山本小鉄|鬼軍曹、新日本の道場で選手を鍛えた全記録【闘魂列伝㊾】
※本記事はプロモーションを含みます
新日本プロレスの道場で、若い選手を厳しく、そして温かく鍛えた人がいます。
闘魂列伝シリーズ第49弾は、「鬼軍曹」山本小鉄さんです。
山本さんは2010年8月28日、68歳で亡くなられました。
心からご冥福をお祈りします。
この記事では、山本さんが新日本に残したものを、報道をもとに振り返ります。
- 新日本の旗揚げメンバー:1972年、アントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げしたときに参加した
- 鬼軍曹:1980年に引退したあと、道場で若手を厳しく鍛え、「鬼軍曹」と呼ばれた
- 多くの選手を育てた:藤原喜明選手、前田日明さんをはじめ、一流のレスラーを数多く育てた
この記事でわかること
- 日本プロレスでのデビューと、アメリカでの「ヤマハ・ブラザーズ」
- 新日本プロレスの旗揚げと、現役時代の歩み
- 道場の「鬼軍曹」として選手を育てた日々
- 教え子たちが語る、山本さんの素顔
📋 山本小鉄さん プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 山本小鉄(やまもと こてつ) |
| 生年月日 | 1941年10月30日 |
| 出身 | 神奈川県横浜市 |
| 体格 | 170cm・100kg |
| デビュー | 1963年7月19日(日本プロレス) |
| 新日本 | 1972年の旗揚げに参加 |
| 引退 | 1980年4月4日 |
| 異名 | 鬼軍曹 |
| 引退後 | 道場のコーチ、審判部長、テレビの解説、新日本の顧問など |
🌱 第1章:日本プロレスでデビュー、アメリカで「ヤマハ・ブラザーズ」
山本小鉄さんは1941年10月30日、神奈川県横浜市に生まれました。
1963年に日本プロレスへ入門し、同じ年の7月19日、北沢幹之さんとの試合でデビューしています。
1967年1月には、星野勘太郎さんとアメリカへ渡り、「ヤマハ・ブラザーズ」というタッグで戦いました。
🦁 第2章:1972年、新日本プロレスの旗揚げへ
1972年、アントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げします。
山本さんは、この旗揚げに加わった一人です。
1979年1月21日には、星野さんと組んでIWA世界タッグ王座を獲得しました。
そして1980年4月4日、現役を引退しています。
🥋 第3章:道場の「鬼軍曹」
引退後の山本さんが力を注いだのが、新日本プロレスの道場で若い選手を育てることでした。
あまりの厳しさから、ついた呼び名は「鬼軍曹」です。
Number Webは、山本さんが道場の”鬼軍曹”として新日本の若手を鍛え上げ、前田日明さんをはじめ、一流のプロレスラーを数多く育てたと伝えています。
「入門した頃に一番、俺の面倒を見てくれた」
1972年11月に入門した藤原喜明選手は、若いころ山本さんの付き人を務めました。
集英社のスポルティーバの記事で、藤原選手はこう振り返っています。
同じ記事によると、猪木さんは若手に直接注意をしない立場でした。
その代わりに山本さんが小言を言う「嫌われ役」を引き受け、トップと若手の関係をうまく保っていたといいます。
山本さんが教えたのは、技だけではありません。
レスラーとしての振る舞いや礼儀でした。
スパーリングで技の極め方を尋ねた藤原選手に、山本さんが返した言葉は「根性で極めろ」だったそうです。
前田日明さんの再出発も見守った
山本さんは引退後、審判部長も務めました。
Number Webによると、前田日明さんが日本で再デビューする試合では、前田さん本人の希望で、山本さんが審判を務めています。
📺 第4章:テレビの解説者として
山本さんは、テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」で、解説者としても長く親しまれました。
道場で選手を育てた人だからこそ、リングの上の選手の気持ちや、技の厳しさを、茶の間に分かりやすく伝えることができたのだと思います。
引退して何年たっても、体づくりは続けていました。
Number Webの追悼記事には、こんな言葉が残っています。
🏯 第5章:「道場の父」が残したもの
山本さんは、亡くなったときも新日本プロレスの顧問でした。
旗揚げから、引退後の道場、テレビの解説まで。
生涯を新日本に捧げた人でした。
引退後に新日本プロレス道場の管理人を務め、中邑真輔選手たちの世代を見守ったのが小林邦昭さんです。
新日本の強さの土台には、道場で受け継がれてきた「教える人」の歴史があります。
🐄 ウッシ視点:嫌われ役を引き受けられる人が、組織を強くする
ここからは営業部長の私見です。
山本さんの話で胸に残るのは、猪木さんの代わりに若手に小言を言う「嫌われ役」を引き受けていた、というくだりです。
会社でも、トップが言いにくいことを、代わりに言える人がいるかどうかで、現場の空気は変わります。
言われた若手は、そのときはつらくても、あとで「一番面倒を見てくれた人」だったと気づく。
藤原選手の言葉は、まさにそれだと思います。
部長として部下に何を伝えるか。
山本さんの生き方は、そのお手本です。
❓ よくある質問
Q. 山本小鉄さんはなぜ「鬼軍曹」と呼ばれたのですか?
A. 引退後、新日本プロレスの道場で若い選手をとても厳しく鍛えたからです。
Q. 山本小鉄さんが育てた選手は?
A. Number Webは、前田日明さんをはじめ、一流のプロレスラーを数多く育てたと伝えています。
藤原喜明選手も、若いころに付き人を務め、「入門した頃に一番、俺の面倒を見てくれた」と振り返っています。
Q. ヤマハ・ブラザーズとは?
A. 1967年に、山本さんと星野勘太郎さんがアメリカで組んだタッグチームの名前です。
Q. 山本小鉄さんはいつ引退しましたか?
A. 1980年4月4日です。
📝 まとめ:山本小鉄さんは「新日本の道場の父」
- 1963年に日本プロレスでデビュー、1967年に星野勘太郎さんと「ヤマハ・ブラザーズ」
- 1972年、新日本プロレスの旗揚げに参加
- 1980年に引退後、道場の「鬼軍曹」として多くの選手を育てた
- テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の解説者としても親しまれた
山本小鉄さん、新日本の道場で育った多くの選手と、たくさんの名場面を、ありがとうございました。
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📚 参考・出典(3件)
すべて2026年10月27日に開いて確認しました。
- Wikipedia「山本小鉄」 ── 生年月日・出身・体格・異名/1963年入門・7月19日デビュー(北沢幹之さん戦)/1967年1月の渡米と「ヤマハ・ブラザーズ」/1972年の新日本旗揚げへの参加/1979年1月21日のIWA世界タッグ王座/1980年4月4日の引退/道場コーチ・審判部長・「ワールドプロレスリング」の解説
- Number Web「“鬼軍曹”山本小鉄、新日本に捧げた生涯。」(門馬忠雄・2010年9月26日) ── 2010年8月28日・68歳で死去/新日本の顧問/道場の”鬼軍曹”として前田日明さんをはじめ一流のレスラーを育てた/審判部長・前田さんの日本再デビュー戦の審判/「今でもスクワット、ガンガンやっている」
- スポルティーバ「藤原喜明が見た、アントニオ猪木と山本小鉄の素顔」(松岡健治・2026年1月29日) ── 藤原選手の入門と付き人/猪木さんに代わる「嫌われ役」/礼儀と振る舞い/「根性で極めろ」/「入門した頃に一番、俺の面倒を見てくれたよ」
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