北斗晶の現在|"デンジャラス・クイーン"の全盛期と必殺技
※本記事はプロモーションを含みます
「北斗晶って、テレビでよく見る”鬼嫁”の人だよね。今は何をしているの?」
「プロレス時代は、そんなにすごかったの? 必殺技は何?」
先に答えます。北斗晶さんは2026年10月時点で59歳。タレントとして活動中で、2026年4月1日からは日本テレビ系『ヒルナンデス!』の水曜レギュラーです。
プロレス時代の異名は”デンジャラス・クイーン”。全盛期は1993〜1994年、必殺技はノーザンライト・ボムでした。
⚔️ 先に結論だけ
- 北斗晶さん=本名・佐々木久子(旧姓・宇野)。1967年7月13日生まれ、埼玉県出身。2026年10月時点で59歳
- 現在=健介オフィス所属のタレント。2026年4月1日から『ヒルナンデス!』水曜レギュラー。公式ブログは2026年10月1日にも更新されている
- 全盛期=1993〜1994年。1993年4月2日・横浜アリーナで神取忍選手に30分37秒で勝利。1994年11月20日・東京ドームでは「V★TOP WOMAN 日本選手権トーナメント」に優勝した
- 必殺技=ノーザンライト・ボム。東京ドームの決勝も、引退試合も、この技で決めた
- 引退=2002年4月7日、横浜文化体育館(GAEA JAPAN)。夫は元プロレスラーの佐々木健介さん
正直に書きます。ウッシがプロレスに出会ったのは、プレステの「闘魂列伝」(1995年)で、当時8〜9歳。北斗さんの全盛期は、その直前です。
会場では観ていません。この記事は、後から映像と記録で追いかけた人間の視点で書きます。
この記事でわかること
- 北斗晶さんの現在(2026年10月時点で確認できた活動)
- 全盛期はいつか、年表と数字つき
- 1993年4月2日・横浜アリーナの神取忍戦で何が起きたか
- 必殺技と、引退の時期・場所
📝 最初におことわり:北斗晶さんはご存命で、現在も活動されています。本記事は、報道と本人の発信で確認できた事実だけを書きます。健康状態や私生活の推測は書きません。
📋 北斗晶 プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| リングネーム | 北斗晶(デビュー時は本名の宇野久子/メキシコでは「レイナ・フブキ」) |
| 本名 | 佐々木久子(旧姓・宇野) |
| 生年月日 | 1967年7月13日(2026年10月時点で59歳) |
| 出身 | 埼玉県北葛飾郡(現在の吉川市) |
| 現役時の体格 | 167cm・59kg(東京スポーツ連載のプロフィール欄) |
| デビュー | 1985年6月12日・札幌中島体育センター(対 岩本久美子) |
| 異名 | デンジャラス・クイーン/引退後は「鬼嫁」 |
| 主なタイトル | 全日本ジュニア王座、WWWA世界タッグ王座、オールパシフィック王座、WCW世界女子ヘビー級王座(初代) |
| 必殺技 | ノーザンライト・ボム |
| 引退 | 2002年4月7日・横浜文化体育館 |
| 家族 | 夫は佐々木健介さん(1995年に結婚)。2児の母 |
北斗さんと同じ時代の全女を、当事者たちが語った一冊があります。ダンプ松本さん・ブル中野さん・アジャコング選手ほかの著書『証言 全女「極悪ヒール女王」最狂伝説』です。
🗓 全盛期はいつ? 年表で先に見る
「北斗晶 全盛期」で調べた方には、1993年と1994年の2年間と答えます。東京スポーツの「女子レスラー名鑑」も、対抗戦ブームの中で北斗さんが「名実ともにトップに立った」と書いています。
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1985年6月12日 | 札幌中島体育センターでデビュー |
| 1987年4月27日 | 大阪府立体育会館の試合で、首の骨を折る |
| 1988年1月 | 復帰。この年、リングネームを「北斗晶」に |
| 1993年4月2日 | 横浜アリーナで神取忍選手に勝利(30分37秒) |
| 1993年12月6日 | 両国国技館の再戦は敗れ、1勝1敗 |
| 1994年11月20日 | 東京ドームで日本選手権トーナメントに優勝 |
| 1995年 | 佐々木健介さんと結婚 |
| 2002年4月7日 | 横浜文化体育館で引退 |
意外なのは、全女の最高峰であるWWWA世界シングル王座(赤いベルト)を、一度も巻いていないことです。東京スポーツも「不思議と縁がなかった」と書いています。
🌱 デビューから首の骨折、そして「北斗晶」へ
タッグ王座の12日後に、首の骨折
1985年、全日本女子プロレスに入門。同年6月12日、本名の宇野久子でデビューしました。
1987年4月15日には、同期の堀田祐美子さんと組んで、WWWA世界タッグ王座を獲ります。そのわずか12日後の4月27日、防衛戦で首の骨を折りました。本人は、試合のことを全く覚えていないそうです。
署名は1万人のはずが、約8万人
入院は4か月近く。医師からも周囲からも、復帰は反対されました。
それでも頼み続ける北斗さんに、全女の松永高司会長は「だったら1万人の署名を集めてこい」と冗談で言ったそうです。ファンが各地の会場で集めた署名は、約8万人分。1988年1月、北斗さんはリングに戻ります。
🐄 ウッシの小声:目標1万に対して実績8万。営業会議でこの数字を出したら、たぶん「入力ミスだろ」と言われます。
リングネームは「ウルトラマンA」から
復帰後のリングネームは、ファンからの公募でした。相方が先に「みなみ鈴香」に決まり、「北斗とみなみが合体してウルトラマンエースになるし」という一言で、上の名前は「北斗」に。
下の名前は、ファンだった前田日明さんにちなむ「あきら」です。本人いわく「実はすべてテキトーについたんです」。
1992年3月にはメキシコへ遠征。この時期に、三田英津子さん・下田美馬さんと3人組「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」を組みました。
🩸 1993年4月2日・横浜アリーナ|神取忍戦
⚠️ 読む前に:この試合は流血をともなう激しい内容でした。1990年代のプロレスという表現の中で行われたもので、真似をする対象ではありません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日付・会場 | 1993年4月2日・横浜アリーナ |
| 大会 | 全日本女子プロレス25周年。女子4団体が集まった初のオールスター戦 |
| 試合順 | セミファイナル |
| キャッチコピー | 「デンジャラスクイーン決定戦」 |
| 相手 | 神取忍選手(LLPW) |
| 結果 | 30分37秒、北斗晶さんの勝利 |
この試合に勝った北斗さんは、以後”デンジャラス・クイーン”と呼ばれるようになります。
何が起きたのか
北斗さんは、般若の面をつけ、日本刀を携えて入場しました。当時25歳です。
試合中、テーブルの上にパイルドライバーで頭から落とされ、大流血。本人は「今でもその傷痕があります」と語っています。Wikipediaの記述では、最後は殴り合いになり、北斗さんが体をかぶせて3カウントを奪いました。
ロッシー小川さんがNumber Webで語ったところでは、試合開始は23時過ぎ。そこから30分を超えたため、終電を逃すお客さんが出たそうです。
🐄 ウッシの小声:翌日、全女の営業が駅へ始末書を持って謝りに行った、という話まで残っています。同じ営業として、その担当者の胃が心配です。
再戦と、30年後の言葉
同年12月6日、両国国技館で再戦。こちらは北斗さんが敗れ、シングルは1勝1敗で終わりました。
2023年の連載で、北斗さんはこう語っています。「神取忍が同じ時代に生きてくれてなかったら、女子プロレスラー・北斗晶はいない」。
🏟 1994年11月20日・東京ドーム|「初代日本一」
1994年、北斗さんは「北斗晶」の名前では3大会にしか出ない「引退ツアー」を組みました。その最後が、女子プロレス初の東京ドーム大会「憧夢超女大戦」です。
- 観衆:4万2500人
- 全23試合、大会時間は10時間15分
- 試合開始は14時。決勝のゴングは23時23分
北斗さんは「V★TOP WOMAN 日本選手権トーナメント」を3試合勝ち抜きます。決勝はアジャコング選手に、ノーザンライト・ボム3連打、20分24秒で勝ちました。
この日で引退するはずでした。ところが試合後、マイクでこう叫びます。
「来年も東京ドームがあるなら北斗晶は必ず戻ってくる!」
引退は撤回。現役は、ここからさらに7年以上続きました。
💥 必殺技はノーザンライト・ボム
「北斗晶 必殺技」の答えは、ノーザンライト・ボムです。東京スポーツの本人連載のプロフィール欄にも、そう書かれています。
相手をボディスラムの要領で抱え上げ、自分が座り込むのと同時に、後頭部から背中を落とす技です。図解はノーザンライトボムのやり方【図解】にまとめました。
夫の佐々木健介さんも、この技を代名詞にしています。2023年には、ジュリア選手が使っていることを聞かれ、北斗さんは「許可なんて必要ないですよ(笑い)。自由に使えばいいんじゃないですかね」と答えました。
なお、Wikipediaには「北斗さん自身が開発した」とあります。ただ、本人が開発の経緯を語った一次資料は、ウッシは確認できていません。
💍 結婚、そして2002年の引退
1995年4月、アントニオ猪木さんが北朝鮮・平壌で開いた「平和の祭典」。北斗さんは、ここで新日本プロレスの佐々木健介さんと出会い、同じ年に結婚しました。
その後は全女を離れ、1996年12月にアメリカでWCW世界女子ヘビー級王座の初代チャンピオンに。同じ1996年に、長与千種さんの団体GAEA JAPANへ移っています。
1998年に長男を出産し、翌年リングに復帰しました。
引退試合は2002年4月7日・横浜文化体育館
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日付・会場 | 2002年4月7日・横浜文化体育館(GAEA JAPAN 旗揚げ7周年) |
| カード | 北斗晶&里村明衣子 vs 長与千種&浜田文子 |
| 結果 | 北斗さんがノーザンライト・ボムで浜田文子さんに勝利 |
引退を決めた理由も、本人が語っています。前年の11月、同い年の子どもを持つ友人が亡くなり、通夜の帰り道に「辞めよう」と決めたそうです。
試合後には、長与さんに「人生最大の敵に、私の魂(ノーザンライトボム)を譲る!」と宣言しました。
📺 北斗晶引退試合 2002年4月7日・横浜文化体育館(GAEAISM公式チャンネル)
📅 引退後と、2026年10月時点の現在
「鬼嫁」と呼ばれるまで
引退後の北斗さんは、健介さんのマネージャーとして、セコンドにつきました。本人によると、その姿を東京スポーツが書き続けたことで、「鬼嫁」の呼び名が広まったそうです。
そこからテレビの仕事が増え、タレントとしての活動が今につながっています。
2015年に本人が公表したこと
2015年9月23日、北斗さんは公式ブログで、乳がんで入院していることを公表しました。翌24日に手術を受けることも、あわせて明かしています。
2016年11月30日には、TBS系『あさチャン!』に復帰しました。この記事では、本人が公表した以上のことは書きません。
2026年に確認できた活動
- 2026年4月1日:日本テレビ系『ヒルナンデス!』の水曜レギュラーに就任(同日、本人がブログで報告)
- 2026年10月1日:公式ブログ「そこのけそこのけ鬼嫁が通る」の更新を確認
- 2026年10月2日時点:YouTubeチャンネル「北斗晶のYouTube」の登録者数は23.1万人
プロレスについて、本人は2023年にこう語っています。「私の人生でプロレスはもう終わったんですよ」。
🐄 ウッシの小声:ウッシは観るほうが30年続いていますが、やるほうは、体育館のマットで妹に技をかけすぎて嫌われた青春時代で止まっています。
🐄 ウッシ視点|「語らないこと」も仕事のうち
ここは私見です。
北斗さんは、神取戦についてこう言っています。「私の恩返しは神取との試合でつくったものを崩さないこと」「語らないことも恩返しだと思っています」。
営業20年目の身には、これが刺さりました。昔の大きな受注の話は、語るほど小さくなります。自戒を込めて書いています。
もうひとつ。“デンジャラス・クイーン”から「鬼嫁」へ、看板を掛け替えてもう一度勝った人でもあります。
ウッシも、卸問屋のドライバーから営業へ、そして運送会社へと看板を替えてきました。前の看板にしがみつかないほうが、次の場所で長く戦えます。
📡 今のプロレスを観るなら
1993年・1994年の全女の試合を、まるごと観られる定額配信は、2026年10月時点でウッシは確認できていません。GAEA JAPAN時代の試合は、上の公式YouTubeに一部が公開されています。
今のプロレスなら、毎週観られます。サービスごとの違いは、プロレスはどこで観る?DAZN・Hulu・NJPW WORLD・Netflixの違いにまとめました。
❓ 北斗晶さんに関するよくある質問
Q1. 北斗晶さんは現在、何をしていますか?
A. タレントとして活動しています。2026年4月1日から『ヒルナンデス!』の水曜レギュラーで、公式ブログの更新も続いています(2026年10月時点)。
Q2. 全盛期はいつですか?
A. 1993〜1994年です。1993年4月2日に横浜アリーナで神取忍選手に勝ち、1994年11月20日に東京ドームで日本選手権トーナメントに優勝しました。
Q3. 必殺技は何ですか?
A. ノーザンライト・ボムです。東京ドームの決勝も、引退試合も、この技で決めています。
Q4. 神取忍戦の結果は?
A. 1993年4月2日・横浜アリーナは、30分37秒で北斗さんの勝利。同年12月6日・両国国技館の再戦は神取選手が勝ち、1勝1敗です。
Q5. いつ、どこで引退しましたか?
A. 2002年4月7日、横浜文化体育館です。里村明衣子さんと組み、長与千種さん&浜田文子さんと対戦して、勝ってリングを降りました。
📝 まとめ:北斗晶さんは「ベルトではなく、試合で頂点に立った人」
- ✅ 1967年7月13日生まれ、埼玉県出身。1985年6月12日デビュー
- ✅ 1993年4月2日・横浜アリーナで神取忍選手に30分37秒で勝利
- ✅ 1994年11月20日・東京ドームで日本選手権トーナメントに優勝
- ✅ 必殺技はノーザンライト・ボム。引退は2002年4月7日・横浜文化体育館
- ✅ 現在はタレント。2026年4月1日から『ヒルナンデス!』水曜レギュラー
「もう一度生まれ変わったら女子プロレスラーになりますか」と聞かれると、北斗さんは「二度となりません」と答えるそうです。「北斗晶はあの一代で十分」。
やり切った人だけが言える言葉です。マイペースにいきましょう🐄
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- → プロレス技 一覧【イラスト図解・早見表】|ウッシのプロレス技大図鑑
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📚 参考・出典(30件)
本記事は以下の報道・本人発信を参考に作成しています(すべて2026年10月2日にアクセス確認)。裏が取れなかった事項は記載していません。
- 東スポWEB「【北斗晶連載#1】私の恩返しは、神取との試合でつくったものを崩さないこと」(2023年2月27日) — プロフィール(本名・生年月日・出身・デビュー・体格・必殺技)/ノーザンライトボムと神取戦についての発言
- 東スポWEB「【北斗晶連載#12】先輩たちには歓迎されなかった初めて取ったベルト」 — 1986年3月20日の全日本ジュニア王座/全女時代のベルト3本
- 東スポWEB「【北斗晶連載#13】WWWA世界タッグ王座奪取はハプニングの連続」 — 1987年4月15日・大田区体育館
- 東スポWEB「【北斗晶連載#15】王座奪取12日後、首の骨折りました」 — 1987年4月27日・大阪府立体育会館
- 東スポWEB「【北斗晶連載#16】復帰に必要な署名は1万人 集まったのは8万人分」 — 入院期間と署名
- 東スポWEB「【北斗晶連載#17】リングネーム『団あきら』に決定?」 — 1988年1月の復帰/リングネームと海狼組の由来
- 東スポWEB「【北斗晶連載#20】言葉が分からず水1本買えない自分に走った衝撃」 — 1992年3月のメキシコ遠征
- 東スポWEB「【北斗晶連載#21】『お前が預からなきゃ下田美馬は辞めさせる』と言われ」 — ラス・カチョーラス・オリエンタレス
- 東スポWEB「【北斗晶連載#22】神取忍との大流血戦を見に来た父は泣いて帰ったそうです」 — 1993年4月2日の大会・キャッチコピー・30分37秒/1992年9月19日の対抗戦開始
- 東スポWEB「【北斗晶連載#23】風間ルミとの髪切りマッチ」 — 1993年12月6日・両国国技館の再戦/神取選手についての発言
- 東スポWEB「【北斗晶連載#24】『私の人生の宝』は国松さんのお骨と一緒にお墓に眠っています」 — 1994年の「引退ツアー」と3試合のトーナメント
- 東スポWEB「【北斗晶連載#26】北朝鮮で運命の人・健さんと初対面」 — 1995年4月28・29日「平和の祭典」
- 東スポWEB「【北斗晶連載#28】マサ斎藤さんのススメで海外挑戦…WCWベルトを戴冠」 — 1996年12月のWCW世界女子ヘビー級王座
- 東スポWEB「【北斗晶連載#29】妊娠に気づかず試合!日本初のママさんレスラーに」 — 1996年のGAEA参戦表明/出産と復帰
- 東スポWEB「【北斗晶連載#30】同い年の子供持つ友人の通夜の帰り道『辞めよう』と決意した」 — 引退の日付と理由
- 東スポWEB「【北斗晶連載#最終回】鬼嫁の『称号』に感謝」 — 「鬼嫁」の由来/「二度となりません」「北斗晶はあの一代で十分」
- 東スポWEB「【女子レスラー名鑑】北斗晶」 — キャリアの概要/神取戦1勝1敗/WWWAシングル王座との縁
- 東スポWEB「1994年11月20日 女子プロ史上最初で最後の東京ドーム大会」 — 観衆・試合数・大会時間・決勝の時刻と決着・試合後のマイク
- BBMスポーツ(週刊プロレス)「北斗晶がGAEA JAPANで引退試合」 — 2002年4月7日の会場・カード・決着・長与さんへの言葉
- Number Web「北斗晶vs神取忍はなぜ伝説になったのか? ロッシー小川が明かす30年目の真実」 — 試合開始時刻・入場の姿・終電と始末書の逸話
- 日刊スポーツ「【猪木さん死去】北斗晶感謝『私と健介を出逢わせてくれた方』」(2022年10月1日) — 健介さんとの出会い
- デイリースポーツ「北斗晶、乳がん告知以来の苦悶明かす」(2015年9月23日) — 2015年の公表と手術日
- スポニチアネックス「北斗晶『あさチャン』復帰生放送で…」(2017年2月11日) — 2016年11月30日の番組復帰
- ABEMA TIMES「北斗晶『ヒルナンデス』水曜レギュラーに抜擢」 — 2026年4月1日のレギュラー就任
- 健介オフィス公式プロフィール:北斗晶 — 生年月日・出身・引退後の活動
- 北斗晶オフィシャルブログ「そこのけそこのけ鬼嫁が通る」 — 2026年10月1日の更新を確認
- YouTube「北斗晶のYouTube」 — 2026年10月2日時点の登録者数
- YouTube「北斗晶引退試合 2002年4月7日」(GAEAISM公式チャンネル) — 引退試合の映像
- Wikipedia「北斗晶」 — 旧姓・出身地の現在の市名・得意技の一覧・技の開発に関する記述
- Wikipedia「北斗晶 対 神取忍戦」 — 1993年4月2日の決着の形
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