【闘魂列伝㉜】飯塚高史|最後まで手を取らなかった男
※本記事はプロモーションを含みます
プロレスラーの引退試合には、たいてい涙があります。相手と抱き合い、花束を受け取り、リングに一礼して去っていく。
飯塚高史さんは、そのどれもしませんでした。
2019年2月21日、後楽園ホール。相手チームには、かつての盟友・天山広吉さんがいました。天山さんが呼びかけます。飯塚さんは応じませんでした。差し出された手も、花束も、涙も——全部拒んで、無言のまま去った。
その天山さんが、2026年8月15日に引退しました。この機会に、この男のことを書いておきたいと思いました。
📋 飯塚高史 プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 入門 | 1985年5月・新日本プロレス |
| デビュー | 1986年11月2日(対 野上彰戦) |
| 若手時代 | サンボ修行を積み、グラウンドレスリングの技術に定評 |
| 変貌 | 2008年4月27日——天山広吉さんへの裏切り |
| 呼称の変遷 | クレイジー坊主 → 怨念坊主 |
| 代名詞 | スリーパーホールド/地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル) |
| 引退試合 | 2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め) |
⚔️ 飯塚高史とは何者か——「地味な正統派」だった33年前
いまの若いファンには信じられないと思いますが、飯塚さんはもともと、まったく普通のレスラーでした。
1985年に新日本へ入門し、翌1986年11月2日にデビュー。若手時代はサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られました。派手さはない。マイクで煽ることもしない。技術で見せる、地味な正統派。
そういう選手が、20年以上、中堅として黙々と試合をしていた。
ファンからの評価も「渋い」「玄人好み」といったもので、決してメインを張る看板選手ではありませんでした。
このまま静かにキャリアを終える——誰もがそう思っていたはずです。
🔥 2008年4月27日、あの日リングで何が起きたか
プロレス史に残る裏切りが起きます。
その日、飯塚さんは天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦していました。二人は組んで戦っていた。パートナーだったんです。
ところが試合終盤——
飯塚さんが、突然、天山さんをスリーパーホールドで締め上げました。
味方が、味方を絞めた。しかもタイトルマッチの終盤に。会場が何が起きたか理解するまで、少し時間がかかったはずです。
そのままヒール転向を宣言し、G・B・H(グレート・バッシュ・ヒール)入り。
そして5月2日の天山戦では、スキンヘッドになって現れました。
長年見慣れた「地味な正統派レスラー」の姿は、そこにありませんでした。
👹 「怨念坊主」——20年分を捨てた男
ヒール転向後の飯塚さんは、それまでとは別人でした。
- 入場時から唸り声を上げながら客席へ突っ込む
- 実況席、カメラマン、警備員——誰彼構わず襲う
- 鉄製グローブをはめた地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル)
- そして一切、言葉を発しない
ニックネームは「クレイジー坊主」から「怨念坊主」へ。
私が凄まじいと思うのは、この変貌を11年間、一度も崩さなかったことです。
普通、これだけ極端なキャラクターは、どこかで綻びます。ふとした瞬間に素が出たり、ファンサービスで笑ったり。飯塚さんには、それが一度もなかった。
20年かけて積み上げた「技術派の飯塚」を全部捨てて、まったく別の人間として11年を生きた。そんなことができる人が、どれだけいるでしょうか。
🐂 天山広吉さんとの11年——そしてテンコジ襲撃
裏切りの相手が天山さんだった、というのがこの物語の核心です。
飯塚さんと天山さんは、それ以前はタッグパートナーでした。同じ側に立って戦っていた仲間です。その関係を、飯塚さん自身が断ち切った。
以後、二人の因縁は引退まで続きます。デスマッチを含め、何度も対戦しました。
そして2012年3月には、矢野通選手とともに「テンコジ」を襲撃。天山さんと小島聡選手のタッグを狙い、タイトル強奪を図っています。
つまり飯塚さんは、天山さんだけでなく「テンコジ」という関係そのものに牙を剥いたわけです。
だから今回、天山さんが小島選手を相手に引退する——そのニュースを見たとき、私は飯塚さんのことを思い出しました。テンコジを壊しにかかった男が、テンコジの終わりを見ているんだな、と。
テンコジについては 闘魂列伝㉚ 天山広吉 と 闘魂列伝㉛ 小島聡 に詳しく書きました。二人の関係を知ってから飯塚さんの襲撃を見ると、意味がまるで変わって見えます。
📺 動画で観る(公式)
裏切りの、わずか1か月前。まだ「友情タッグ」だった頃の煽りVTRが、新日本プロレス公式に残っています。
📺 【煽りVTR】"友情タッグ"天山&飯塚vs真壁&矢野【2008年3月30日後楽園】(新日本プロレス公式)
タイトルに「友情タッグ」と付いています。この1か月後に何が起きるか、この時点では誰も知りません。いま観ると、まったく違う意味を持つ映像です。
🥋 飯塚高史の必殺技
| 技 | 位置づけ |
|---|---|
| スリーパーホールド | 若手時代からの代名詞。天山さんを裏切ったときに使ったのもこれ |
| 地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル) | ヒール転向後の主要武器。鉄製グローブを装着して喉を突く |
技の意味が、転向前と後で反転しているのが飯塚さんの面白さです。
スリーパーホールドは本来、技術で相手を落とす正統派の技です。飯塚さんが若手時代に磨いたサンボの延長線上にある技でもある。それを裏切りの合図として使った。
技そのものは変わっていないのに、意味だけが変わった。詳しい仕組みは スリーパーホールドのやり方 に書いています。
😢 2019年2月21日——最後まで、手を取らなかった
引退試合は後楽園ホール。1,726人の札止めでした。
カードは、オカダ・カズチカ選手&天山広吉さん&矢野通選手 vs 飯塚さん&鈴木みのる選手&タイチ選手。
結果は22分14秒、ムーンサルトプレスからのフォールで飯塚さんチームの敗戦。
そして——ここからが、この記事で一番書きたかった場面です。
天山さんが、飯塚さんに呼びかけました。
11年前に裏切られた相手が、最後に声をかけた。友情復活の場面になるはずでした。会場の誰もがそれを期待したはずです。
飯塚さんは、応じませんでした。
差し出された手を取らず。花束も受け取らず。涙も見せず。最後まで無言のまま、ただ暴れて去っていった。
🐄 ウッシ視点:役を降りないという生き方
ここからは営業部長の私見です。
私は、この引退が正しかったと思っています。
引退試合で和解するのは、美しい。観ている側も泣ける。でもそれをやってしまったら、11年間の「怨念坊主」は何だったのかという話になります。
「本当は良い人でした」で終わらせたら、飯塚さんが捨てた20年分のキャリアも、貫いた11年も、全部が「演技でした」になってしまう。
だから飯塚さんは、手を取らなかった。
仕事をしていると、時々「役を降りる」誘惑が来ます。厳しい上司を演じてきたのに、送別会でつい優しくしてしまう。悪役を引き受けたのに、最後に言い訳したくなる。
でも、そこで降りたら、それまで背負ってきた意味が消えます。
飯塚さんは降りませんでした。最後の最後まで。リングを降りる日にも、役を降りなかった。
これは、なかなかできることではありません。私は営業を20年やっていますが、そこまで徹底できる自信はありません。
💼 サラリーマンが飯塚高史から学ぶ3つの教訓
① 20年かけたものを、捨てられるか
飯塚さんは40代で、それまでのキャリアを全部捨てました。「技術派の飯塚」という20年分の看板を降ろして、まったく別の役を引き受けた。
私たちも、たまに「これまでのやり方が通用しない」場面に出会います。そのとき、積み上げたものを手放せるかどうか。捨てられる人が、次の20年を作れる。
② 一度引き受けた役は、最後まで演じきる
途中で素に戻る人は、信用されません。厳しい役でも、嫌われる役でも、引き受けたなら演じきる。それが一貫性です。
③ 「損な役」を引き受ける人がいるから、物語が動く
飯塚さんがいなければ、天山さんのあの11年もありませんでした。誰かが悪役を引き受けるから、主役が輝く。
職場でも同じです。嫌われ役を買って出る人がいるから、チームが回る。その人の価値は、なかなか表に出ません。
❓ 飯塚高史に関するよくある質問
Q1. 飯塚高史さんはなぜヒールになったんですか?
A. 2008年4月27日、天山広吉さんとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦中、試合終盤に飯塚さんが突然天山さんをスリーパーホールドで締め上げ、ヒール転向を宣言しました。理由について本人が多くを語ることはありませんでした。
Q2. 転向前はどんな選手でしたか?
A. 1986年デビューの技術派でした。若手時代にサンボを修行し、グラウンドレスリングの技術で知られる「地味な正統派」。派手さのない中堅選手として20年以上活動していました。
Q3. 天山広吉さんとの関係は?
A. もとはタッグパートナーでしたが、2008年の裏切り以降、引退まで因縁が続きました。2012年3月には矢野通選手とともに「テンコジ」(天山さん&小島聡選手)を襲撃しています。
Q4. 引退試合はどうなりましたか?
A. 2019年2月21日・後楽園ホール(1,726人・札止め)。オカダ・カズチカ選手&天山さん&矢野選手との6人タッグで敗戦。試合後、天山さんの呼びかけに応じず、手も花束も涙も拒んで無言のまま去りました。
Q5. 得意技は何ですか?
A. スリーパーホールド(若手時代からの代名詞)と、ヒール転向後の地獄突き(アイアン・フィンガー・フロム・ヘル/鉄製グローブを装着)です。
Q6. なぜ引退試合で和解しなかったのでしょうか?
A. 本人の言葉としては語られていません。ただ、11年間一度も崩さなかったキャラクターを最後まで貫いたという見方が一般的です。和解してしまえば、それまでの11年の意味が変わってしまうからだと思います。
📝 まとめ:飯塚高史は「最後まで役を降りなかった男」
- 1986年デビュー。もとはサンボ仕込みの地味な正統派だった
- 2008年4月27日、タッグパートナーの天山広吉さんを試合中にスリーパーで締め上げ、ヒール転向
- 以後11年、「怨念坊主」を一度も崩さなかった
- 2012年にはテンコジを襲撃。天山さんとの因縁は引退まで続いた
- 2019年2月21日、後楽園ホールで引退。天山さんの呼びかけに応じず、手も花束も涙も拒んで去った
- 20年分のキャリアを捨て、引き受けた役を最後まで演じきった
その天山さんが、2026年8月15日に引退しました。飯塚さんはきっと、どこかで観ていたんでしょうね。無言のまま。
闘魂で、人生を叩き上げろ。マイペースにいきましょう🐄
📚 参考・出典(3件)
- Wikipedia:飯塚高史(入門/デビュー/2008年4月27日の転向/テンコジ襲撃/引退試合カード/2026年8月8日確認)
- プロレスTODAY:<飯塚高史引退記念試合>天山との友情復活と思いきや…最後まで”怨念坊主”を貫き通し無言のまま引退
- 新日本プロレス公式サイト
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