藤原喜明|関節技の鬼、ゴッチ直伝の技を77歳の今も【闘魂列伝㊿】
※本記事はプロモーションを含みます
「関節技の鬼」と呼ばれ、世界のレスラーに名前のついた技を残した人がいます。
闘魂列伝シリーズ第50弾は、藤原喜明選手です。
1972年に新日本プロレスへ入門し、77歳になった2026年もリングに上がっています。
この記事では、藤原選手の歩みを、本人のインタビューと報道をもとに振り返ります。
- 新日本の道場育ち:1972年、旗揚げしたばかりの新日本プロレスに23歳で入門した
- 関節技の鬼:カール・ゴッチさんに学び、脇固めは「フジワラ・アームバー」の名で世界に広まった
- 77歳の今も現役:2026年5月27日、後楽園ホールで喜寿記念の6人タッグに出場した
この記事でわかること
- 新日本プロレスへの入門と、道場での若手時代
- カール・ゴッチさんから学んだ関節技
- 1984年2月の札幌と、UWFへの移籍
- 藤原組の旗揚げと、77歳の今
📋 藤原喜明選手 プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 藤原喜明(ふじわら よしあき) |
| 生年月日 | 1949年4月27日 |
| 出身 | 岩手県江釣子村(現・北上市) |
| 体格 | 185cm・102kg(Wikipediaのプロフィール欄。ほかの数字で書くメディアもある) |
| 入門 | 1972年、新日本プロレス(23歳) |
| デビュー | 1972年11月12日 |
| 異名 | 関節技の鬼、組長 |
| 代名詞 | 脇固め(フジワラ・アームバー) |
| 今 | フリーで試合を続ける。俳優としても活動 |
🌱 第1章:23歳で新日本へ、道場の「ちゃんこ番」
藤原喜明選手は1949年4月27日、岩手県の江釣子村(いまの北上市)に生まれました。
6人きょうだいの長男です。
会社勤めをしたあと、23歳で、旗揚げしたばかりの新日本プロレスに入門しました。
デビューは1972年11月12日です。
入門してしばらくのころ、藤原選手はひざを痛めて練習ができず、選手たちの食事を作る「ちゃんこ番」をしていました。
そのころ、道場にコーチとしてやって来たのが、「プロレスの神様」と呼ばれたカール・ゴッチさんでした。
若いころ面倒を見てくれた「鬼軍曹」
若手時代の藤原選手は、山本小鉄さんの付き人も務めています。
集英社のスポルティーバで、藤原選手は山本さんを「入門した頃に一番、俺の面倒を見てくれた」人だと振り返っています。
🥋 第2章:カール・ゴッチさんに学んだ「関節技」
藤原選手の土台になったのが、ゴッチさんから直接受けた指導です。
30歳で初めてアメリカへ渡ったとき、藤原選手はフロリダ州タンパのゴッチさんの家で練習を重ねました。
スポルティーバの連載によると、練習はこんな毎日だったそうです。
- 朝から3〜4時間、休まずに練習する
- 昼食のあとは、町の柔道の道場で、畳の上で関節技の練習
- ゴッチさんと、毎日スパーリング
ゴッチさんの教えは、技を極めるバランスは「力が25パーセント、テクニックが75パーセント」というものでした。
教わったことをすべて復習し終えるまでに、約10年かかったと藤原選手は話しています。
藤原選手はゴッチさんを「天才のなかの天才」と表現しています。
脇固めが「フジワラ・アームバー」に
藤原選手の代名詞が、脇固めです。
相手の腕を脇に抱え込み、肘を伸ばしたまま極める技です。
この技は、藤原選手の名前から「フジワラ・アームバー」とも呼ばれ、世界中のレスラーが使っています。
ほかの関節技は、プロレスの関節技一覧にまとめています。
❄️ 第3章:1984年2月、雪の札幌
藤原選手の名前が一気に広まったのが、1984年2月3日の札幌でした。
この日、札幌市中島体育センターでは、藤波辰巳さん(いまの藤波辰爾選手)と長州力さんのタイトルマッチが予定されていました。
その長州さんが入場してきたところを、頭に包帯を巻いた男が襲います。
その男が藤原選手でした。
この出来事のあと、藤原選手は「テロリスト」として注目を集め、メインイベンターになりました。
40年以上たって、スポルティーバの連載で藤原選手が語ったのは、「『行け』って言われてやっただけの話」という一言です。
🔀 第4章:UWFへ、そして藤原組の旗揚げ
1984年6月、藤原選手は12年あまり在籍した新日本プロレスを離れ、UWFに移りました。
6月27日の記者会見には、一緒に移籍した高田伸彦さん(いまの髙田延彦さん)と出席しています。
その後、新生UWFの解散を経て、1991年3月4日に「藤原組」を旗揚げしました。
後楽園ホールでの旗揚げ戦は、主催者発表で2,300人が入り、超満員だったそうです。
藤原組には、船木誠勝選手、鈴木みのる選手、冨宅祐輔さん(いまの冨宅飛駈さん)が加わりました。
最高顧問には、師匠のゴッチさんを迎えています。
猪木さんとの一騎打ち
1995年3月19日、藤原選手は師であるアントニオ猪木さんとシングルで戦いました。
スポルティーバの連載によると、このあと2人は一度疎遠になります。
それでも2007年、藤原選手が猪木さんのIGFに参加したことで、師弟の絆は再び強まりました。
食事の席は、猪木さんが亡くなる直前まで続いたといいます。
🎬 第5章:俳優として、そして77歳のリング
藤原選手は、俳優としても長く活動しています。
テレビドラマや映画のほか、ゲーム『龍が如く』シリーズでは、2005年の1作目から「サイの花屋」役を演じています。
そして2026年5月27日。
後楽園ホールで行われた佐山サトルさんのデビュー50周年の大会で、藤原選手は喜寿(77歳)記念の6人タッグマッチに出場しました。
藤原選手・船木誠勝選手・石川雄規選手組と、高橋義生選手・アレクサンダー大塚選手・村上和成選手組の対戦です。
デイリースポーツによると、藤原選手は頭突きや脇固めを見せ、15分を超える試合を戦い抜きました。
最後は高橋選手の膝十字固めでレフェリーストップとなりましたが、試合後にはこう話しています。
🐄 ウッシ視点:ケガをした時間を、学ぶ時間に変えた人
ここからは営業部長の私見です。
藤原選手の話で一番心に残ったのは、ひざを痛めて練習できなかったころの話です。
ちゃんこ番をしながら、道場に来たゴッチさんの指導を見ていた。
そこから「関節技の鬼」が生まれていきます。
仕事でも、思うように動けない時期はあります。
そのとき、腐るか、学ぶ時間に変えるか。
そして、教わったことを10年かけて復習し続ける。
派手さはなくても、積み重ねた人は強い。
藤原選手の歩みは、そのお手本です🐄
❓ よくある質問
Q. 藤原喜明選手はなぜ「関節技の鬼」と呼ばれるのですか?
A. カール・ゴッチさんのもとで関節技を学び、関節技を中心にした戦い方で知られているからです。
脇固めは、藤原選手の名前から「フジワラ・アームバー」とも呼ばれています。
Q. 藤原喜明選手は今も試合をしていますか?
A. はい。2026年5月27日、77歳で後楽園ホールの6人タッグマッチに出場しました。
Q. 藤原組にはどんな選手がいましたか?
A. 1991年の旗揚げ時は、藤原選手のほか、船木誠勝選手、鈴木みのる選手、冨宅祐輔さん(いまの冨宅飛駈さん)が所属していました。
Q. 札幌の「長州力さん襲撃」はいつですか?
A. 1984年2月3日、札幌市中島体育センターです。
📝 まとめ:藤原喜明選手は「関節技を世界に広めた人」
- 1972年、23歳で新日本プロレスに入門。ひざを痛めた時期に、カール・ゴッチさんの指導に出会う
- ゴッチさんのもとで関節技を学び、脇固めは「フジワラ・アームバー」として世界に広まった
- 1984年2月3日の札幌でメインイベンターに。同じ年の6月にUWFへ
- 1991年に藤原組を旗揚げし、船木誠勝選手・鈴木みのる選手らと戦った
- 77歳になった2026年も、リングに上がっている
藤原選手、これからもお元気で、その石頭と関節技を見せてください。
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📺 闘魂列伝シリーズ
📚 参考・出典(9件)
すべて2026年10月27日に開いて確認しました。
- Wikipedia「藤原喜明」 ── 生年月日・体格(185cm・102kg、ほかの数字の記載あり)・1972年11月12日のデビュー/「テロリスト」として注目/脇固め=フジワラ・アームバー/『龍が如く』の「サイの花屋」(2005年〜)
- スポルティーバ「藤原喜明が振り返る半生」(松岡健治・2026年1月8日) ── 岩手県江釣子村の生まれ・6人きょうだいの長男・会社勤めのあと23歳で入門・1984年2月3日の札幌からメインイベンターへ
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- スポルティーバ「藤原喜明が振り返る、新団体設立と不穏な船出」(2026年5月21日) ── 新生UWF解散後に藤原組・1991年3月4日に後楽園ホールで旗揚げ(主催者発表2,300人・超満員)・ゴッチさんが最高顧問・船木選手・鈴木選手・冨宅さん
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