地震 災害応援寄附

プロレスは「立ち上がる姿」を見せてくれる競技です。いまリングの外で立ち上がろうとしている方たちへ。このリンクにアフィリエイトは付けていません——紹介料は1円も受け取りません。

熊本県への寄附(返礼品なし・1,000円〜)→ 八代市への寄附 →