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【闘魂列伝㉜】飯塚高史|怨念坊主を11年貫き、7年後に手を取った男
— 闘魂列伝 —

【闘魂列伝㉜】飯塚高史|怨念坊主を11年貫き、7年後に手を取った男

USSIBLOG

※本記事はプロモーションを含みます

プロレスラーの引退試合には、たいてい涙があります。相手と抱き合い、リングに一礼して去っていく。

飯塚高史さんは、そうしませんでした。

2019年2月21日、後楽園ホール。相手チームには、かつての盟友・天山広吉さんがいました。試合後、天山さんが握手の手を差し出します。飯塚さんは一度その手を握り返し——次の瞬間、天山さんに噛みつきました。そして無言のまま、去っていった。

それから7年。2026年8月15日、天山さんが引退した日のリングに、飯塚さんが現れます。今度は、握手に応じました。

この記事では、怨念坊主を11年貫いた男が、7年後に手を取るまでを整理します。

📰 【2026年8月15日 追記】飯塚さんと11年の因縁を刻んだ天山広吉さんが、2026年8月15日に引退しました。両国国技館・観衆7,777人(超満員札止め)。5分1本勝負として発表されていた最後の一戦は「時間無制限1本勝負」に変わり、9分22秒、小島聡選手のラリアットで決着しました。その直後、飯塚さんの入場曲が鳴ります。飯塚さんは天山さんを襲いましたが、天山さんの「俺たちに友情ありましたよね? 応えてください!」という呼びかけに、ついに握手に応じて和解。二人は抱擁を交わしました(東スポWEB)。この日のことは→天山広吉さん、ありがとうございました|35年の花道
📰 【2026年9月19日 追記】飯塚さんが室蘭のリングに電撃登場しました。新日本プロレス9月19日の北海道・室蘭大会、IWGPタッグ次期挑戦者決定戦「真壁刀義選手&矢野通選手 vs Yuto-Ice選手&OSKAR選手(K.O.B)」の終盤、東スポは「室蘭市出身で元GBHの〝怨念坊主〟飯塚高史が電撃登場」と伝えています。アイアンフィンガー・フロム・ヘルは回避されたものの「魔性のスリーパーに捕獲され窮地に」とIce選手を追い込み、飯塚さんのモンゴリアンチョップ、真壁選手のチェーンラリアート、矢野選手の鬼殺しと続きました。それでも最後はK.O.Bが合体技で勝利し、IWGPタッグ王座への挑戦権を獲得。8月15日に天山さんと和解したあとも、リングに上がれば怨念坊主のまま、ということです(出典:東スポWEB 2026年9月19日、2026年9月20日確認)。

📋 飯塚高史 プロフィール

項目内容
入門1985年5月・新日本プロレス
デビュー1986年11月2日(対 野上彰戦)
若手時代サンボ修行を積み、グラウンドレスリングの技術に定評
変貌2008年4月27日——天山広吉さんへの裏切り
呼称クレイジー坊主/怨念坊主
代名詞スリーパーホールド/地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル)
引退試合2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め)
★★★★☆ 闘魂列伝 VOL.32
飯塚高史
"怨念坊主" / 11年、役を降りなかった男
👁 見た目
1986年のデビューから20年以上は、サンボ仕込みのグラウンドで見せる「地味な正統派」。それが2008年を境に一変する。スキンヘッド、唸り声を上げながらの客席突入、鉄製グローブをはめた地獄突き、そして、ほとんど言葉を発しない沈黙。20年かけて積み上げた技術派の看板を全部降ろし、以後11年間、その姿をほぼ崩さなかった。
⚔️ STATUS※プロレス30年・ウッシの独断評価
🥊 パワー7
⚡ スピード5
🎯 テクニック8
🔋 スタミナ7
😈 ヒール度10
👑 カリスマ8
🥋 得意技
スリーパーホールド 地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル) グラウンドレスリング(サンボ仕込み)
👑 主な足跡
1986デビュー11月2日・対 野上彰戦/前年5月に新日本プロレス入門
2008ヒール転向="怨念坊主"誕生4月27日・タッグ中に天山広吉さんをスリーパーで締め上げる
2012テンコジ襲撃3月・矢野通選手とともに天山さん&小島聡選手を狙う
2019引退2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め)/握手の直後に噛みつき、無言のまま去る
2026天山さんと和解8月15日・両国国技館/天山さんの引退試合のあと、握手に応じて抱擁
💥 必殺技
スリーパーホールド
2000年1月4日、村上和成選手を絞め落として一躍注目され、「魔性のスリーパー」と呼ばれた代名詞。ところが飯塚さんはこれを2008年4月27日、パートナーだった天山広吉さんへの裏切りの合図として使った。技そのものは何も変わっていないのに、意味だけが反転した——この一本に飯塚高史というレスラーの33年が凝縮されている。
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⚔️ 飯塚高史とは何者か——「地味な正統派」だった33年前

いまの若いファンには信じられないと思いますが、飯塚さんはもともと、まったく普通のレスラーでした。

1985年に新日本へ入門し、翌1986年11月2日にデビュー。若手時代はサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られました。派手さはない。マイクで煽ることもしない。技術で見せる、地味な正統派。

そういう選手が、20年以上、中堅として黙々と試合をしていた。

実績が無かったわけではありません。1989年には長州力さんとIWGPタッグ王座を獲得。2000年1月4日には、東京ドームで村上和成選手をスリーパーで絞め落として、一躍注目を集めました。それでも、華やかなスター選手というより、「隠れた実力派」と呼ばれる存在でした。

このまま静かにキャリアを終える——そう思っていたファンも多かったはずです。

🔥 2008年4月27日、あの日リングで何が起きたか

プロレス史に残る裏切りが起きます。

その日、飯塚さんは天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦していました。二人は組んで戦っていた。パートナーだったんです。

ところが試合終盤——

飯塚さんが、突然、天山さんをスリーパーホールドで締め上げました。

味方が、味方を絞めた。しかもタイトルマッチの終盤に。会場が何が起きたか理解するまで、少し時間がかかったはずです。

そのままヒール転向を宣言し、G・B・H(グレート・バッシュ・ヒール)入り。

そして5月2日の天山戦では、スキンヘッドになって現れました。

長年見慣れた「地味な正統派レスラー」の姿は、そこにありませんでした。

👹 「怨念坊主」——20年分を捨てた男

ヒール転向後の飯塚さんは、それまでとは別人でした。

  • 入場時から唸り声を上げながら客席へ突っ込む
  • 実況席、カメラマン、警備員——誰彼構わず襲う
  • 鉄製グローブをはめた地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル)
  • そしてほとんど、言葉を発しない

ニックネームは「クレイジー坊主」から「怨念坊主」へ。

私が凄まじいと思うのは、この変貌を11年間、ほぼ崩さなかったことです。

普通、これだけ極端なキャラクターは、どこかで綻びます。ふとした瞬間に素が出たり、ファンサービスで笑ったり。飯塚さんには、それがほとんどなかった。

20年かけて積み上げた「技術派の飯塚」を全部捨てて、まったく別の人間として11年を生きた。そんなことができる人が、どれだけいるでしょうか。

🐂 天山広吉さんとの11年——そしてテンコジ襲撃

裏切りの相手が天山さんだった、というのがこの物語の核心です。

飯塚さんと天山さんは、それ以前はタッグパートナーでした。同じ側に立って戦っていた仲間です。その関係を、飯塚さん自身が断ち切った。

以後、二人の因縁は引退まで続きます。デスマッチを含め、何度も対戦しました。

そして2012年3月には、矢野通選手とともに「テンコジ」を襲撃。天山さんと小島聡選手のタッグを狙い、同年5月3日には矢野選手とIWGPタッグ王座を奪いました(のちに剥奪)。

つまり飯塚さんは、天山さんだけでなく「テンコジ」という関係そのものに牙を剥いたわけです。

その天山さんが、2026年8月15日、小島選手を相手に引退しました。そしてテンコジを壊しにかかった男は、その最後の日のリングに現れることになります。

テンコジについては 闘魂列伝㉚ 天山広吉 と 闘魂列伝㉛ 小島聡 に詳しく書きました。二人の関係を知ってから飯塚さんの襲撃を見ると、意味がまるで変わって見えます。

📺 動画で観る(公式)

裏切りの、わずか1か月前。まだ「友情タッグ」だった頃の煽りVTRが、新日本プロレス公式に残っています。

📺 【煽りVTR】"友情タッグ"天山&飯塚vs真壁&矢野【2008年3月30日後楽園】(新日本プロレス公式)

タイトルに「友情タッグ」と付いています。この1か月後に何が起きるか、この時点では誰も知りません。いま観ると、まったく違う意味を持つ映像です。

🥋 飯塚高史の必殺技

技位置づけ
スリーパーホールド2000年の村上和成選手との一戦から「魔性のスリーパー」と呼ばれた代名詞。天山さんを裏切ったときに使ったのもこれ
地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル)ヒール転向後の主要武器。鉄製グローブを装着して喉を突く

技の意味が、転向前と後で反転しているのが飯塚さんの面白さです。

スリーパーホールドは本来、技術で相手を落とす正統派の技です。正統派時代の飯塚さんを、一躍有名にした技でもある。それを裏切りの合図として使った。

技そのものは変わっていないのに、意味だけが変わった。詳しい仕組みは スリーパーホールドのやり方 に書いています。

😢 2019年2月21日——握った手を、振りほどいた

引退試合は後楽園ホール。1,726人の札止めでした。

カードは、オカダ・カズチカ選手&天山広吉さん&矢野通選手 vs 飯塚さん&鈴木みのる選手&タイチ選手。

結果は22分14秒、ムーンサルトプレスからのフォールで飯塚さんチームの敗戦。

そして——ここからが、この記事で一番書きたかった場面です。

天山さんが、飯塚さんに呼びかけました。

「友情タッグ」のTシャツを掲げ、元の姿に戻ってほしいと説得する。最後は直接、握手の手を差し出しました。

飯塚さんは、頭を抱えて苦しむようなそぶりのあと、その手を一度、力強く握り返します。

友情復活——会場がそう思った、その直後でした。

飯塚さんは天山さんの頭に噛みつき、パイプイスで殴り、アイアン・フィンガー・フロム・ヘルでKOしました。

言葉は発さず、客席を徘徊して去っていった。最後まで、怨念坊主のままでした。

🤝 2026年8月15日——7年後、今度は手を取った

それから7年。天山さんの引退試合が、両国国技館で行われました。

小島聡選手のラリアットで決着がつき、引退セレモニーに入るかと思われたその時、飯塚さんの入場曲が鳴ります。

リングに上がった飯塚さんは、天山さんを踏みつけ、アイアンフィンガーを狙いました。助けに入った小島選手を、天山さんが止めます。

「俺たちに友情ありましたよね? 応えてください!」

天山さんが何度も呼びかけると、飯塚さんは葛藤の末に、ついに握手に応じました。二人は抱擁を交わし、飯塚さんが天山さんの手をあげて称えた、と東スポは伝えています。2008年の裏切りから、18年ぶりの和解でした。

ちなみに退場するとき、飯塚さんは野上慎平アナウンサーのシャツを破いています。そこは、変わりませんでした。

🐄 ウッシ視点:役を降りないという生き方

ここからは営業部長の私見です。

2019年の引退試合で、飯塚さんは一度握った手を振りほどきました。私は、あれで良かったと思っています。

引退試合で和解するのは、美しい。観ている側も泣ける。でも、あの日にそれをやってしまったら、11年間の「怨念坊主」は何だったのかという話になります。

だから飯塚さんは、自分がリングを降りる日には、役を降りなかった。

そして7年後。天山さんがリングを降りる日に、手を取りました。

自分の引退の日ではなく、相手の引退の日に。役を降りるなら、自分のためではなく、相手のために降りる。私はそう受け取りました。

仕事をしていると、厳しい役や、嫌われ役を引き受けることがあります。途中で言い訳したくなる。でも、引き受けた役は、役目が終わるまで演じきる。そして相手を送り出す日には、素直に手を握る。

これは、なかなかできることではありません。私は営業を20年やっていますが、そこまで徹底できる自信はありません。

💼 サラリーマンが飯塚高史から学ぶ3つの教訓

① 20年かけたものを、捨てられるか

飯塚さんは40代で、それまでのキャリアを全部捨てました。「技術派の飯塚」という20年分の看板を降ろして、まったく別の役を引き受けた。

私たちも、たまに「これまでのやり方が通用しない」場面に出会います。そのとき、積み上げたものを手放せるかどうか。捨てられる人が、次の20年を作れる。

② 一度引き受けた役は、最後まで演じきる

途中で素に戻る人は、信用されません。厳しい役でも、嫌われる役でも、引き受けたなら演じきる。それが一貫性です。

③ 「損な役」を引き受ける人がいるから、物語が動く

飯塚さんがいなければ、天山さんのあの11年もありませんでした。誰かが悪役を引き受けるから、主役が輝く。

職場でも同じです。嫌われ役を買って出る人がいるから、チームが回る。その人の価値は、なかなか表に出ません。

❓ 飯塚高史に関するよくある質問

Q1. 飯塚高史さんはなぜヒールになったんですか?

A. 2008年4月27日、天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦中、試合終盤に飯塚さんが突然天山さんをスリーパーホールドで締め上げ、ヒール転向を宣言しました。理由について本人が多くを語ることはありませんでした。

Q2. 転向前はどんな選手でしたか?

A. 1986年デビューの技術派でした。若手時代にサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られる「地味な正統派」。派手さのない中堅選手として20年以上活動していました。

Q3. 天山広吉さんとの関係は?

A. もとはタッグパートナーでしたが、2008年の裏切り以降、引退まで因縁が続きました。2012年3月には矢野通選手とともに「テンコジ」(天山さん&小島聡選手)を襲撃しています。

Q4. 引退試合はどうなりましたか?

A. 2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め)。オカダ・カズチカ選手&天山さん&矢野選手との6人タッグで敗戦。試合後、試合後、天山さんの握手に一度は応じましたが、直後に噛みついて襲いかかり、無言のまま去りました。

Q5. 得意技は何ですか?

A. スリーパーホールド(2000年の村上和成選手との一戦から「魔性のスリーパー」と呼ばれた代名詞)と、ヒール転向後の地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル/鉄製グローブを装着)です。

Q6. 天山さんとは和解したのですか?

A. 2026年8月15日に和解しました。2019年の引退試合では、一度は握手に応じたものの、直後に襲いかかって去っています。その7年後、天山さんの引退試合のあとに両国国技館へ現れ、天山さんの呼びかけに応えて握手し、抱擁を交わしました(東スポWEB)。

Q7. 引退後にリングに上がったことはありますか?

A. 何度もあります。報道で確認できるものだけでも、次のとおりです。

  • 2022年12月:鈴木軍の最後の試合のあとに登場
  • 2024年1月4日:東京ドームのKOPWランボーに出場(約5年ぶりのリング)
  • 2024年9月14日・2025年9月15日:北海道・登別大会に登場
  • 2026年8月15日:両国国技館で、天山さんと和解
  • 2026年9月19日:出身地の室蘭大会に電撃登場。魔性のスリーパーでYuto-Ice選手を捕らえた

正式な現役復帰は発表されていません(2026年10月2日時点)。

📝 まとめ:飯塚高史は「11年、役を降りず、7年後に手を取った男」

  • 1986年デビュー。もとはサンボ仕込みの地味な正統派だった
  • 2008年4月27日、タッグパートナーの天山広吉さんを試合中にスリーパーで締め上げ、ヒール転向
  • 以後11年、「怨念坊主」をほぼ崩さなかった
  • 2012年にはテンコジを襲撃。天山さんとの因縁は引退まで続いた
  • 2019年2月21日、後楽園ホールで引退。一度握った天山さんの手を振りほどき、無言のまま去った
  • 2026年8月15日、天山さんの引退の日に両国へ現れ、握手に応じて和解した
  • 20年分のキャリアを捨て、引き受けた役を、役目が終わるまで演じきった

天山さんが引退した日、飯塚さんは両国のリングで、その手を握りました。18年かかった握手でした。

闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄

📺 新日本プロレスの試合を観てみたい人へ:テレビ・配信でどこが観られるかはプロレス配信サービス比較、会場で観るならプロレス観戦が初めてでも大丈夫(観戦ガイド)にまとめています。

📚 参考・出典(6件)

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