【黒船列伝⑦】テリー・ファンク|引退と復活を繰り返した"テキサスの荒馬"
📖 この記事の目次
※本記事はプロモーションを含みます
「テリー・ファンクって、昔のプロレスでよく流血してた外国人でしょ?」
20代・30代の方なら、名前すら聞いたことがないかもしれません。
カウボーイハットをかぶった、ちょっとくたびれた表情のアメリカ人レスラー。古いプロレス映像の中で、額から血を流しながらも歯を食いしばって立ち上がる——。そんな断片的なイメージしかないかもしれません。
でも、この人はただ血を流していただけの人ではありません。
1970年代後半から80年代前半、日本のプロレス会場で「外国人レスラーなのに、日本人選手より声援を浴びた男」。そう呼べる人物は、プロレスの長い歴史でもほんの数人しかいません。テリー・ファンクは、まぎれもなくその一人でした。
新シリーズ「黒船列伝」の第七弾は、この「テキサスの荒馬」を取り上げます。
「闘魂列伝」が日本のプロレスラーを追うシリーズなら、「黒船列伝」は海の向こうからやってきて日本のリングを揺らした“外敵”たちを追うシリーズです。ところがテリーは、その「外敵」という枠にすら収まりませんでした。敵として来日したのに、いつのまにか日本中の“ヒーロー”になってしまった。そんな不思議な男だったのです。
「プロレスを知らない世代」のあなたに、なぜテリーが今でも語り継がれるのか、丁寧に翻訳してお伝えします。
📋 テリー・ファンク プロフィール
まず基本データから。あなたの親世代にとっては、テレビの中で本当に「愛すべきヒーロー」でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| リングネーム | テリー・ファンク(“テキサスの荒馬” / テキサス・ブロンコ) |
| 本名 | テランス・ディー・ファンク(Terrance Dee Funk) |
| 生年月日 | 1944年6月30日 |
| 没年月日 | 2023年8月23日(79歳) |
| 出身 | アメリカ合衆国(インディアナ州生まれ・テキサス州アマリロ育ち) |
| 家系 | プロレス一家「ファンク一家」の次男(実兄はドリー・ファンク・ジュニア) |
| 日本での主戦場 | 全日本プロレス(兄弟タッグ「ザ・ファンクス」) |
| 代名詞の技 | スピニング・トーホールド(兄弟の代名詞でもある) |
| 主な栄誉 | NWA世界ヘビー級王者(1975年) |
| 後年の顔 | 「ハードコア/デスマッチの神様」として全米で再評価 |
📝 ここがポイント:出身地は「インディアナ州生まれ・テキサス州アマリロ育ち」と書いています。テリーは幼い頃に一家でテキサスへ移り、プロレスの聖地アマリロで育ちました。だからこそ「テキサスの荒馬」「テキサス・ブロンコ」という愛称が、彼の代名詞になっています。彼にとっての“故郷”は、まぎれもなくテキサスでした。
🌱 プロレス一家に生まれた「次男坊」
父も兄も、みんなレスラー
テリー・ファンクは1944年に生まれ、テキサス州アマリロで育ちました。
ファンク家は、アメリカでも有名なプロレス一家です。父のドリー・ファンク・シニアはレスラーであり、地元アマリロのプロレス興行を取り仕切るプロモーター(興行主)でもありました。そして兄のドリー・ファンク・ジュニアも、後に世界王者になる一流レスラーです。
テリーは、その「プロレスを家業とする家」の次男として育ちました。
サラリーマン的に言えば、家業を継ぐ二代目。それも、兄がすでに「優等生のエース」として活躍している中で、弟として後を追う立場でした。普通なら兄の影に隠れてしまいそうなものです。
ところが、テリーはまったく違う形で輝いていきます。
兄は「正統派」、弟は「暴れ馬」
兄ドリーが、端正で技術的な「正統派の世界王者」だったのに対し、弟テリーは感情をむき出しにして、泥くさく、なりふり構わず暴れるスタイルでした。
額が割れて血が流れても、痛みに顔を歪めながらも、最後まで諦めない。きれいに勝つことより、ボロボロになっても向かっていく姿で観客の心をつかむ——。それがテリー・ファンクという男でした。
「テキサスの荒馬(ブロンコ)」という愛称は、まさにこの手のつけられない暴れ馬のような闘い方から来ています。兄弟でこれほど対照的だったからこそ、二人が組んだタッグ「ザ・ファンクス」は、見ていて飽きない名コンビになったのです。
🏆 兄弟そろってNWA世界王者という偉業
テリーを語るうえで外せないのが、NWA世界ヘビー級王座です。
NWAというのは、かつてアメリカのプロレス界で「最も格式の高い世界王座」とされたタイトルだと思ってください。地味でも実力がないと巻けない、いわば“本物の証明”のようなベルトでした。
NWAって何?
NWA(ナショナル・レスリング・アライアンス)は、アメリカ各地のプロレス団体が加盟していた連合組織です。その「世界ヘビー級王者」は、加盟する各地を転戦して防衛戦を行う、プロレス界で最も権威ある称号の一つでした。日本では、馬場や鶴田もこの王座をめぐって戦っています。
テリーは1975年、ジャック・ブリスコという強豪を破り、NWA世界ヘビー級王者になりました。
そして、ここが凄いところです。兄のドリー・ファンク・ジュニアも、それ以前にNWA世界王者を経験していました。つまりファンク兄弟は、兄弟そろって世界王者になったのです。プロレスの歴史でも、ほとんど例のない快挙でした。
正統派の兄も、暴れ馬の弟も、どちらも「本物」だった——。その証明が、この兄弟世界王者という記録です。
🇯🇵 日本との縁|全日本プロレスと「ザ・ファンクス」
テリーと日本の縁は、とても深いものでした。
兄ドリーと組んだ兄弟タッグ「ザ・ファンクス」は、全日本プロレスを主戦場の一つとして、長く日本のファンに愛されました。
最初は「強敵の外国人」として来日したはずでした。1971年には、兄弟でジャイアント馬場&アントニオ猪木を破ってインタータッグ王座を奪うなど、まさに“黒船”そのものの強さを見せています。1972年の全日本プロレス旗揚げシリーズにも参戦しました。
ところが、不思議なことが起きます。
血まみれになっても諦めず、痛みに絶叫しながらも立ち向かっていくテリーの姿に、日本の観客が惚れ込んでいったのです。気づけば会場には「テリー!テリー!」の大合唱。外国人選手でありながら、日本人選手以上の声援を浴びるようになりました。
特に女性ファンからの人気は絶大で、リング下には親衛隊のような熱心なファンが詰めかけたとも伝えられています。
馬場って誰?
ジャイアント馬場は、力道山の弟子で、全日本プロレスを創設した日本プロレス界の大巨人。アントニオ猪木と並んで「昭和プロレスの二大巨頭」と語られる存在です。テリーは、その馬場が育てた全日本のリングで“もう一人の主役”になりました。馬場とテリーの間には、選手と興行主という枠を超えた深い信頼があったと言われています。
🥊 伝説の名勝負|「血と涙のテキサス魂」
テリーの試合は、いつも観客の感情を激しく揺さぶりました。
ここでは、日本で特に語り継がれる二つの場面を紹介します。
①【1977年12月】世界オープンタッグ選手権(vs ブッチャー&シーク)
日本のプロレスファンにとって、テリーの名を不滅にしたのがこの一戦です。
1977年12月、全日本プロレスの「世界オープンタッグ選手権」。決勝で、ザ・ファンクス(テリー&ドリー兄弟)が立ち向かった相手は、当時“史上最凶”と恐れられたアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの極悪コンビでした。
この試合で、テリーはブッチャーらの凶器(フォーク)攻撃を受け、腕から血を流します。痛みに絶叫し、悲鳴をあげながら——それでも彼は逃げませんでした。歯を食いしばり、傷だらけの体で真っ向から反撃していく。
その姿は「テキサス魂」と呼ばれ、男女を問わず日本中のファンを熱狂させました。「敵のはずの外国人に、こんなに泣かされるとは」——当時を知る人は、今もそう振り返ります。
このときの抗争相手アブドーラ・ザ・ブッチャーについては、【黒船列伝⑤】アブドーラ・ザ・ブッチャーの記事で詳しく書いています。あわせて読むと、この死闘の凄みがより伝わるはずです。
②【1983年8月31日】涙の引退試合(蔵前国技館)
そして——日本のプロレス史に残る「最も泣けた一日」がこれです。
1983年8月31日、東京・蔵前国技館。テリー・ファンクは、ここで引退試合を行いました。
「テリー・ファンクさよならシリーズ」と銘打って全国を回り、その最終戦。満員の会場には、彼との別れを惜しむファンが全国から詰めかけました。ザ・ファンクスが、スタン・ハンセン&テリー・ゴディ組と対戦。試合の最後、テリーはコーナー最上段から飛びついて相手を丸め込み、有終の美を飾ったと伝えられています。
会場は、涙と絶叫に包まれました。リングに花束やテープが乱れ飛び、多くのファンが泣きながら「テリー」の名を叫んだ——。外国人レスラーの引退で、これほど日本中が泣いた例は、ほかにありません。
📝 補足:実はテリーは、この後に現役を続けることになります。一度引退してまた戻ってくる——それも彼の物語の一部でした(次の章で触れます)。それでもこの1983年・蔵前の引退セレモニーは、「日本のプロレス史で最も感動的な瞬間の一つ」として、今も語り継がれています。
📺 動画で観る(公式)
📺 テリー・ファンク 試合・プロモ集(WWE公式アーカイブ(WWE Vault))
🤠 「引退詐欺」と言われても|生涯現役を貫いた鉄人
ここはテリーを語るうえで、欠かせない章です。
テリー・ファンクは、その後も何度も「引退」と「復帰」を繰り返しました。1983年に涙の引退をしたはずなのに、また戻ってくる。引退してはまた現れる——。
人によっては、これを「引退詐欺」と冗談まじりに呼ぶこともあります。でも、それは裏を返せば、彼が体の続く限りリングに立ち続けたかったということでもあります。
そして、ここからのテリーは、まったく新しい顔を見せます。
1990年代、アメリカでECWという、過激で荒々しいスタイルのプロレス団体が登場しました。有刺鉄線、椅子、火——なんでもありの「ハードコア/デスマッチ」と呼ばれる、体を極限まで張る闘いです。
50歳を超えたテリーは、そのど真ん中に飛び込んでいきました。若い選手でも怯むような過激な試合を、白髪まじりの大ベテランが平然とこなす。そんな姿が「ハードコアの神様(Hardcore Legend)」として、新しい世代のファンから熱烈に再評価されたのです。
50歳を過ぎてから、空中技のムーンサルトプレスを使い始めたという逸話まであります。普通なら現役を退いている年齢で、彼はまだ進化しようとしていました。
WWE(当時WWF)に「チェーンソー・チャーリー」という別キャラで登場した時期もあり、後の世代のハードコア系レスラーたちに計り知れない影響を与えました。
私は、ここを面白おかしく書くつもりはありません。
「何度も引退する人」と笑うのは簡単です。でも、痛みも年齢も超えて、最後の最後までリングに立ち続けたその姿勢こそが、テリー・ファンクという男の本質でした。70歳を超えてもなお、ファンの前に立ち続けた——。その生涯に、ただ静かに敬意を表したいと思います。
💼 サラリーマンがテリー・ファンクから学ぶ3つの教訓
破天荒な荒馬の人生にも、現代のサラリーマンに刺さる教訓が詰まっています。
教訓①:「勝ち負けより、向かっていく姿」が人を動かす
テリーが日本中を熱狂させたのは、強さでも、きれいな勝利でもありませんでした。血まみれになっても諦めず、向かっていく姿そのものでした。
サラリーマンの世界でも、これは本質を突いています。スマートに成果を出す人ももちろん評価されます。でも、本当に人の心を動かすのは、うまくいかない時でも逃げずに食らいついている姿だったりします。
完璧なプレゼンより、汗をかいて何度も向かっていく営業のほうが、最後はお客さんに信頼される。テリーの「テキサス魂」は、そのことを教えてくれます。
「この件ならあの人」と名前が浮かぶ自分になる第一歩は、自分にしかない武器を持つこと。ココナラで自分のスキルを売ってみる、ブログを書く、SNSで発信する——どれも「自分にしかない一点」を世の中に試す挑戦です。
教訓②:「二代目・次男坊」でも、自分の色で勝てる
テリーは、有名な兄を持つ「次男坊」でした。兄は正統派のエリート世界王者。普通なら、その影に隠れてしまいます。
でもテリーは、兄と同じ土俵で勝負しませんでした。兄が正統派なら、自分は暴れ馬。まったく違う自分の色で、兄とは別の輝き方をしたのです。結果、兄弟そろって世界王者になりました。
サラリーマンに翻訳すれば、「先輩や上司と同じやり方で勝とうとしない」こと。優秀な人と同じ土俵で戦うと、どうしても見劣りします。でも、自分にしかない持ち味を見つければ、別の評価軸で輝けます。
二番手でも、次に来た人でも、戦い方は選べる。テリーの生き方は、そう教えてくれます。
教訓③:「体が資本」を、本気で受け止める
テリーは、痛みも年齢も超えてリングに立ち続けた「鉄人」でした。だからこそ、その人生は私たちに一つの厳しい事実も突きつけます。どんな鉄人も、体という土台の上に立っているということです。
サラリーマンも同じです。どれだけ気力があっても、健康を損なえば、すべてが止まります。健康は、いちばん地味で、いちばん大事な資産です。
そして、健康と並んで人生を支えるもう一つの土台が「お金の備え」。体が動くうちに蓄えをつくっておけば、いざという時に無理をしすぎずに済みます。
ウッシのおすすめは、現役のうちにコツコツ資産形成。新NISAはサラリーマンが使える心強い制度です。
松井証券なら、手数料無料・スマホ完結で新NISA口座が作れます。
⚠️ 投資リスク注意:投資には元本割れリスクがあります。少額から、長期分散投資が基本。生活防衛資金を確保した上で、無理のない範囲で始めてください。
📺 テリー・ファンクの試合を「今」観る方法
テリーの試合や名場面を観たくなった方のための視聴ガイド。
| サービス | 月額 | テリー関連 | おすすめ度 |
|---|---|---|---|
| YouTube(公式) | 無料 | オープンタッグの流血戦・蔵前の引退試合など名場面多数 | ⭐⭐⭐⭐⭐ |
| ABEMA | 1,180円(プレミアム) | プロレス関連番組・現代の主要興行を生中継 | ⭐⭐⭐⭐ |
| 新日本プロレスワールド | 1,298円〜 | 日本マットのアーカイブ(昭和の名勝負含む) | ⭐⭐⭐⭐ |
まずはYouTubeで1983年・蔵前国技館の引退試合の映像を探してみてください。会場全体が涙に包まれていく光景を見れば、なぜ「外国人なのに日本中が泣いた」のかが、一瞬で伝わります。そこから「昔のプロレスってこんなに熱かったのか」と気づいたら、有料サービスで深掘りしていくのがおすすめです。
詳しい配信比較はプロレスはどこで観る?DAZN・ABEMA・新日本ワールドを徹底比較もご参考にどうぞ。
❓ テリー・ファンクに関するよくある質問
Q1. テリー・ファンクは何が凄かったの?
A. 「敵として来日した外国人なのに、日本人選手以上の声援を浴びた」ことです。強さや勝ち負けの前に、血まみれになっても諦めず向かっていく姿で観客の心をつかみました。これほど日本のファンに愛された外国人レスラーは、ほとんどいません。
Q2. ドリー・ファンク・ジュニアとはどういう関係?
A. 実の兄弟です。兄ドリー・ファンク・ジュニアは正統派の世界王者、弟テリーは暴れ馬タイプ。対照的な二人が組んだタッグ「ザ・ファンクス」は名コンビでした。そして兄弟そろってNWA世界ヘビー級王者になった、プロレス史でも珍しい家系です。
Q3. テリーは日本でどれくらい人気だったの?
A. 絶大でした。特に1977年の世界オープンタッグでブッチャー&シークと戦った流血の死闘や、1983年・蔵前国技館での涙の引退試合は、日本のプロレス史に残る名場面です。リング下には親衛隊のような熱心なファンが詰めかけたとも言われます。
Q4. 何度も「引退」したって本当?
A. 本当です。1983年に蔵前で涙の引退をしながら、その後も復帰しました。引退と復帰を何度も繰り返したことで知られます。それは裏を返せば、体の続く限りリングに立ち続けたいという思いの表れでもありました。晩年は「ハードコア/デスマッチの神様」として、新しい世代からも再評価されています。
Q5. テリーはいつ亡くなったの?
A. 2023年8月23日、79歳で世を去りました。WWEが公式に訃報を発表しています。引退と復帰を繰り返しながら、長年にわたってリングに立ち続けた「生涯現役の鉄人」でした。その訃報には、日本でも多くのファンから惜しむ声が寄せられました。
📝 まとめ:テリー・ファンクは「愛された荒馬」
- ✅ 本名テランス・ディー・ファンク。1944年生まれ、テキサス州アマリロ育ち
- ✅ プロレス一家「ファンク一家」の次男(兄はドリー・ファンク・ジュニア)
- ✅ 1975年、ジャック・ブリスコを破りNWA世界ヘビー級王者に
- ✅ 兄ドリーと「兄弟そろって世界王者」というプロレス史に残る偉業
- ✅ 兄弟タッグ「ザ・ファンクス」で全日本プロレスの大スターに
- ✅ 1977年・世界オープンタッグでブッチャー&シークと流血の死闘(テキサス魂)
- ✅ 1983年・蔵前国技館の涙の引退試合は日本プロレス史に残る名場面
- ✅ 晩年はECWなどで「ハードコア/デスマッチの神様」として再評価
- ✅ 引退と復帰を繰り返し、生涯現役を貫いた鉄人
- ✅ 2023年8月23日逝去(79歳)
テリー・ファンクは、ただ血を流していた人ではありません。「敵として来たのに、いつのまにか日本のヒーローになってしまった」——。プロレスの長い歴史でも、これほど不思議で、これほど愛された外国人レスラーは数えるほどしかいません。
勝ち負けではなく、最後まで向かっていく姿で人の心を動かす。テキサスの荒馬が残したものは、リングを離れても色あせない、一つの生き方そのものでした。
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📚 参考・出典
本記事は、以下の公式サイト・報道などを参考に作成しています(2026年6月時点)。
- Wikipedia「テリー・ファンク」 — 生涯・本名・経歴・没年
- WWE公式サイト — 殿堂入り・訃報
- 全日本プロレス公式サイト — 来日・ザ・ファンクスの活動
- Number Web — 1983年引退試合・名勝負解説
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⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。
📺 黒船列伝シリーズ 第7回
第七弾は、敵として来日しながら日本中に愛された「テキサスの荒馬」テリー・ファンクでした。次回もまた、海の向こうから日本のリングを揺らしにきた次なる黒船を取り上げる予定です。誰が登場するかは、どうぞお楽しみに。
それでは、また次回。営業部長のウッシでした。マイペースにいきましょう!🐄