川田利明|現在はラーメン店主、デンジャラスKの半生【闘魂列伝㊴】
※本記事はプロモーションを含みます
「川田利明って、いま何をしているの?」 「ラーメン屋をやっていると聞いたけど、まだ続いているの?」
川田利明さんは現在、東京都世田谷区のラーメン店「麺ジャラスK」の店主です。2026年9月6日の西スポWEB OTTO!も「現在はラーメン店を営む川田利明さん(62)」と伝えています。
闘魂列伝シリーズ第39弾は、四天王の最後の1人。リングを降りたあとも、厨房に立ち続けている人の話です。
- 現在:ラーメン店「麺ジャラスK」店主。開店は2010年6月12日。2026年9月時点でも店長名義の公式Xが動いていて、報道でも「ラーメン店を営む」と紹介されている
- リングでの頂点:デビューから205連敗。そこから三冠ヘビー級王座を5度戴冠し、5度目は10回防衛した(全日本プロレス公式)
- 引退はしていない:正式な引退表明はないまま、本人いわく「三沢さんが亡くなってから1年ぐらいでリングを降りた」。復帰については2020年に自分の口で否定している
🐄(ウッシ小声:四天王の4人目を書いたら、店の話と試合の話が同じ重さになりました。この人の場合、どちらも殴り合いです)
この記事でわかること
- 川田利明さんの現在と、店について2026年に確認できたこと
- デビュー205連敗から三冠王者になるまで
- 三冠ヘビー級王座5度の日付と会場
- 2000年、なぜ全日本プロレスに残ったのか
- 引退していないのに、なぜリングを降りたのか
📋 川田利明さん プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 川田利明(かわだ としあき) |
| 生年月日 | 1963年12月8日(2026年10月時点で62歳) |
| 出身 | 栃木県下都賀郡大平町(現・栃木市) |
| 身長/体重 | 183cm/105kg(太田プロダクション公式プロフィール) |
| 学生時代 | 足利工業大学附属高校レスリング部。3年時に国体優勝。1学年上に三沢光晴さん |
| デビュー | 1982年10月4日・千葉大会。相手は冬木弘道さん |
| 主なタイトル | 三冠ヘビー級王座(5度)/世界タッグ王座/アジアタッグ王座/チャンピオン・カーニバル優勝(1994年・1997年) |
| 得意技 | ジャンピングハイキック/パワーボム/ストレッチプラム/延髄斬り |
| 現在 | ラーメン店「麺ジャラスK」店主(東京都世田谷区) |
🍜 現在:世田谷のラーメン店「麺ジャラスK」の店主
店の名前は「麺ジャラスK」。自分のニックネーム「デンジャラスK」にちなんだ名前で、2010年6月12日に開店しました。看板はカレー白湯ラーメンと鶏の唐揚げです。
2026年10月2日時点で、当ブログが出典を開いて確認できたことは次のとおりです。
| 確認できたこと | 時点 | 出典 |
|---|---|---|
| 「現在はラーメン店を営む川田利明さん(62)」と報道 | 2026年9月 | 西スポWEB OTTO! |
| 「麺ジャラスK 店長 川田利明」名義の公式Xが投稿 | 2026年9月2日 | 本人のX |
| 肩書きは「『麺ジャラスK』店主、プロレスラー」 | 2026年2月 | 東洋経済オンライン |
| 公式Xで「足場で隠れていますが通常営業です」 | 2025年11月 | 本人のX |
| 所在地は東京都世田谷区喜多見。最寄りは小田急線・成城学園前駅 | 2024年6月 | 東スポWEB |
営業時間と定休日は、2026年時点の公式な情報を確認できなかったので書きません。公式Xでは過去に臨時休業や開店時間の変更が告知されています。行く前に店長名義のX(@orenooudou)を見るのが確実です。
経営は楽ではありません。2024年6月の東スポWEBで、本人はこう語っています。
同じ年の婦人公論.jpでは「あと5年続ければ店は20周年。でも、そこまでは続かないような気がしている」とも書いています。それでも2026年9月の時点で、肩書きは店主のままです。
🥋 デビューから205連敗
川田さんは栃木県の出身です。足利工業大学附属高校のレスリング部で、1学年上にいたのが三沢光晴さんでした。
当時の指導者は東スポの連載で、三沢さんを天才肌、川田さんを努力家と振り返っています。3年時に国体で優勝し、1982年3月、三沢さんを追うように全日本プロレスへ入門しました。
デビューは同年10月4日。そこから先が長かった。当時の全日本は先輩の若手が多く、川田さんはいちばん下で、デビュー以来205連敗という記録が残っています(Number Web)。
流れが変わったのは1987年です。天龍源一郎さんの「天龍同盟」に加わり、冬木弘道さんとのコンビ「フットルース」でアジアタッグ王座を3度巻きました。1988年の世界最強タッグ決定リーグ戦では、天龍さんのパートナーに抜擢されています。
👑 三沢さんを追いかけて、三冠を5度
1990年代に入ると、三沢さんと同じ超世代軍で戦います。1991年7月に2人で世界タッグ王座を獲り、その年のプロレス大賞・最優秀タッグチーム賞にも選ばれました。
ところが1993年、川田さんは超世代軍を出ます。組んだ相手は田上明さん。誘ったのは川田さんで、田上さんは東スポの連載で「俺は組みたくなかった」「でもアイツと試合したら息が合うんだよ」と語っています。
このコンビが「聖鬼軍」です。1993年6月の世界タッグ王座戦あたりから、三沢さん・川田さん・田上さん・小橋建太さんの4人は「四天王」と呼ばれるようになりました。
三冠ヘビー級王座の戴冠は5度。全日本プロレス公式の歴代王者表では、こうなっています。
| 代 | 戴冠日 | 会場 | 相手 |
|---|---|---|---|
| 第12代 | 1994年10月22日 | 日本武道館 | スティーブ・ウィリアムスさん |
| 第18代 | 1998年5月1日 | 東京ドーム | 三沢光晴さん |
| 第21代 | 1999年1月22日 | 大阪府立体育会館 | 三沢光晴さん |
| 第28代 | 2002年2月24日 | 日本武道館 | 武藤敬司さん |
| 第32代 | 2003年9月6日 | 日本武道館 | 王者決定トーナメント |
初戴冠は6度目の挑戦でした。ジャイアント馬場さんは「普段の努力のたまものですよ。いつも一人で黙々と練習をやっとるしな」と目を細めたそうです。
ただ、ベルトは長く持てませんでした。1999年1月は試合中に右腕を骨折して返上。2002年もひざの負傷で返上しています。
5度目の戴冠でようやく10回防衛し、2005年2月16日に小島聡選手に敗れるまで王者でした。
🔥 語り継がれる名勝負
| 日付・会場 | カード | 結果 |
|---|---|---|
| 1992年6月5日・日本武道館 | 三冠戦 対 スタン・ハンセンさん | 21分18秒の激闘。ベルトには届かず。プロレス大賞 年間最高試合賞 |
| 1995年6月9日・日本武道館 | 世界タッグ戦 川田さん&田上さん 対 三沢さん&小橋さん | 川田さん&田上さん組が王座奪取。年間最高試合賞 |
| 1998年5月1日・東京ドーム | 三冠戦 対 三沢光晴さん | 勝利。観衆5万8300人 |
| 2000年10月9日・東京ドーム | 対 佐々木健介さん | ジャンピングハイキックで勝利。年間最高試合賞 |
| 2005年7月18日・東京ドーム | 対 三沢光晴さん(ノア) | 最後のエルボーで敗れる。2人の最後の試合 |
1998年の東京ドームは、全日本プロレス初のドーム大会でした。東スポWEBは、前年4月の巴戦での勝利に触れたうえで、この試合を「ついにシングルで三沢から初勝利を収めた」一戦と書いています。
リング上でマイクを向けられた川田さんは、「今プロレス人生で一番幸せです!」と叫びました。
三沢さんとの試合について、本人は2026年2月の東洋経済オンラインでこう振り返っています。
1994年6月3日の三冠戦で三沢さんが解禁した技は、タイガードライバーの記事にまとめています。
🐄(ウッシ小声:私はこの時代を会場で観ていません。高校のころ、レンタル店のプロレスビデオを端から借りて、映像で追いかけた世代です)
📺 動画で観る(公式)
📺 1992年 三冠戦 対 スタン・ハンセンさん(日テレプロレス中継アーカイ部【公式】)
📺 【必殺技シリーズ】パワーボム 1995年6月9日・日本武道館(日テレプロレス中継アーカイ部【公式】)
🦵 得意技:蹴って、投げて、絞める
太田プロダクションの公式プロフィールに載っている得意技は、顔面へのハイキック・ストレッチプラム・パワーボム・延髄斬り・ジャンピングハイキックです。
- ジャンピングハイキック:大一番の決まり手。蹴りの基本はハイキックのやり方で図解しています
- パワーボム:1997年の巴戦で三沢さんを、2002年に武藤さんを沈めた技。仕組みはパワーボムのやり方へ
- ストレッチプラム:川田さんの代名詞になった絞め技。2003年10月26日、ドン・フライさんをこの技で止めて防衛しました
- デンジャラス・バックドロップ:川田さんのバックドロップはこう呼ばれました。投げ方の違いはバックドロップのやり方に
- 延髄斬り:延髄斬りのやり方へ
1999年1月の三沢さん戦と2002年2月の武藤さん戦では、垂直落下式パワーボムも出しています。技の系統は、ウッシのプロレス技大図鑑=プロレス技 一覧【図解】でどうぞ。
🏯 2000年、全日本に残った
1999年1月31日に馬場さんが亡くなり、翌2000年、三沢さんたちは全日本プロレスを離れてノアを旗揚げします。
川田さんは残りました。渕正信選手は2026年3月の東スポWEBで、当時の電話を明かしています。
2000年7月1日、ディファ有明での再出発。メインは渕選手とのシングルで、川田さんがパワーボムで勝ちました。
同じ年の10月9日には、新日本プロレスの東京ドームに乗り込みます。当時IWGPヘビー級王者だった佐々木健介さんに勝ち、「この人数でも全日本はやってますと馬場さんに報告したい」と話しました。
2002年2月、武藤さんから三冠を取り返した夜の言葉は「これも全日本プロレスです!」。2005年からはフリーになり、「ハッスル」にも上がりました。
🚪 引退はしていない。それでもリングを降りた理由
2009年6月13日、三沢さんが試合中の事故で亡くなりました。川田さんがリングを離れた理由は、ここにあります。
店を開いたのは、その翌年の6月です。本人は「三沢さんが亡くなってから1年ぐらいでリングを降りた」と語っています。
引退は表明していません。2020年の東スポWEBの対談では、引退興行を「若いころからやらないって決めていた」と話しました。引退してはカムバックする流れに納得できない、というのが理由です。
一方で現役復帰は、同じ対談で本人が否定しています。体がボロボロでトレーニングもできない、という説明でした。
リングとの縁は切れていません。2013年には小橋さんと田上さんの引退セレモニーに姿を見せ、2018年4月には初のプロデュース興行「Holy War」を開いています。
🌟 四天王の中での位置付け
| 四天王 | 当ブログの見立て |
|---|---|
| 三沢光晴さん(⑪) | 仮面を脱いで時代を変えた人 |
| 小橋建太さん(⑫) | 病を越えて戻ってきた人 |
| 田上明さん(㊳) | 最後にドアを閉めた人 |
| 川田利明さん(㊴) | 看板の下に残った人 |
全日本に残り、いまは自分の店に立ち続ける。場所が変わっても、やっていることは同じです。
📡 川田さんの試合と、いまのプロレスを観るには
1990年代の試合は、上に貼った日テレ公式のYouTubeで一部を観られます。全日本プロレスTVのバトルライブラリーにも、2000年代の川田さんの試合が並んでいました(2026年10月2日に公式サイトで確認)。料金と見方は全日本プロレスTVの視聴方法へどうぞ。
団体ごとの視聴先はプロレスはどこで観る?とプロレス配信サービス比較に整理しています。
🐄 ウッシ視点:「経営の勉強はしなかった」の重さ
ここからは営業部長の私見です。
川田さんの言葉でいちばん刺さったのは、試合の話ではありません。2024年の東スポWEBの、この一言でした。
私にも似た覚えがあります。21歳で営業になり、初めてのメーカー研修の報告会で「毎日がんばりました」しか言えませんでした。営業はデータと数字と情報だと、そこで叩き込まれています。
腕があることと、数字が回ることは別の話です。三冠を5度巻いた人が、それを自分の失敗として語っている。だから重い。
川田さんは同じインタビューで、転職を考えている人に「熟考してほしい」と呼びかけています。私は転職のとき、通らなければ家業に入るつもりで条件を出しました。退路を1本持ってから飛べ、と私は読みました。
それでも店を続ける理由を、本人は「意地と性格だろうね」と言いました。205連敗でも辞めなかった人の言い方です。
❓ よくある質問
Q. 川田利明さんは現在、何をしていますか?
A. 東京都世田谷区のラーメン店「麺ジャラスK」の店主です。2026年9月6日の西スポWEB OTTO!が「現在はラーメン店を営む川田利明さん(62)」と報じています。
Q. 麺ジャラスKはどこにありますか? 営業時間は?
A. 2024年6月の東スポWEBには、所在地は東京都世田谷区喜多見、最寄りは小田急線・成城学園前駅と載っています。営業時間と定休日は変わることがあるので、店長名義の公式X(@orenooudou)で確認してください。
Q. 川田利明さんは引退したのですか?
A. 正式な引退表明はしていません(2020年6月の東スポWEB対談)。ただし本人は現役復帰を否定していて、2026年2月の東洋経済オンラインの紹介文も「レスラーとしてはリングから遠ざかっている」としています。
Q. 三冠ヘビー級王座は何回獲りましたか?
A. 5回です。第12代・第18代・第21代・第28代・第32代で、第32代のときに10回防衛しました(全日本プロレス公式)。
📝 まとめ:川田利明さんは「残って、立ち続ける人」
- 現在はラーメン店「麺ジャラスK」の店主(2026年9月の報道で確認)。開店は2010年6月12日
- 1963年12月8日・栃木県生まれ。1982年10月4日デビューから205連敗
- 三冠ヘビー級王座を5度戴冠。1998年5月1日の東京ドームで三沢さんを破った
- 2000年の分裂では全日本プロレスに残留。同年10月9日に佐々木健介さんを破った
- 正式な引退表明はなし。三沢さんの死で「情熱がスーッと冷めていった」と語っている
- 店は開店から14年間赤字(2024年6月時点の本人談)
四天王の列伝は、これで4人がそろいました。
闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄
⚠️ 注意:プロレスの技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は真似しないでください。
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📺 闘魂列伝シリーズ
◀ 前の回(㊳田上明)を読む / 次の回(㊵天龍源一郎)を読む ▶
📚 参考・出典(20件)
すべて2026年10月2日に開いて確認しました。引用内の全角数字は半角に置き換え、入れ子の「」は内側を『』に改め、原文の丸括弧の補足は一部省略しています。
- 全日本プロレス公式:三冠ヘビー級王座 歴代王者 ── 第12・18・21・28・32代の戴冠日と会場/第32代の防衛10回/第33代 小島聡選手(2005年2月16日)
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- 全日本プロレス公式:アジアタッグ王座 歴代王者 ── サムソン冬木さんとの3度の戴冠
- 全日本プロレス公式:チャンピオン・カーニバル 歴代優勝者 ── 1994年・1997年の優勝
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- プロレス大賞公式サイト:1992年受賞者 ── 年間最高試合賞(6月5日・日本武道館・21分18秒)
- プロレス大賞公式サイト:1995年受賞者 ── 年間最高試合賞(6月9日・日本武道館)
- プロレス大賞公式サイト:2000年受賞者 ── 年間最高試合賞(10月9日・東京ドーム)
- プロレス大賞公式サイト:1991年受賞者 ── 最優秀タッグチーム賞
- 西スポWEB OTTO!(2026年9月6日) ── 「現在はラーメン店を営む川田利明さん(62)」/9月2日のX投稿
- 東洋経済オンライン(2026年2月5日) ── 三沢さんとの試合の回想/2005年7月18日・東京ドーム/「1年ぐらいでリングを降りた」/著者紹介(開店日・Holy War)
- 東スポWEB(2026年3月15日)渕正信選手の証言 ── 2000年の残留と電話/7月1日ディファ有明
- 東スポWEB(2026年1月15日)谷津嘉章連載#5 ── 高校レスリング部時代
- 東スポWEB(2026年8月28日)田上明連載#8 ── 聖鬼軍の結成/「四天王」と呼ばれ始めた時期
- 東スポWEB(2024年6月16日)「麺ジャラスK」インタビュー ── 資本金とベンツ3台/14年間赤字/リングを離れた理由/所在地/著書
- 東スポWEB(2022年6月12日)昭和~平成スター列伝 ── 1997年4月19日の巴戦/1998年5月1日・東京ドーム・5万8300人
- 東スポWEB(2020年6月14日)龍魂激論⑥後編 ── 引退を表明しない理由/現役復帰の否定/プロフィール(デビュー日・国体優勝・2005年からフリー)
- ベースボール・マガジン社:1994年10月22日 三冠初戴冠/2000年10月9日 佐々木健介さん戦/2002年2月24日 武藤敬司さん戦 ── 決まり手とコメント
- Number Web(2023年12月8日) ── デビュー205連敗/天龍同盟/フットルース/1988年の最強タッグ
- 婦人公論.jp(2024年7月25日) ── 「あと5年続ければ店は20周年」
このほか、小橋さんの引退セレモニーは日刊スポーツ(2013年5月12日)、田上さんの引退セレモニーはデイリースポーツ(2013年12月8日)、Holy Warは東スポ(2018年4月26日・アーカイブ)、ドン・フライさん戦の決まり手はバトル・ニュース、「デンジャラス・バックドロップ」の呼び名はAERA DIGITAL、店の看板メニューはメシ通(2020年3月5日)、2025年11月の営業案内は店長名義の公式X(@orenooudou)で確認しました。お店の営業状況は変わります。必ず一次情報でご確認ください。
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