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藤波辰爾|デビュー55周年11.6後楽園【闘魂列伝㊱】
— 闘魂列伝 —

藤波辰爾|デビュー55周年11.6後楽園【闘魂列伝㊱】

USSIBLOG

※本記事はプロモーションを含みます

「藤波辰爾って、まだ現役なの?」 「55周年って、何歳から数えてるんだ?」

2026年8月20日、東スポWEBがこの一報を出した瞬間、私の手は止まりました。

藤波辰爾選手のデビュー55周年記念大会「DRAGON EXPO 2026」が、11月6日・後楽園ホールで開催される。

55周年。72歳。しかも記念セレモニーではなく、試合をやる。闘魂列伝シリーズ第36弾は、“炎の飛龍”藤波辰爾選手です。

🐉 3行でわかる今回のニュース
  • 2026年8月20日発表:藤波辰爾選手のデビュー55周年記念大会「DRAGON EXPO 2026」11月6日・後楽園ホールで開催決定。冠スポンサーは株式会社セキチュー
  • 本人コメント:「今大会は私のデビュー55周年の記念大会」「魂が震える試合を行いたいと考えています」——72歳にして、記念興行ではなく"勝負"として臨む姿勢
  • 対戦相手は未発表:過去のDRAGON EXPOは棚橋弘至さん・高橋ヒロム選手・ザック・セイバーJr.選手と、いずれも現役トップとの一騎打ち。今回の相手はこの記事の時点で発表されていません

この記事は、「藤波辰爾という名前は知っているけど、何がすごいのかは説明できない」人が10分で全部わかるように書きます。今回の発表の中身と、そこに至るまでの55年を、出典つきで並べます。

🐄(ウッシ小声:正直に書いておくと、私は藤波選手の全盛期をリアルタイムでは知りません。すべて映像で追いかけた世代です)

この記事でわかること

  • 「DRAGON EXPO 2026」の日程・会場・スポンサー・本人コメント(全文)
  • 過去3回のDRAGON EXPOで、藤波選手が誰と闘ってきたか
  • 藤波辰爾選手のプロフィールと、55年の主な足跡
  • ドラゴン・スープレックス/ドラゴンスクリュー/ドラゴンスリーパーが生まれた経緯
  • 「名勝負数え唄」「飛龍革命」とは何だったのか
  • 55周年イヤーの2026年、ここまでに何があったか
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"炎の飛龍"藤波辰爾選手の55年を、書籍・映像でもっと深く。

🐉 「DRAGON EXPO 2026」——11月6日・後楽園ホール

まず、今回発表された内容を整理します。

項目内容
大会名DRAGON EXPO 2026(藤波辰爾選手 デビュー55周年記念大会)
日程2026年11月6日
会場後楽園ホール(東京)
主催プロレスリング・ドラディション
冠スポンサー株式会社セキチュー
メインの対戦相手この記事の時点では未発表

発表にあたって、藤波選手はこうコメントしています。ここは一字一句そのまま引用します。

「これまで行われてきた『DRAGON EXPO』では、私にとって大きな挑戦となる大一番の試合を行ってきました。今大会は私のデビュー55周年の記念大会。これまで同様、挑戦を続ける私にとって魂が震える試合を行いたいと考えています。その闘いに向けて私自身も身も心も集中してコンディションを全力で整えます」

読み返してほしいのは、「記念」という言葉のあとに必ず「挑戦」が置かれているところです。72歳の記念大会という響きからは、花束とスピーチと写真撮影を連想しがちですが、本人が語っているのはコンディション調整の話でした。

📅 過去のDRAGON EXPO——テーマは全部「西暦」

DRAGON EXPOという大会名には、独特のルールがあります。大会テーマが、藤波選手のキャリアの節目になった「西暦」そのものなんです。

大会開催会場メイン対戦相手「その年」の意味
DRAGON EXPO 19712022年12月代々木棚橋弘至さんデビューした年
DRAGON EXPO 19782024年11月後楽園高橋ヒロム選手MSGで世界王座を獲った年
DRAGON EXPO 19952025年11月後楽園ザック・セイバーJr.選手「無我」が生まれた年

1971年は、1971年5月9日・岐阜市民会館でのデビュー。相手は北沢幹之さん(当時のリングネームは新海弘勝)でした。この回のメインは2022年12月1日・国立代々木競技場第二体育館で行われ、ドラディション公式の記録によると、棚橋弘至さんが11分44秒・ハイフライフローから片エビ固めで勝利。観衆は2,150人でした。

1978年は、後述するマディソン・スクエア・ガーデンでの世界王座奪取。この回は2024年11月22日・後楽園ホールで高橋ヒロム選手と対戦し、スペシャルレフェリーを獣神サンダー・ライガーさんが務めています。ジュニアヘビー級の礎を築いた人、それを世界に広げた人、令和の頂点にいる人が、同じリングに揃った一戦でした。

1995年は、藤波選手が提唱した「無我」が生まれた年です(旗揚げは1995年10月27日)。2025年11月14日・後楽園ホールで行われた「DRAGON EXPO 1995〜無我〜」は全8試合すべてシングルマッチという異例の編成で、メインはザック・セイバーJr.選手との初シングル。ドラディション公式の試合結果によると、9分42秒・ザックドライバーでザック選手が勝っています。

3回とも、記念試合ではなく現役トップとのガチンコの一騎打ちでした。だから2026年の相手が誰になるのか、私はもう気になって仕方がありません。ただし——この記事の時点で対戦相手は発表されていません。ここで名前を並べるのは、藤波選手にもファンにも失礼なのでやめておきます。

📋 藤波辰爾選手 プロフィール

項目内容
リングネーム藤波辰爾(ふじなみ たつみ)※デビュー時の表記は藤波辰巳
生年月日1953年12月28日(2026年8月時点で72歳
出身大分県(東国東郡武蔵町=現・国東市)
身長/体重183cm/105kg(ドラディション公式)
デビュー1971年5月9日・岐阜市民会館(対 北沢幹之さん)
現在現役。プロレスリング・ドラディション所属
異名ドラゴン炎の飛龍
代表必殺技ドラゴン・スープレックス/ドラゴンスクリュー/ドラゴンスリーパー(飛龍裸絞め)
主なタイトルIWGPヘビー級王座/NWA世界ヘビー級王座(第77代)/WWWFジュニアヘビー級王座/IWGPタッグ王座 ほか
特筆2015年3月・WWE殿堂入り(日本人2人目)/1999年〜2004年6月に新日本プロレス社長
★★★★★ 闘魂列伝 VOL.36
藤波辰爾選手
"炎の飛龍" / 55年、リングを降りない男
👁 見た目
183cm・105kg。全盛期はジュニアからヘビーへ体を作り替え、しなやかさとパワーを両立させた均整の取れた体躯。飛び技も投げ技も関節技も一通りこなす「なんでもできる」タイプで、日本のプロレスにおけるオールラウンダーの原型と言っていい。72歳になった今もリングに上がり続け、シングルマッチのメインを務める。ニックネーム「ドラゴン」は自身の技名にそのまま冠されている。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー8
⚡ スピード9
🎯 テクニック10
🔋 スタミナ10
😤 継続力10
👑 カリスマ9
🥋 得意技
ドラゴン・スープレックス ドラゴンスクリュー ドラゴンスリーパー 四の字固め
👑 主な足跡
1971デビュー5月9日・岐阜市民会館、北沢幹之さん戦
1978WWWFジュニアヘビー級王座1月23日・MSG。ドラゴン・スープレックス初公開の一撃で戴冠
1988IWGPヘビー級王座5月8日・有明コロシアム。ビッグバン・ベイダーさんとの決定戦
1991NWA世界ヘビー級王座(第77代)3月21日・東京ドーム。リック・フレアーさんをグラウンド・コブラで
2015WWE殿堂入り日本人2人目
💥 必殺技
ドラゴン・スープレックス
フルネルソン(羽交い締め)で相手の両腕を完全に殺したまま、後方へ反り投げるスープレックス。受け身が取りにくく、腕が使えないぶんジャーマンより危険度が高い。1978年1月23日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで世界初公開。しかもその初披露の一撃で世界王座を奪取した。技名は藤波選手の愛称「ドラゴン」がそのまま採用されている。

🗽 1978年1月23日——技に名前がなかった夜

藤波辰爾選手の55年で、いちばん語られる一日がこれです。

1978年1月23日、ニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデン。

アメリカ武者修行中だった藤波選手は、WWWF世界ジュニアヘビー級王者カルロス・ホセ・エストラーダさんに挑戦しました。そして、まだ誰も見たことのない投げ技を出します。フルネルソンで両腕を封じたまま、真後ろへ反り投げる——世界初公開のドラゴン・スープレックス。そのまま3カウント。初披露の一撃で世界王座を奪ったのです。

技の構造と、カール・ゴッチさんの助言から生まれた経緯はドラゴン・スープレックスのやり方に詳しくまとめました。

そしてもうひとつ。藤波選手の名前がついた技は、これだけではありません。

ドラゴンスクリュー——相手の片足を抱え込み、自ら回転しながらひねり倒して膝をねじる技。考案したのは藤波選手です。武藤敬司さんの代名詞として有名になったので誤解されがちですが、生みの親は”ドラゴン”のほう。技名の「ドラゴン」は藤波選手の愛称に由来します(→ドラゴンスクリューとは?やり方【図解】)。

ドラゴンスリーパー(飛龍裸絞め)——後方から首を抱え込み、相手の片腕までロックして締め上げる変型スリーパー。ドラゴン・スープレックス封印後のフィニッシュとして定着しました。

四の字固め——藤波選手は日本における使い手の一人としても知られます。地味に見えて実際は相当痛い、テコの塊のような脚関節技(→四の字固めのやり方)。

ここが藤波辰爾選手の、ちょっと普通じゃないところ
自分のニックネームを冠した技を3つ——スープレックス・スクリュー・スリーパーと、投げ/関節/絞めの全ジャンルで残している。ひとりのレスラーが技の名前をこれだけ後世に残した例は、そう多くありません。

🐄(ウッシ小声:営業でいうと「自分の名前がついた社内フォーマットが3種類ある」みたいな話です。1個でも相当すごいのに)

🔥 名勝負数え唄と、飛龍革命

1982年10月8日・後楽園ホール——長州力さんの反旗

藤波選手を語るとき、必ずセットで出てくるのが長州力さんです。

1982年10月8日、後楽園ホール。当時エース候補として一段上のポジションにいた藤波選手に対し、長州力さんが反旗を翻しました。世に言う「俺はお前の噛ませ犬じゃない」です。

ただし、ここは正直に書きます。東スポWEBの検証記事によると、この言葉が実際にその場でマイクを通して言われたかどうかははっきりしていません。当時の専門誌に載った表現が広まったという説が有力で、長州さん本人も後年「マスコミがつくった言葉」としつつ「でも、言ったかも知れないな」と曖昧に語っています。

言葉の真偽はさておき、この日から始まった二人のシングル抗争は「名勝負数え唄」と呼ばれ、何年にもわたって新日本プロレスの中心にあり続けました。長州力さん側から見たこの抗争は【闘魂列伝⑲】長州力に書いています。

1988年——飛龍革命からIWGP初戴冠へ

1988年4月22日、沖縄県立奥武山公園体育館。試合後、藤波選手はアントニオ猪木さんに向かって現状の改革を訴え、頭を丸める意思を示しました。これが「飛龍革命」です。

団体の頂点にいる創始者に向かって、生え抜きのナンバー2が公然と改革を迫る。会社員としてこれをやれる人が、何人いるでしょうか。

そしてその16日後の1988年5月8日、有明コロシアム。ビッグバン・ベイダーさんとのIWGPヘビー級王座決定戦を制し、藤波選手はついに団体の頂点に立ちました。

1991年3月21日・東京ドーム——NWAのベルトを巻いた日

1991年3月21日、東京ドーム。藤波選手はリック・フレアーさんをグラウンド・コブラで破り、NWA世界ヘビー級王座(第77代)を戴冠します。当時37歳。

※この戴冠はWCW側からの異議もあり、当時は認定を巡る議論がありました。ただしNWA公式の歴代王者一覧には藤波選手の名前があり、WWE殿堂入りの際も「元NWA世界ヘビー級王者」として紹介されています。

アメリカの伝統ある世界王座を、東京ドームで、日本人が獲る。これはもう時代の切り替わりそのものでした。技の派手さではなく、丸め込み一発で世界を獲ったというのがまた藤波選手らしい。

🐺 55周年イヤーの2026年、ここまでに起きたこと

今回の発表を理解するには、2026年の流れを押さえておくと早いです。

2026年5月9日、藤波選手はデビュー55周年を迎え、ドラディション公式インスタグラムでこうコメントしました。

「今日5月9日、おかげさまでデビュー55周年を迎えました。長きにわたり応援本当にありがとうございました。これから1年かけてデビュー55周年記念としていろんなイベントをみなさんと共にやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」(スポーツ報知)

そして2026年5月22日、後楽園ホール。55周年イヤーの第1弾大会「NEVER GIVE UP 2026 PHASE-1」のメインで、藤波選手は新日本プロレス・HOUSE OF TORTUREの成田蓮選手とシングルマッチを行いました。

結果は11分07秒、地獄の断頭台からの体固めで成田選手の勝利。試合後、H.O.T.の追撃を受ける藤波選手を救出するかたちでウルフアロン選手がリングに乱入し、成田選手を一本背負いで一掃しています。柔道の金メダリストがドラディションのリングで先輩を助けるという、字面だけ見ると意味がわからない光景でした(ウルフアロン選手の経歴は【闘魂列伝⑰】ウルフアロンへ)。

つまり2026年の藤波選手は、記念イヤーだからと相手を選んでいません。現役バリバリのユニットのトップを指名して、負けている。そのうえで11月6日に「魂が震える試合を」と言っている。この順番が大事だと思うんです。

🌟 闘魂列伝シリーズでの位置付け

このシリーズでは⑭アントニオ猪木⑲長州力⑱獣神サンダー・ライガー㉕永田裕志と、新日本の歴史を作った人たちを取り上げてきました。

その中で藤波辰爾選手が特異なのは、「現在進行形で試合をしている歴史そのもの」だという一点です。

  • 猪木さん・長州さん……時代を作り、時代を降りた
  • 永田選手……50代でベルトを獲り、新日本の番人であり続けている
  • 藤波選手……70代で、自分の団体のメインで、現役トップと一騎打ちをしている

歴史を語る側ではなく、いまだに歴史に殴られる側にいる。ここが藤波選手の位置です。

💼 サラリーマンが藤波辰爾選手から学ぶ3つのこと

① 「記念」を「挑戦」に変換する

55周年記念大会のコメントが「魂が震える試合を行いたい」「コンディションを全力で整えます」でした。過去の実績を並べる場ではなく、次の勝負の場にしている。

勤続20年の表彰も、10期連続達成も、そこで拍手をもらって終わりにするか、次の勝負の起点にするかは自分で決められます。私も社内表彰のたびに「で、来期は?」と自分に聞くようにしています。

② 自分の名前がつく仕事を残す

ドラゴン・スープレックス、ドラゴンスクリュー、ドラゴンスリーパー。技に名前が残ると、本人がいなくなっても仕事が働き続けます。

会社でも同じで、「あの人が作った台帳」「あの人が始めた朝会」と呼ばれるものを一つでも残せた人は強い。担当が変わっても仕組みが残るからです。営業を20年やってきて、これは本当に実感します。

③ 続けることそのものが、他人にはコピーできない

55年です。才能でも運でもなく、単純に「やめなかった」という一点で誰も並べない場所に立っている。

これは資産形成とまったく同じ構造です。私の新NISAも、派手なことは何もしていません。オルカンとS&P500を毎月買っているだけ。7年目に入って効いてきたのは、選び方より続けた年数のほうでした。

⚠️ 投資リスク注意:投資には元本割れリスクがあります。少額から、長期分散が基本。生活防衛資金を確保したうえで、無理のない範囲で始めてください。

📡 11月6日・後楽園をどう追いかけるか

DRAGON EXPO 2026は後楽園ホールで行われます。席の選び方・アクセス・持ち物は後楽園ホールのプロレス観戦ガイドにまとめてあるので、現地参戦を狙う人はどうぞ。後楽園ホールはどの席からもリングが近いことで知られる会場で、席種ごとの見え方の違いはガイドのほうで整理しています。

放送・配信については、本記事の時点で11月6日大会の中継予定は発表されていません。ドラディション公式サイトの発表を待つのが確実です。

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プロレスのビッグマッチはテレ朝チャンネル2で生中継されることがあります。放送の有無・時間は大会が近づいてからの発表になるため、申し込み前に必ず番組表で確認してください。スカパー!は月単位で契約でき、料金・キャンペーン条件は公式ページが最新です(2026年8月時点)。チャンネルの選び方はスカパーのプロレスはテレ朝ch2かサムライ|料金と選び方で整理しています。
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🐄 ウッシ視点:55年目に「相手」を発表しない意味

ここからは営業部長の私見です。

今回の発表で私がいちばん唸ったのは、大会と日付とスポンサーだけを先に出して、対戦相手を出していないことでした。

普通の記念興行なら、目玉のカードとセットで発表したほうが売れます。でもDRAGON EXPOは、過去3回とも「テーマの西暦」と「藤波選手の挑戦」が主語でした。相手が誰かより先に、自分が何をやるかを宣言している。

これ、営業の提案でもまったく同じことが起きます。若い頃の私は「競合はA社です、だからうちはこう戦います」という組み立てばかりやっていました。主語が競合なんです。今は先に「うちは御社にこれをやります」を置くようにしています。順番を変えただけで、通る確率が明確に変わりました。

もう一つ。

72歳が、5月に負けた約3か月後に「魂が震える試合をやる」と言っている。

私は今30代で、正直、週末に子ども2人を追いかけ回すだけで日曜の夜には死んでいます。55年やり続けた人が「まだ挑戦する」と言っているのを見ると、こっちの言い訳が薄っぺらく感じるんですよね。

映像でしか全盛期を知らない私が言うのもなんですが、藤波辰爾選手のいちばんの必殺技は、たぶんドラゴン・スープレックスではありません。降りないことです。

❓ よくある質問

Q. DRAGON EXPO 2026はいつ・どこで開催されますか?

A. 2026年11月6日・後楽園ホール(東京)です。藤波辰爾選手のデビュー55周年記念大会として、プロレスリング・ドラディションが開催します。冠スポンサーは株式会社セキチューと発表されています(2026年8月20日発表)。

Q. 対戦相手は誰ですか?

A. この記事の時点では発表されていません。過去のDRAGON EXPOでは棚橋弘至さん(2022年)、高橋ヒロム選手(2024年)、ザック・セイバーJr.選手(2025年)とシングルマッチを行っています。正式なカード発表はドラディション公式サイトでの告知を確認してください。

Q. 藤波辰爾選手は何歳ですか?まだ現役ですか?

A. 1953年12月28日生まれで、2026年8月時点で72歳です。現役で、自身が率いるプロレスリング・ドラディションを主戦場に、シングルマッチのメインイベントも務めています。2026年5月22日には成田蓮選手と一騎打ちを行いました。

Q. 「DRAGON EXPO」の数字は何を意味していますか?

A. 藤波選手のキャリアの節目になった西暦です。1971=デビューの年、1978=マディソン・スクエア・ガーデンで世界王座を獲った年、1995=「無我」が生まれた年(旗揚げは1995年10月27日)を指します。

Q. ドラゴンスクリューを作ったのは武藤敬司さんではないのですか?

A. 考案したのは藤波辰爾選手です。技名の「ドラゴン」は藤波選手の愛称に由来します。武藤敬司さんはこの技を必殺技のレベルまで昇華させた”育ての親”にあたります。詳しくはドラゴンスクリューとは?やり方【図解】へ。

Q. 藤波辰爾選手の代表的なタイトルは?

A. IWGPヘビー級王座NWA世界ヘビー級王座(第77代/1991年3月21日・東京ドームでリック・フレアーさんを破って戴冠)WWWFジュニアヘビー級王座、IWGPタッグ王座などです。2015年3月には日本人2人目のWWE殿堂入りを果たしています。

Q. 「飛龍革命」とは何ですか?

A. 1988年4月22日、沖縄県立奥武山公園体育館での試合後、藤波選手がアントニオ猪木さんに向かって現状の改革を訴え、頭を丸める意思を示した一件です。同年5月8日、有明コロシアムでビッグバン・ベイダーさんとのIWGPヘビー級王座決定戦を制しました。

Q. LEONA選手は藤波選手の息子ですか?

A. はい。LEONA(藤波怜於南)選手は藤波辰爾選手の長男で、1993年7月7日生まれ。立教大学法学部に在学中の2013年11月19日、船木誠勝選手戦でドラディションからデビューし、のちに同学部を卒業しています。

📝 まとめ:藤波辰爾選手は「まだ降りていない歴史」

  • 2026年8月20日、デビュー55周年記念大会「DRAGON EXPO 2026」の開催が発表。11月6日・後楽園ホール、冠スポンサーは株式会社セキチュー
  • 本人コメントは「今大会は私のデビュー55周年の記念大会」「魂が震える試合を行いたい」「コンディションを全力で整えます」
  • 対戦相手は本記事の時点で未発表。過去3回は棚橋弘至さん・高橋ヒロム選手・ザック・セイバーJr.選手と一騎打ち
  • 1971年5月9日・岐阜市民会館でデビュー。1978年1月23日・MSGでドラゴン・スープレックスを初公開し、その一撃で世界王座奪取
  • 1982年長州力さんとの名勝負数え唄、1988年飛龍革命とIWGP戴冠、1991年東京ドームでNWA世界ヘビー級王座
  • 自分の愛称を冠した技をスープレックス・スクリュー・スリーパーの3ジャンルで後世に残した
  • 2026年5月22日、55周年イヤー第1弾で成田蓮選手に敗戦。その約3か月後に「魂が震える試合を」と宣言している

55年です。

私がこのブログを始めてまだ数年で、正直「続けるのしんどいな」と思う夜もあります。そんなときに、72歳が11月の後楽園に向けてコンディションを整えていると聞くと、言い訳を探している場合じゃないなと素直に思えます。

11月6日、後楽園ホール。カードが出たら、またここに書きます。

闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄

📚 参考・出典(10件)

※本記事は2026年8月29日時点の公表情報にもとづいています。11月6日「DRAGON EXPO 2026」の対戦カード・放送予定は本記事の時点で未発表です。最新情報はドラディション公式サイトでご確認ください。


⚠️ 注意:プロレスの技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は真似しないでください。

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📺 闘魂列伝シリーズ

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次回もどうぞお楽しみに。マイペースにいきましょう!🐄


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