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小林邦昭|虎ハンター、維新軍と平成維震軍を生きた全記録【闘魂列伝㊽】
— 闘魂列伝 —

小林邦昭|虎ハンター、維新軍と平成維震軍を生きた全記録【闘魂列伝㊽】

USSIBLOG

※本記事はプロモーションを含みます

初代タイガーマスクの前に立ちはだかった「虎ハンター」。

そしてリングを降りてからは、新日本プロレスの道場で若い選手たちを見守った人。

闘魂列伝シリーズ第48弾は、小林邦昭さんです。

小林さんは2024年9月9日、68歳で亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。

この記事では、小林さんが新日本に残したものを、報道をもとに振り返ります。

🐯 3行でわかる小林邦昭さん
  • 虎ハンター:1982年、初代タイガーマスク(佐山聡さん)と激しく戦い、「虎ハンター」と呼ばれた
  • 2つの軍団:昭和の維新軍と、平成の平成維震軍。両方に所属したのは小林さんだけとされる
  • 道場を守った人:2000年に引退したあと、新日本プロレス道場の管理人として若い選手を見守った

この記事でわかること

  • 「虎ハンター」と呼ばれた理由と、佐山聡さんとの関係
  • 維新軍、ジャパンプロレス、そして新日本への復帰
  • 反選手会同盟と平成維震軍
  • 引退後、道場の管理人として残したもの

📋 小林邦昭さん プロフィール

項目内容
名前小林邦昭(こばやし くにあき)
生年月日1956年1月11日
出身長野県小諸市
体格183cm・105kg
入門・デビュー1972年に新日本プロレスへ入門、1973年2月1日にデビュー
異名虎ハンター
主なタイトルIWGPジュニアヘビー級王座(1987年)
引退2000年4月21日(獣神サンダー・ライガーさん戦)
引退後新日本プロレス道場の管理人、スカウト部長など
★★★★★ 闘魂列伝 VOL.48
小林邦昭
"虎ハンター" / 道場を守った人
👁 見た目
183cm・105kg。鋭い蹴りと、相手を網で打つように投げるスープレックス。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー7
⚡ スピード8
🎯 テクニック9
🔋 スタミナ8
😈 ヒール度9
🤝 面倒見10
🥋 得意技
フィッシャーマンズ・スープレックス フライング・ニールキック ソバット 前蹴り
👑 主な足跡
1973新日本プロレスでデビュー2月1日・栗栖正伸さん戦
1982「虎ハンター」に初代タイガーマスクと抗争
1987新日本に復帰、IWGPジュニア王座8月に戴冠
1992反選手会同盟を結成越中詩郎選手らと
2000引退4月21日・ライガーさん戦
💥 代名詞
フィッシャーマンズ・スープレックス
和名は「網打ち式原爆固め」。相手の片足を抱えて後ろへ投げ、そのまま押さえ込む。初代タイガーマスクを追い詰めた技。
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🌱 第1章:1972年に入門、メキシコとアメリカで修行

小林邦昭さんは1956年1月11日、長野県小諸市に生まれました。

1972年に新日本プロレスへ入門し、1973年2月1日、栗栖正伸さんとの試合でデビューしています。

1980年からはメキシコへ、その後はアメリカへ遠征しました。

アメリカでは「キッド・コビー」の名前で戦っています。

🐯 第2章:「虎ハンター」——初代タイガーマスクとの抗争

1982年10月に帰国した小林さんは、初代タイガーマスク(佐山聡さん)の前に立ちはだかります。

マスクを狙うラフな攻めと、フィッシャーマンズ・スープレックスでタイガーを追い詰め、「虎ハンター」と呼ばれるようになりました。

ただ、リングの外では、佐山さんと親しい間柄でした。

Number Webの記事で、佐山さんはこう語っています。

「小林さんってすごくいい人なんですよ。あんなにいい先輩はいません」(佐山聡さん/Number Web 2024年9月14日)

リングでは憎まれ役。リングを降りれば、後輩に慕われる先輩。

プロレスラーという仕事の奥深さが、よく分かる話です。

歴代のタイガーマスクについては歴代タイガーマスク完全ガイドにまとめています。

🔥 第3章:維新軍、ジャパンプロレス、そして新日本へ

1982年の帰国後、小林さんは長州力さんらと維新軍を結成しました。

1984年9月には新日本を離れてジャパンプロレスへ移り、全日本プロレスのリングに上がります。

全日本では、2代目タイガーマスク(三沢光晴さん)とも戦いました。

1987年4月に新日本へ戻り、同じ年の8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得しています。

⚔️ 第4章:反選手会同盟と平成維震軍

1992年、小林さんは越中詩郎選手らと反選手会同盟を結成します。のちの平成維震軍です。

昭和の維新軍と、平成の平成維震軍。その両方に所属したのは、小林さんだけとされています。

2024年9月、越中選手は小林さんをしのんで、こう語りました。

「小林さんの存在がなかったら平成維震軍は生まれていなかった」(越中詩郎選手/東スポWEB 2024年9月10日)

💥 第5章:得意技——フィッシャーマンズ・スープレックス

小林さんの代名詞は、フィッシャーマンズ・スープレックスです。

和名は「網打ち式原爆固め」です。相手の片足を抱え込み、後ろへ投げてそのまま押さえ込みます。

ほかにも、前蹴り、ソバット、フライング・ニールキックなど、蹴りを多く使いました。

スープレックスの仲間はプロレス技 一覧で探せます。

🏯 第6章:引退、そして道場を守った日々

2000年4月21日、小林さんは獣神サンダー・ライガーさんとの試合を最後に引退しました。

ライガーさんのデビュー戦の相手を務めたのも、小林さんだったとされています。

引退後は、IWGP実行委員、スカウト部長、そして新日本プロレス道場の管理人を務めました。

Number Webは、小林さんが晩年まで道場の管理人を務めながら、体を鍛え続けていたと伝えています。

デイリースポーツによると、中邑真輔選手は、道場の管理人だった小林さんから、同期全員が道場での基本や料理、ときには稽古まで教わったと振り返っています。

いまの新日本を支える選手たちの土台には、小林さんが守った道場の時間があります。

🐄 ウッシ視点:表に出ない仕事が、組織を支えている

ここからは営業部長の私見です。

小林さんの経歴でいちばん心に残るのは、引退後の「道場の管理人」という仕事です。

試合のように歓声を浴びる仕事ではありません。それでも、若い選手が基本を身につけ、料理をし、稽古をする場所を守り続けた。

会社でも、新人が育つかどうかは、毎日そばで見てくれる人がいるかどうかで決まります。

目立たない仕事に誇りを持つ。小林さんの後半の人生は、そのお手本だと思います。

❓ よくある質問

Q. 小林邦昭さんはなぜ「虎ハンター」と呼ばれたのですか?

A. 1982年から、初代タイガーマスク(佐山聡さん)と激しく戦い、マスクを狙う攻めとフィッシャーマンズ・スープレックスで追い詰めたからです。

Q. 小林邦昭さんと佐山聡さんは仲が悪かったのですか?

A. リングの外では親しい間柄でした。

佐山さんは「あんなにいい先輩はいません」と語っています(Number Web)。

Q. 平成維震軍との関係は?

A. 1992年に越中詩郎選手らと反選手会同盟を結成し、それが平成維震軍になりました。

昭和の維新軍と平成維震軍の両方に所属したのは、小林さんだけとされています。

Q. 引退後は何をしていましたか?

A. 新日本プロレスで、IWGP実行委員、スカウト部長、道場の管理人などを務めました。

📝 まとめ:小林邦昭さんは「リングでも道場でも、新日本を支えた人」

  • 1973年に新日本プロレスでデビュー
  • 1982年、初代タイガーマスクと戦い「虎ハンター」に
  • 1987年に新日本へ戻り、同じ年の8月にIWGPジュニアヘビー級王座を獲得
  • 維新軍と平成維震軍の両方に所属した、ただ一人の選手とされる
  • 2000年に引退し、新日本プロレス道場の管理人として若い選手を見守った

小林邦昭さん、たくさんの名勝負と、道場で育った選手たちを、ありがとうございました。

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📚 参考・出典(5件)

すべて2026年10月24日に開いて確認しました。


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