坂口征二|世界の荒鷲、猪木さんを支え新日本を率いた全記録【闘魂列伝㊻】
※本記事はプロモーションを含みます
アントニオ猪木さんの隣に、いつも大きな背中がありました。
闘魂列伝シリーズ第46弾は、「世界の荒鷲」坂口征二さんです。
柔道日本一からプロレスへ。
新日本プロレスでは猪木さんを支えるナンバー2として、そして社長として、団体を長く支えた人です。
- 柔道日本一:1965年の全日本柔道選手権で優勝し、1967年にプロレスの世界へ
- 新日本のナンバー2:1973年に新日本プロレスへ移り、猪木さんとの「黄金コンビ」で団体を押し上げた
- 社長として:1990年に引退し、社長・会長として新日本を率いた。2023年には国のスポーツ功労者に
この記事でわかること
- 柔道日本一からプロレスへ転じた理由と、アメリカでの修行
- 1973年の新日本プロレス移籍と、猪木さんとの「黄金コンビ」
- 「荒鷲殺法」と呼ばれた得意技
- 引退後、社長・会長として新日本を支えた歩み
📋 坂口征二さん プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 坂口征二(さかぐち せいじ) |
| 生年月日 | 1942年2月17日 |
| 出身 | 福岡県久留米市 |
| 体格 | 身長196cm |
| 柔道 | 明治大学→旭化成。1965年 全日本柔道選手権 優勝 |
| プロレス | 1967年 日本プロレス入団 → 1973年 新日本プロレスへ |
| 引退 | 1990年3月(地元・久留米) |
| 新日本での役職 | 社長(1989年〜1999年)→ 会長 → 相談役 |
| 家族 | 長男は格闘家の坂口征夫さん、次男は俳優の坂口憲二さん |
🥋 第1章:柔道日本一——「仮想ヘーシンク」から全日本の頂点へ
坂口征二さんは1942年2月17日、福岡県久留米市に生まれました。
明治大学の柔道部で神永昭夫さんの指導を受け、1964年の東京五輪の前には、神永さんの稽古相手を務めています。
五輪の金メダル候補だったオランダのアントン・ヘーシンクさんを想定した、いわば「仮想ヘーシンク」です。
坂口さん自身は、東京五輪には出場していません。
東スポWEBによると、腰の故障で欠場し、のちに「ヘーシンクに勝つ自信があった」と語っています。
旭化成に入社した翌年の1965年、全日本柔道選手権で優勝。
名実ともに柔道日本一になりました。
🇺🇸 第2章:プロレスへ——日本プロレス入団とアメリカ修行
1967年、坂口さんは旭化成を退職し、日本プロレスに入団します。
入団の発表は2月17日、25歳の誕生日でした。
その年のうちにアメリカへ渡り、各地を転戦して腕を磨きました。
1967年9月20日にはロサンゼルスで、「プロレスの神様」と呼ばれたカール・ゴッチさんと時間切れ引き分けを演じています。
日本プロレスでは、ジャイアント馬場さんと組んでインターナショナル・タッグ王座も獲りました(1972年5月19日)。
🤝 第3章:1973年、新日本プロレスへ——猪木さんとの「黄金コンビ」
1972年、アントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げします。
日本プロレスにいた坂口さんにとって、最初は「敵」でした。
のちに坂口さん自身が、Number Webのオカダ・カズチカ選手との対談で「最初は”敵”だったんだよ」と振り返っています。
1973年4月、坂口さんは、小沢正志さん(のちのキラー・カーンさん)、木村たかしさん(のちの木村健悟さん)ら若手の選手を連れて、新日本プロレスへ移りました。猪木さんと対等の条件で、という約束だったとされます。
当時のNET(現・テレビ朝日)は、坂口さんの合流を条件に新日本のテレビ中継を始めたとされます。
集英社のスポルティーバは、坂口さんの移籍を「新日本の人気爆発のきっかけ」として取り上げています。
猪木さんと坂口さんのタッグは「黄金コンビ」と呼ばれました。
1974年8月16日には、2人でNWA北米タッグ王座を獲得。
坂口さんはこの王座を4度獲っています。
シングルでも、1976年と1977年にワールドリーグ戦で優勝しました。
💥 第4章:荒鷲殺法——大きな体を生かした技
坂口さんの技は、まとめて「荒鷲殺法」と呼ばれました。
- アトミック・ドロップ:相手を後ろから抱え上げ、自分の膝に尾てい骨から落とす
- ジャンピング・ニー・アタック:走り込んでジャンプし、膝を当てる。くわしくはジャンピングニーの解説へ
- ネック・ハンギング・ツリー:相手の首をつかんで、そのまま高く吊り上げる
- 逆エビ固め:相手の両足を抱えて反らせる、基本の締め技。くわしくは逆エビ固めの解説へ
- バックブリーカー:シュミット式、アルゼンチン式、カナディアン式と、背骨を攻める技を使い分けた。アルゼンチン式はアルゼンチン・バックブリーカーの解説へ
派手な飛び技はなくても、大きな体で正面から相手を持ち上げる。
それが坂口さんのプロレスでした。
👔 第5章:リングを降りて——社長として新日本を率いる
1989年、坂口さんは新日本プロレスの社長に就任します。
翌1990年3月、地元・久留米で現役を引退しました。
社長を務めたのは1999年6月まで。
そのあとは会長、最高経営責任者を経て、2005年4月に相談役になっています。
Number Webは、坂口さんを「新日本黎明期からリング内外のナンバー2としてトップの猪木さんを支え」た人と紹介しています。
社長時代の新日本は、東京ドーム大会を重ねていった時期でもあります。
1990年のドーム大会では、全日本プロレスのジャイアント馬場さんが選手を貸し出すことに応じています。
⭐ 第6章:2003年、一度だけのリング復帰
引退から13年たった2003年、坂口さんは一度だけリングに戻っています。
東スポWEBによると、9月14日の名古屋大会で蝶野正洋さんとタッグを組んで復帰戦に勝利。
10月13日の東京ドーム大会では10人タッグのイリミネーションマッチに出場し、中邑真輔選手に場外へ落とされて退場しました。
東スポWEBは、これが坂口さんの最後の試合になったと書いています。
のちに新日本を背負う中邑選手と、同じリングに立った最後の一戦でした。
🏅 第7章:2023年、国のスポーツ功労者に
2023年3月2日、坂口さんは文部科学省のスポーツ功労者(プロスポーツ分野)として顕彰されました。
推薦したのは、新日本プロレスリング株式会社です。
文部科学省の資料には、海外での実績、団体の役員として国際交流や普及に尽くしたこと、若手の育成などが功績として書かれています。
過去の名勝負は、新日本プロレスの公式配信サービスでさかのぼれます。
中身は新日本プロレスワールドは契約すべき?にまとめています。
🐄 ウッシ視点:ナンバー2がいるから、トップは前を向ける
ここからは営業部長の私見です。
坂口さんの現役時代を、ウッシはリアルタイムでは知りません。
映像と記事で追いかけた世代です。
それでも、経歴を並べるとはっきりわかることがあります。坂口さんは、ずっと「支える側」の一番手だったということです。
猪木さんが前に出られたのは、隣に坂口さんがいたから。
会社でも同じで、トップが思い切れるのは、現場と数字を預けられる二番手がいるときです。
ウッシも部長という立場で、上と下の間に立っています。
目立つ仕事より、組織が倒れないように支える仕事。
坂口さんの経歴は、その仕事にも誇りを持っていいと教えてくれます。
🐄(ウッシ小声:「世界の荒鷲」。こんな異名で呼ばれてみたいものです。私は牛なので、せいぜい「世界の荒牛」ですが)
❓ よくある質問
Q. 坂口征二さんはなぜ「世界の荒鷲」と呼ばれるのですか?
A. 由来をはっきり書いた資料は、確認した範囲では見つかりませんでした。
坂口さんの技は「荒鷲殺法」と呼ばれています。
Q. 坂口征二さんは新日本プロレスの社長だったのですか?
A. はい。
1989年から1999年6月まで社長を務め、そのあと会長、最高経営責任者、相談役を歴任しました。
Q. 坂口憲二さんとの関係は?
A. 俳優の坂口憲二さんは、坂口征二さんの次男です。
長男は格闘家の坂口征夫さんです。
Q. 柔道ではどれくらい強かったのですか?
A. 1965年の全日本柔道選手権で優勝しています。
同じ年の世界選手権(80kg超級)では銅メダルでした。
📝 まとめ:坂口征二さんは「新日本を支え続けた荒鷲」
- 1965年に全日本柔道選手権で優勝し、1967年にプロレスへ
- 1973年に新日本プロレスへ移り、猪木さんと「黄金コンビ」
- アトミック・ドロップなど、大きな体を生かした「荒鷲殺法」
- 1989年に社長就任、1990年に引退。社長・会長として新日本を率いた
- 2023年、新日本の推薦で国のスポーツ功労者に
闘魂で、人生を叩き上げろ。
マイペースにいきましょう🐄
⚠️ 注意:プロレスの技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。投げ技も締め技も、絶対に真似しないでください。
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📚 参考・出典(6件)
すべて2026年10月23日に開いて確認しました。
- Wikipedia「坂口征二」 ── 生年月日・出身/明治大学・神永昭夫さん・「仮想ヘーシンク」/1965年 全日本柔道選手権優勝・世界選手権銅メダル/1967年2月17日の入団発表/1967年9月20日のゴッチ戦/1972年5月19日のインターナショナル・タッグ王座/1973年4月の新日本移籍と「黄金コンビ」/NETの中継開始/1974年8月16日のNWA北米タッグ王座(4回)/1976・77年のワールドリーグ戦優勝/荒鷲殺法と得意技/1989〜1999年の社長と、その後の役職/1990年3月の引退/1990年ドーム大会と馬場さん/家族
- 東スポWEB「坂口征二 2003年電撃復帰の舞台裏」(2026年1月11日) ── 東京五輪を腰の故障で欠場/2003年9月14日の復帰戦と10月13日の最後の試合
- スポルティーバ(集英社・2026年2月5日) ── 新日本の人気爆発のきっかけになった坂口さんの移籍/小沢正志さん・木村たかしさんらを連れての合流
- Number Web「オカダ・カズチカ×坂口征二」(2022年7月14日) ── 「新日本黎明期からリング内外のナンバー2としてトップの猪木さんを支え」/「最初は”敵”だったんだよ」/創立2年目からの在籍
- 文部科学省「スポーツ功労者顕彰」(2023年) ── 2023年3月2日の顕彰式
- 文部科学省 資料(PDF) ── 推薦団体=新日本プロレスリング(株)/功績の内容
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