【闘魂列伝㉜】飯塚高史|怨念坊主を11年貫き、7年後に手を取った男
※本記事はプロモーションを含みます
プロレスラーの引退試合には、たいてい涙があります。相手と抱き合い、リングに一礼して去っていく。
飯塚高史さんは、そうしませんでした。
2019年2月21日、後楽園ホール。相手チームには、かつての盟友・天山広吉さんがいました。試合後、天山さんが握手の手を差し出します。飯塚さんは一度その手を握り返し——次の瞬間、天山さんに噛みつきました。そして無言のまま、去っていった。
それから7年。2026年8月15日、天山さんが引退した日のリングに、飯塚さんが現れます。今度は、握手に応じました。
この記事では、怨念坊主を11年貫いた男が、7年後に手を取るまでを整理します。
📋 飯塚高史 プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 入門 | 1985年5月・新日本プロレス |
| デビュー | 1986年11月2日(対 野上彰戦) |
| 若手時代 | サンボ修行を積み、グラウンドレスリングの技術に定評 |
| 変貌 | 2008年4月27日——天山広吉さんへの裏切り |
| 呼称 | クレイジー坊主/怨念坊主 |
| 代名詞 | スリーパーホールド/地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル) |
| 引退試合 | 2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め) |
⚔️ 飯塚高史とは何者か——「地味な正統派」だった33年前
いまの若いファンには信じられないと思いますが、飯塚さんはもともと、まったく普通のレスラーでした。
1985年に新日本へ入門し、翌1986年11月2日にデビュー。若手時代はサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られました。派手さはない。マイクで煽ることもしない。技術で見せる、地味な正統派。
そういう選手が、20年以上、中堅として黙々と試合をしていた。
実績が無かったわけではありません。1989年には長州力さんとIWGPタッグ王座を獲得。2000年1月4日には、東京ドームで村上和成選手をスリーパーで絞め落として、一躍注目を集めました。それでも、華やかなスター選手というより、「隠れた実力派」と呼ばれる存在でした。
このまま静かにキャリアを終える——そう思っていたファンも多かったはずです。
🔥 2008年4月27日、あの日リングで何が起きたか
プロレス史に残る裏切りが起きます。
その日、飯塚さんは天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦していました。二人は組んで戦っていた。パートナーだったんです。
ところが試合終盤——
飯塚さんが、突然、天山さんをスリーパーホールドで締め上げました。
味方が、味方を絞めた。しかもタイトルマッチの終盤に。会場が何が起きたか理解するまで、少し時間がかかったはずです。
そのままヒール転向を宣言し、G・B・H(グレート・バッシュ・ヒール)入り。
そして5月2日の天山戦では、スキンヘッドになって現れました。
長年見慣れた「地味な正統派レスラー」の姿は、そこにありませんでした。
👹 「怨念坊主」——20年分を捨てた男
ヒール転向後の飯塚さんは、それまでとは別人でした。
- 入場時から唸り声を上げながら客席へ突っ込む
- 実況席、カメラマン、警備員——誰彼構わず襲う
- 鉄製グローブをはめた地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル)
- そしてほとんど、言葉を発しない
ニックネームは「クレイジー坊主」から「怨念坊主」へ。
私が凄まじいと思うのは、この変貌を11年間、ほぼ崩さなかったことです。
普通、これだけ極端なキャラクターは、どこかで綻びます。ふとした瞬間に素が出たり、ファンサービスで笑ったり。飯塚さんには、それがほとんどなかった。
20年かけて積み上げた「技術派の飯塚」を全部捨てて、まったく別の人間として11年を生きた。そんなことができる人が、どれだけいるでしょうか。
🐂 天山広吉さんとの11年——そしてテンコジ襲撃
裏切りの相手が天山さんだった、というのがこの物語の核心です。
飯塚さんと天山さんは、それ以前はタッグパートナーでした。同じ側に立って戦っていた仲間です。その関係を、飯塚さん自身が断ち切った。
以後、二人の因縁は引退まで続きます。デスマッチを含め、何度も対戦しました。
そして2012年3月には、矢野通選手とともに「テンコジ」を襲撃。天山さんと小島聡選手のタッグを狙い、同年5月3日には矢野選手とIWGPタッグ王座を奪いました(のちに剥奪)。
つまり飯塚さんは、天山さんだけでなく「テンコジ」という関係そのものに牙を剥いたわけです。
その天山さんが、2026年8月15日、小島選手を相手に引退しました。そしてテンコジを壊しにかかった男は、その最後の日のリングに現れることになります。
テンコジについては 闘魂列伝㉚ 天山広吉 と 闘魂列伝㉛ 小島聡 に詳しく書きました。二人の関係を知ってから飯塚さんの襲撃を見ると、意味がまるで変わって見えます。
📺 動画で観る(公式)
裏切りの、わずか1か月前。まだ「友情タッグ」だった頃の煽りVTRが、新日本プロレス公式に残っています。
📺 【煽りVTR】"友情タッグ"天山&飯塚vs真壁&矢野【2008年3月30日後楽園】(新日本プロレス公式)
タイトルに「友情タッグ」と付いています。この1か月後に何が起きるか、この時点では誰も知りません。いま観ると、まったく違う意味を持つ映像です。
🥋 飯塚高史の必殺技
| 技 | 位置づけ |
|---|---|
| スリーパーホールド | 2000年の村上和成選手との一戦から「魔性のスリーパー」と呼ばれた代名詞。天山さんを裏切ったときに使ったのもこれ |
| 地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル) | ヒール転向後の主要武器。鉄製グローブを装着して喉を突く |
技の意味が、転向前と後で反転しているのが飯塚さんの面白さです。
スリーパーホールドは本来、技術で相手を落とす正統派の技です。正統派時代の飯塚さんを、一躍有名にした技でもある。それを裏切りの合図として使った。
技そのものは変わっていないのに、意味だけが変わった。詳しい仕組みは スリーパーホールドのやり方 に書いています。
😢 2019年2月21日——握った手を、振りほどいた
引退試合は後楽園ホール。1,726人の札止めでした。
カードは、オカダ・カズチカ選手&天山広吉さん&矢野通選手 vs 飯塚さん&鈴木みのる選手&タイチ選手。
結果は22分14秒、ムーンサルトプレスからのフォールで飯塚さんチームの敗戦。
そして——ここからが、この記事で一番書きたかった場面です。
天山さんが、飯塚さんに呼びかけました。
「友情タッグ」のTシャツを掲げ、元の姿に戻ってほしいと説得する。最後は直接、握手の手を差し出しました。
飯塚さんは、頭を抱えて苦しむようなそぶりのあと、その手を一度、力強く握り返します。
友情復活——会場がそう思った、その直後でした。
飯塚さんは天山さんの頭に噛みつき、パイプイスで殴り、アイアン・フィンガー・フロム・ヘルでKOしました。
言葉は発さず、客席を徘徊して去っていった。最後まで、怨念坊主のままでした。
🤝 2026年8月15日——7年後、今度は手を取った
それから7年。天山さんの引退試合が、両国国技館で行われました。
小島聡選手のラリアットで決着がつき、引退セレモニーに入るかと思われたその時、飯塚さんの入場曲が鳴ります。
リングに上がった飯塚さんは、天山さんを踏みつけ、アイアンフィンガーを狙いました。助けに入った小島選手を、天山さんが止めます。
「俺たちに友情ありましたよね? 応えてください!」
天山さんが何度も呼びかけると、飯塚さんは葛藤の末に、ついに握手に応じました。二人は抱擁を交わし、飯塚さんが天山さんの手をあげて称えた、と東スポは伝えています。2008年の裏切りから、18年ぶりの和解でした。
ちなみに退場するとき、飯塚さんは野上慎平アナウンサーのシャツを破いています。そこは、変わりませんでした。
🐄 ウッシ視点:役を降りないという生き方
ここからは営業部長の私見です。
2019年の引退試合で、飯塚さんは一度握った手を振りほどきました。私は、あれで良かったと思っています。
引退試合で和解するのは、美しい。観ている側も泣ける。でも、あの日にそれをやってしまったら、11年間の「怨念坊主」は何だったのかという話になります。
だから飯塚さんは、自分がリングを降りる日には、役を降りなかった。
そして7年後。天山さんがリングを降りる日に、手を取りました。
自分の引退の日ではなく、相手の引退の日に。役を降りるなら、自分のためではなく、相手のために降りる。私はそう受け取りました。
仕事をしていると、厳しい役や、嫌われ役を引き受けることがあります。途中で言い訳したくなる。でも、引き受けた役は、役目が終わるまで演じきる。そして相手を送り出す日には、素直に手を握る。
これは、なかなかできることではありません。私は営業を20年やっていますが、そこまで徹底できる自信はありません。
💼 サラリーマンが飯塚高史から学ぶ3つの教訓
① 20年かけたものを、捨てられるか
飯塚さんは40代で、それまでのキャリアを全部捨てました。「技術派の飯塚」という20年分の看板を降ろして、まったく別の役を引き受けた。
私たちも、たまに「これまでのやり方が通用しない」場面に出会います。そのとき、積み上げたものを手放せるかどうか。捨てられる人が、次の20年を作れる。
② 一度引き受けた役は、最後まで演じきる
途中で素に戻る人は、信用されません。厳しい役でも、嫌われる役でも、引き受けたなら演じきる。それが一貫性です。
③ 「損な役」を引き受ける人がいるから、物語が動く
飯塚さんがいなければ、天山さんのあの11年もありませんでした。誰かが悪役を引き受けるから、主役が輝く。
職場でも同じです。嫌われ役を買って出る人がいるから、チームが回る。その人の価値は、なかなか表に出ません。
❓ 飯塚高史に関するよくある質問
Q1. 飯塚高史さんはなぜヒールになったんですか?
A. 2008年4月27日、天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦中、試合終盤に飯塚さんが突然天山さんをスリーパーホールドで締め上げ、ヒール転向を宣言しました。理由について本人が多くを語ることはありませんでした。
Q2. 転向前はどんな選手でしたか?
A. 1986年デビューの技術派でした。若手時代にサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られる「地味な正統派」。派手さのない中堅選手として20年以上活動していました。
Q3. 天山広吉さんとの関係は?
A. もとはタッグパートナーでしたが、2008年の裏切り以降、引退まで因縁が続きました。2012年3月には矢野通選手とともに「テンコジ」(天山さん&小島聡選手)を襲撃しています。
Q4. 引退試合はどうなりましたか?
A. 2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め)。オカダ・カズチカ選手&天山さん&矢野選手との6人タッグで敗戦。試合後、試合後、天山さんの握手に一度は応じましたが、直後に噛みついて襲いかかり、無言のまま去りました。
Q5. 得意技は何ですか?
A. スリーパーホールド(2000年の村上和成選手との一戦から「魔性のスリーパー」と呼ばれた代名詞)と、ヒール転向後の地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル/鉄製グローブを装着)です。
Q6. 天山さんとは和解したのですか?
A. 2026年8月15日に和解しました。2019年の引退試合では、一度は握手に応じたものの、直後に襲いかかって去っています。その7年後、天山さんの引退試合のあとに両国国技館へ現れ、天山さんの呼びかけに応えて握手し、抱擁を交わしました(東スポWEB)。
Q7. 引退後にリングに上がったことはありますか?
A. 何度もあります。報道で確認できるものだけでも、次のとおりです。
- 2022年12月:鈴木軍の最後の試合のあとに登場
- 2024年1月4日:東京ドームのKOPWランボーに出場(約5年ぶりのリング)
- 2024年9月14日・2025年9月15日:北海道・登別大会に登場
- 2026年8月15日:両国国技館で、天山さんと和解
- 2026年9月19日:出身地の室蘭大会に電撃登場。魔性のスリーパーでYuto-Ice選手を捕らえた
正式な現役復帰は発表されていません(2026年10月2日時点)。
📝 まとめ:飯塚高史は「11年、役を降りず、7年後に手を取った男」
- 1986年デビュー。もとはサンボ仕込みの地味な正統派だった
- 2008年4月27日、タッグパートナーの天山広吉さんを試合中にスリーパーで締め上げ、ヒール転向
- 以後11年、「怨念坊主」をほぼ崩さなかった
- 2012年にはテンコジを襲撃。天山さんとの因縁は引退まで続いた
- 2019年2月21日、後楽園ホールで引退。一度握った天山さんの手を振りほどき、無言のまま去った
- 2026年8月15日、天山さんの引退の日に両国へ現れ、握手に応じて和解した
- 20年分のキャリアを捨て、引き受けた役を、役目が終わるまで演じきった
天山さんが引退した日、飯塚さんは両国のリングで、その手を握りました。18年かかった握手でした。
闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄
📺 新日本プロレスの試合を観てみたい人へ:テレビ・配信でどこが観られるかはプロレス配信サービス比較、会場で観るならプロレス観戦が初めてでも大丈夫(観戦ガイド)にまとめています。
📚 参考・出典(6件)
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Wikipedia:飯塚高史(入門/デビュー/2008年4月27日の転向/テンコジ襲撃/引退試合カード・スリーパーの由来・IWGPタッグ王座/2026年10月2日確認)
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プロレスTODAY:飯塚高史さんの引退記念試合(2019年2月22日)(試合後の握手と、その直後の襲撃)
-
【新日本】K.O.Bが真壁&矢野撃破でIWGPタッグ挑戦権獲得 本間朋晃&電撃登場の飯塚高史も加勢のGBHとの乱戦制す(東スポWEB・2026年9月19日)(2026年9月20日確認)
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