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【闘魂列伝⑭】アントニオ猪木|「1・2・3・ダーッ!」を生んだ燃える闘魂の生涯
— 闘魂列伝 —

【闘魂列伝⑭】アントニオ猪木|「1・2・3・ダーッ!」を生んだ燃える闘魂の生涯

USSIBLOG
📖 この記事の目次
  1. 📋 アントニオ猪木 プロフィール
  2. 🌱 ブラジル移民から「日本最大のプロレスラー」へ
  3. 🔥 必殺技TOP4|「卍固め」を生んだ男
  4. 🥊 伝説の名勝負3選|「異種格闘技戦」を作った男
  5. 📺 動画で観る(公式)
  6. 🌟 闘魂列伝シリーズでの位置付け
  7. 💼 サラリーマンが猪木から学ぶ3つの教訓
  8. 📺 猪木の試合を「今」観る方法
  9. ❓ アントニオ猪木に関するよくある質問
  10. 📝 まとめ:アントニオ猪木は「昭和最大の起業家であり、プロレスの神」
  11. 🔗 あわせて読みたい
  12. 📚 参考・出典

※本記事はプロモーションを含みます

「アントニオ猪木って、昔のプロレスのおじさんでしょ?」

20代・30代の方なら、そう思っているかもしれません。

元気ですかーっ!」と叫んでビンタしてた、ちょっと変わったおじさん。テレビで「1、2、3、ダーッ!」って締めの掛け声をやってた人。北朝鮮に何度も行って外交してた政治家——。

その全部が同じ人です。アントニオ猪木。

そして2022年10月、79歳で亡くなった時、日本中のスポーツ紙が一面で報じました。普通の元プロレスラーで一面はあり得ません。それくらい、日本のスポーツ・エンタメ史に巨大な足跡を残した人物だった、ということです。

闘魂列伝シリーズ14人目は、シリーズの元祖にして、シリーズタイトルの「闘魂」という言葉そのものを作った男、アントニオ猪木。

「プロレスを知らない世代」のあなたに、なぜ猪木が今でも語り継がれるのか、丁寧に翻訳してお伝えします。

📋 アントニオ猪木 プロフィール

まず基本データから。あなたの親世代にとってのヒーローです。

項目内容
リングネームアントニオ猪木
本名猪木 寛至(いのき かんじ)※出生名は「完至」、後に改名
生年月日1943年(昭和18年)2月20日
没年月日2022年10月1日(79歳・心不全)
出身神奈川県横浜市鶴見区
身長/体重公称190cm / 102kg
デビュー1960年9月30日 台東区体育館(大木金太郎戦)
引退試合1998年4月4日 東京ドーム(ドン・フライ戦)
所属日本プロレス→東京プロレス→新日本プロレス(創設者
主要タイトルNWF世界ヘビー級王座(1973)/初代IWGPヘビー級王者(1987)
後の活動参議院議員(2期)/プロレスラー初の国会議員

📝 ここがポイント:「新日本プロレス」って、棚橋弘至やオカダ・カズチカが所属してる団体。あれを1972年に作った人が猪木です。今のプロレス興行のほとんどが、彼の作った仕組みの上に成り立っています。

★★★★★ 闘魂列伝 VOL.14
アントニオ猪木
"燃える闘魂" / ストロングスタイルの祖
👁 見た目
公称190cmの長身痩躯に、相手を射抜くような鋭い眼光。試合前は赤いタオルを肩にかけ、ガウンをまとってリングへ。あごを突き出した独特の佇まいと、闘志をむき出しにした表情そのものが「闘魂」という言葉の体現だった。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー9
⚡ スピード8
🎯 テクニック9
🔋 スタミナ10
😈 ヒール度6
👑 カリスマ10
🥋 得意技
卍固め 延髄斬り コブラツイスト ジャーマン・スープレックス
👑 主な戴冠歴
1973NWF世界ヘビー級王座vs ジョニー・パワーズ
1978WWF世界マーシャルアーツ王座初代王者に認定(MSG)
1987初代IWGPヘビー級王座vs マサ斎藤(リーグ決勝)
💥 必殺技
卍固め
両足で相手の片足を縛り、両腕で頭と腕を絡め取り、全身を「卍」の形にひねり上げる。日本プロレス史上もっとも有名な関節技にして、燃える闘魂の代名詞。
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『アントニオ猪木自伝』(新潮文庫)表紙
“燃える闘魂”が自らの半生を綴った『アントニオ猪木自伝』(新潮文庫)。力道山への弟子入りから新日本旗揚げ、伝説の闘いまで——本人の言葉で生き様が分かる一冊です。

🌱 ブラジル移民から「日本最大のプロレスラー」へ

少年時代:13歳でブラジルへ

猪木が13歳のとき、家族と一緒にブラジルへ移民します。1957年、戦後の日本がまだ貧しかった頃です。

サンパウロのコーヒー農園で、過酷な肉体労働の日々。今で言えば、中学2年生が異国の地で農作業をしている状態です。

そこで運命の出会いがありました。

1960年:プロレスの神様・力道山にスカウト

当時の日本プロレス界の絶対的スター、力道山がブラジル遠征に来ていました。

身長190cm(公称)の体格を見込まれた17歳の猪木は、その場でスカウト→同年4月10日に帰国し日本プロレス入門

力道山って誰

戦後の日本で「空手チョップ」で外国人レスラーを次々倒した国民的ヒーロー。テレビが家にやってきた時代の象徴的存在。1963年、暴力団員に刺殺され39歳で死去。猪木は入門3年半で師匠を失ったことになります。

1972年3月6日:新日本プロレス旗揚げ

その後の猪木は、団体内のゴタゴタを経て、1971年に日本プロレスを除名

翌1972年3月6日、自前の団体「新日本プロレス」を旗揚げします。場所は東京の大田区体育館。

29歳での起業。今で言うなら29歳のスポーツ選手が独立してプロリーグを立ち上げたようなもの。これがどれほど無謀で、どれほど野心的だったか。

そして、その新日本プロレスが、半世紀後の今もプロレス界の最大手として続いている。猪木が作った仕組みは生き残ったということです。

🔥 必殺技TOP4|「卍固め」を生んだ男

「強い」だけじゃプロレスラーは伝説になりません。猪木には代名詞となる技がいくつもありました。

第1位:卍固め(まんじがため)

猪木の代名詞であり、おそらく日本のプロレス史でもっとも有名な関節技

両足で相手の片足を縛り、両腕で相手の頭と腕を絡め取って、全身を「卍」のような形にひねり上げる関節技です。

源流は英国の「フィルフォット・ホールド」と呼ばれていた古典技。これを猪木の師匠カール・ゴッチが直伝。1968年12月13日、後楽園ホールでブルート・バーナード戦で日本初公開しました。

「卍固め」という技名は、日本テレビが一般から公募して決まったもの(3万5,000通超の応募)。1969年2月6日に決定。

📝 ちなみに:別名「オクトパス・ホールド(タコの固め技)」「アントニオ・スペシャル」。

🔗 卍固めのかけ方・歴史をさらに詳しく知りたい方は卍固めとは?やり方・コツ・歴史を図解で解説もどうぞ。

第2位:延髄斬り(えんずいぎり)

猪木が1976年のモハメド・アリ戦のために開発した跳び後ろ回し蹴り。

ジャンプして後頭部(延髄あたり)を蹴り抜く豪快な技。アリ戦に向けた公開スパーリングで披露され、その後の試合で繰り出されるようになったとされます。

「修羅場くぐりの延髄斬り」と称された、逆転の切り札です。後年は橋本真也ら弟子たちにも受け継がれました。

🔗 技の詳しい仕組みは延髄斬りとは?やり方・狙う場所・危険性を図解で解説しています。

第3位:コブラツイスト

初期の猪木を代表したフィニッシュ技。「猪木といえばコブラツイスト」と呼ばれた時期もあったが、ジャイアント馬場ら他レスラーも多用するようになり、卍固めへ移行したと言われています(諸説あり)。

🔗 コブラツイストの極め方・卍固めとの違いはコブラツイストとは?やり方・効果・卍固めとの違いを図解で詳しく解説しています。

第4位:ジャーマン・スープレックス・ホールド

師匠カール・ゴッチ直伝の名技。背後から相手を抱え、後方へ反り投げて両肩を一気に押さえつけるプロレスの芸術品と呼ばれた技です。

🥊 伝説の名勝負3選|「異種格闘技戦」を作った男

猪木が突出していたのは、プロレスのリングを飛び出して、他のジャンルの強者と戦ったこと。今で言う「異種格闘技戦」を世界で初めて本格的に展開した男です。

その口火を切ったのが、アリ戦の4か月前——1976年2月6日、日本武道館でのウィレム・ルスカ戦。ルスカはミュンヘン五輪の柔道金メダリストで、猪木はこれにTKO勝ち。テレビ視聴率は推定34%を超えたとされ、ここから猪木の異種格闘技戦シリーズが始まりました。

①【1976年6月26日】vs モハメド・アリ(日本武道館)

人類史に残る一戦

モハメド・アリ=言わずと知れたボクシングの絶対王者。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」のキャッチフレーズで、ボクシング史上最高の選手の一人。

その世界王者と、日本のプロレスラーが「ボクシングルールとプロレスルールの混合」で戦う——。

世界中継、テレビ視聴率は推定30%超え。試合は15ラウンド判定引き分け

当時のメディアからは「世紀の凡戦」と酷評されました。猪木が寝そべったままアリの足を蹴り続けるシーンが、見栄えが悪かったから。

しかし現代では再評価されています。これは事実上、世界初の総合格闘技。MMA(総合格闘技)の祖と位置付ける専門家もいます。

📺 YouTube等で観られます。一度観てください。「凡戦」と言われた理由と、「これは何かが始まった瞬間だった」という後世の評価、両方を体感できます。

②【1987年10月4日】vs マサ斎藤(巌流島の決闘)

観客ゼロ・時間無制限・ノールールの異常な試合

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した山口県の「巌流島」で、観客を一人も入れず、テレビカメラだけが回る中、猪木と後輩のマサ斎藤が殴り合いました。

決着は2時間5分14秒、裸絞めでKO勝ち。両者は鎖骨や剣状突起を骨折。

プロレスの「興行性」と「真剣勝負」のギリギリの境界を狙った企画。今で言うなら、YouTube独占配信の超巨大コラボみたいなものです。

③【1988年8月8日】vs 藤波辰巳(横浜文化体育館)

新日本プロレスの世代交代を象徴する試合

絶対的エースだった猪木に、後輩の藤波辰巳(現・辰爾)が挑む。

60分時間切れ引き分け。「飛龍革命」と呼ばれる藤波の反逆精神の頂点。

猪木自身が後年「生涯ベストバウト1位」に選んだ試合。負けじゃなく引き分けで、しかも後輩との一戦。それを最高傑作と呼ぶあたりに、猪木の哲学が出ています。

📺 動画で観る(公式)

📺 アントニオ猪木 vs ビガロ IWGP戦(新日本プロレス公式)

🌟 闘魂列伝シリーズでの位置付け

闘魂列伝14人目で、ようやく元祖を取り上げました。

  • 武藤敬司(①)、棚橋弘至(③)、中邑真輔(⑥)、オカダ・カズチカ(⑦)、内藤哲也(⑨)……
  • 彼らは全員「新日本プロレス」というブランドに育てられた
  • そのブランドを作ったのが猪木

燃える闘魂」「ストロングスタイル」というキャッチフレーズも、すべて猪木が作った。

つまりシリーズ全体が、猪木の影響下にある。それくらい、現代日本プロレスの「文法」そのものを発明した男です。

💼 サラリーマンが猪木から学ぶ3つの教訓

猪木の人生は破天荒ですが、現代のサラリーマンに刺さる教訓が詰まっています。

教訓①:「自分の旗を立てる」勇気

29歳で、猪木は所属団体を追われ、自分で新日本プロレスを旗揚げしました。

会社員でいえば、29歳で独立起業。しかも、業界最大手の元エースを敵に回しての挑戦。

普通は怖くてできません。安定を捨てて、自分の名前で勝負する勇気。

でも今の時代、サラリーマンも副業や個人ブランドという「自分の旗」を立てやすい時代になっています。会社の看板に頼らず、自分のスキルで稼ぐ場を一つでも持つ。

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教訓②:「異種で勝負する

猪木が偉大なのは、プロレスというホームで王者になっただけじゃないこと。

ボクシング、柔道、格闘技、そして政治——。完全な「アウェイ」に飛び込んで戦った。

サラリーマン的に翻訳すれば、「自分の専門外」を恐れず取りに行くこと。

営業職ならマーケティングを学ぶ。エンジニアなら経理を覚える。専業主婦なら投資を始める——。

異種格闘技戦の本質は、「自分の枠を壊し続ける」ことです。

教訓③:「引き際を自分で決める

1998年4月4日、東京ドーム。観客7万人超の前で、猪木は引退試合をやり、自ら引退セレモニーで詩を朗読しました。

この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

詩のタイトルは「道」。

⚠️ 小ネタ:猪木はこの詩を「一休禅師の言葉」と紹介していましたが、実際の作者は清沢哲夫(真宗大谷派の僧侶)の詩集『無常断章』所収のもの。とはいえ、誰の作であろうと、引退の瞬間にこれを朗読する猪木の佇まいが伝説です。

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❓ アントニオ猪木に関するよくある質問

Q1. アントニオ猪木は何が凄かったの?

A. プロレスラーとしての強さに加え、「新日本プロレスを創設」「異種格闘技戦というジャンルを開拓」「プロレスラーで初めて国会議員になった」という3つの偉業をひとりで成し遂げたから。1人で3つの歴史を作った人は、プロレス界に他にいません。

Q2. 「アントニオ」って外国名なの?

A. リングネーム上の名前。先輩レスラーの豊登が、米国で活躍したアントニオ・ロッカ(イタリア系アルゼンチン人レスラー)にあやかって命名したと言われています。猪木自身は日系日本人です。

Q3. モハメド・アリと本当に試合したの?

A. 本当に試合しています。1976年6月26日、日本武道館で15ラウンドの末引き分け。世界中継された大イベントで、推定視聴率30%超。YouTube等で映像を見られます。当時は「凡戦」と酷評されましたが、現代では総合格闘技の原点として高く評価されています。

Q4. 「元気ですか!」のおじさんはなぜ政治家になったの?

A. 1989年、46歳の現役プロレスラーのまま「スポーツ平和党」を結成して参議院選に出馬→約99万票で初当選。プロレスラー初の国会議員でした。政治家として目指したのは「スポーツによる国際平和外交」。北朝鮮に33回訪問するなど、独自の外交活動を展開しました。

Q5. 猪木はいつ亡くなったの?

A. 2022年10月1日、自宅にて心不全で逝去。享年79(満年齢)。原疾患は「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」という難病でした。亡くなった日、日本中のスポーツ紙が一面で報じ、国会でも黙祷が捧げられました。

📝 まとめ:アントニオ猪木は「昭和最大の起業家であり、プロレスの神

  • ✅ 13歳でブラジル移民→17歳で力道山にスカウト→日本プロレス入門
  • ✅ 29歳で新日本プロレス旗揚げ(今も続く業界最大手)
  • ✅ 卍固め・延髄斬りなど代名詞の必殺技を多数開発
  • ✅ モハメド・アリ戦で「異種格闘技戦」の概念を発明
  • ✅ 1998年4月4日、東京ドームで引退・詩「道」を朗読
  • ✅ プロレスラー初の国会議員、北朝鮮外交を独自展開
  • ✅ 2022年10月1日逝去(享年79)

燃える闘魂」というキャッチフレーズは、猪木が亡くなった今も、新日本プロレスの公式キャッチコピーとして残り続けています。

猪木を知らない世代のあなたへ——。ここから一歩だけプロレスの世界に踏み出してみてください。「行けばわかるさ」と、猪木自身が言っています。

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📚 参考・出典

本記事は、以下の公式サイト・報道などを参考に作成しています(2026年5月時点)。

記載内容に明らかな誤りがあれば、お問い合わせフォームよりご指摘ください。

⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。

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