【黒船列伝⑪】プリンス・デヴィット|BULLET CLUBを生み、フィン・ベイラーになった男
※本記事はプロモーションを含みます
「プリンス・デヴィットって、聞いたことはあるけど結局なにがすごい人なの?」
20代・30代の方なら、そう感じるかもしれません。
いまWWEで「フィン・ベイラー」として活躍している、顔と体に鬼神のようなボディペイントを施して入場してくる選手——。その人が、かつて日本のリングで「プリンス・デヴィット」と名乗っていた、と言われてもピンと来ないかもしれません。
でも、彼を一言で表すなら、こうです。
「新日本プロレスの“ある時代”を、まるごと作り変えた男」。
いまや世界中に名前が知られる伝説のユニット「BULLET CLUB(バレットクラブ)」。あれをゼロから作り、初代リーダーを務めたのが、このプリンス・デヴィット選手でした。
「闘魂列伝」が日本のレスラーを追うシリーズなら、「黒船列伝」は海の向こうからやってきて日本のリングを揺らした“外敵”たちを追うシリーズです。
これまでこのシリーズは、昭和に来日した巨人や怪人を中心に取り上げてきました。でも今回の主役は、平成から令和にかけて活躍する“現代の黒船”。
アイルランドという小さな島国から海を渡り、日本のプロレスの景色を変えてしまった一人の青年です。
「プロレスを知らない世代」のあなたに、なぜプリンス・デヴィット選手がこれほど語られるのか、丁寧に翻訳してお伝えします。
- どんな選手か:アイルランド出身で、新日本プロレスのジュニアヘビー級で活躍した空中の名手です。田口隆祐との「Apollo 55」でジュニアタッグの顔になりました
- 代表の技:腕を抱えて突き刺す変型DDT「ブラッディ・サンデー」と、最上段から両足で踏み抜く「クー・デ・グラ」です
- 代表の出来事:2013年に相棒の田口隆祐を裏切り、BULLET CLUBを作って初代リーダーになりました
- いま:2014年にWWEへ移り「フィン・ベイラー」として戦っています。2016年に初代ユニバーサル王者になりました(負傷で翌日返上)
📋 プリンス・デヴィット選手 プロフィール
まず基本データから。新日本プロレスを観ていた人にとっては、間違いなく「時代を作った外国人」の一人です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| リングネーム | プリンス・デヴィット(現:フィン・ベイラー/Finn Bálor) |
| 本名 | ファーガル・デヴィット(Fergal Devitt) |
| 生年月日 | 1981年7月25日 |
| 出身 | アイルランド・ブレイ |
| デビュー | 2000年代初頭(イギリス・アイルランドのマット) |
| 日本での主戦場 | 新日本プロレス(ジュニアヘビー級) |
| 名タッグ | Apollo 55(田口隆祐とのコンビ) |
| 最大の功績 | 2013年、BULLET CLUB(バレットクラブ)を創設・初代リーダー |
| 現在 | WWE所属。リングネーム「フィン・ベイラー」 |
| 主な栄誉 | NXT王者(歴代最長級の政権)/初代WWEユニバーサル王者 |
📝 ここがポイント:彼には「プリンス・デヴィット」(新日本時代)と「フィン・ベイラー」(WWE時代)という、二つの名前があります。同じ一人の選手です。この記事では、新日本時代を中心に「プリンス・デヴィット」と呼びつつ、必要に応じて現在の名前にも触れていきます。
新日本ジュニアを席巻した"リアル・ロックスター"時代のデヴィット。現WWEフィン・ベイラーの原点がここに。
☘️ アイルランドの島から、日本のリングへ
海を渡ってきた、ひとりの空中の名手
プリンス・デヴィット選手は、1981年7月25日、アイルランドのブレイという街で生まれました。本名はファーガル・デヴィットといいます。
アイルランドは、プロレスが盛んな国とは言えません。それでも若きデヴィット選手は、海を渡ってイギリスで腕を磨き、やがて日本のプロレス——新日本プロレスにたどり着きます。
ここが、彼の物語の本当のスタート地点でした。
新日本で彼が戦った舞台は、ジュニアヘビー級。体重の軽い選手たちが、スピードと空中殺法で観客を沸かせる階級です。
重さで押すヘビー級とはまったく違う、“動き”そのものが武器になる世界。
デヴィット選手は、ここで一気に頭角を現します。跳び、回り、宙を舞う——その身のこなしは、当時の新日本ジュニアの中でも群を抜いていたと評されました。
サラリーマン的に言えば、畑違いの業界から中途で入ってきて、いきなり花形部署のエースになった転職組。そんな鮮烈な登場でした。
「Apollo 55」|田口隆祐との黄金タッグ
デヴィット選手の新日本時代を語るうえで欠かせないのが、日本の人気選手田口隆祐(たぐち・りゅうすけ)とのタッグチーム「Apollo 55(アポロ・フィフティファイブ)」です。
2009年に結成されたこのコンビは、IWGPジュニアタッグ王座を争う常連となり、新日本ジュニアタッグの“顔”として長く活躍しました。
スピードと連携、息の合った合体技——。Apollo 55は、ジュニアタッグという階級そのものの人気を引っ張る存在になっていきます。
田口隆祐って誰?
田口隆祐は、新日本プロレスのジュニアヘビー級を長く支えてきた人気選手。明るいキャラクターと確かな実力を併せ持ち、後進の育成にも携わる“ジュニアの兄貴分”的存在です。そんな日本の人気者と組んでいた——という事実だけでも、当時のデヴィット選手の立ち位置の高さが伝わるはずです。
🏆 新日本ジュニアの頂点へ|IWGPジュニア王者
タッグで結果を出したデヴィット選手は、シングルでも頂点を極めていきます。
新日本ジュニアの最高峰のベルト「IWGPジュニアヘビー級王座」を複数回戴冠。さらにジュニア選手の登竜門にして最高峰のトーナメント「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」も制しています。
特に語り草になっているのが、2013年のスーパージュニア優勝。このとき彼は、リーグ戦を全勝で駆け抜けるという快挙を成し遂げました。
12年ぶりとなる全勝優勝だったと伝えられています。
ただ速い、ただ華やか——というだけの選手ではありませんでした。勝負どころで結果を出し、ベルトを巻く。
デヴィット選手は、ジュニアという階級の中で、文句なしの「主役」の座を勝ち取っていたのです。
📝 補足:プロレスの「タイトル戴冠歴」は、年・相手・回数が資料によって細かく異なる場合があります。本記事では「IWGPジュニアヘビー級王座を複数回/IWGPジュニアタッグ王座を複数回」という確実な事実をベースに記しています。技や戦績の細部が気になる方は、プロレス技 一覧【図解】もあわせてどうぞ。
💥 2013年、BULLET CLUB誕生|“裏切り”が時代を変えた
そして——プリンス・デヴィット選手の名前を、歴史に刻んだ瞬間がやってきます。
2013年。デヴィットは、長年の相棒だった田口隆祐を裏切り、突如として“悪の側”に回ります。いわゆるヒールターン(善玉から悪玉への転向)です。
このとき彼が結成したのが、いまや世界的に知られる外国人ユニット「BULLET CLUB(バレットクラブ)」でした。
仲間とともに、新日本の人気選手たちに容赦なく襲いかかる——。それまで「爽やかな空中の名手」だったデヴィット選手が、冷酷で不敵な“悪のボス”へと姿を変えた。
このギャップが、観客に強烈な衝撃を与えました。
BULLET CLUBは、ここから新日本プロレスの一大ムーブメントへと膨れ上がっていきます。
デヴィット選手が去ったあとも、AJスタイルズ、ケニー・オメガといった世界的スターたちが次々とリーダーを引き継ぎ、ユニットはどんどん巨大化。Tシャツなどのグッズは世界中で売れ、「BULLET CLUB」のロゴは、プロレスを飛び越えて一つの“ブランド”にまでなりました。
そのすべての出発点に立っていたのが、プリンス・デヴィット選手だったのです。
📝 ここがすごい:一人の選手が作ったユニットが、本人の移籍を超えて10年以上も受け継がれ、世界規模のブランドに育つ——。これはプロレス史でも極めて珍しいことです。デヴィット選手は「強い選手」であると同時に、「時代を生み出した発明家」でもありました。BULLET CLUBを巨大化させた立役者についてはケニー・オメガとは?オカダ戦6つ星と現在のAEWで詳しく書いています。
📺 動画で観る(公式)
📺 フィン・ベイラー(元デヴィット) vs サモア・ジョー(WWE NXT公式)
✈️ そして海を渡る|WWE「フィン・ベイラー」へ
新日本でBULLET CLUBという“伝説”を作り上げたデヴィット選手は、2014年、さらに大きな海へと漕ぎ出します。
行き先は、世界最大のプロレス団体WWE(アメリカ)。
ここで彼は名前を変えます。新たなリングネームは——「フィン・ベイラー(Finn Bálor)」。
WWEでのフィン・ベイラーは、すぐに大きな足跡を残します。
WWEの育成ブランド「NXT」では、その頂点であるNXT王座を戴冠し、しかも当時の歴代最長クラスの長期政権を築いたと言われています。そして2016年、ついにWWEのトップ戦線へ。
新設された大ベルト「WWEユニバーサル王座」をめぐる戦いで、強豪セス・ロリンズを撃破し、栄えある“初代王者”に輝いたのです。
📝 切ない後日談:しかし、この初代ユニバーサル王座戴冠には、胸が締めつけられる続きがあります。デヴィット選手(ベイラー)は、この王座を獲った試合で肩を負傷。そのため翌日、ベルトを返上せざるを得ませんでした。手にした最高の栄誉を、ほぼ同時に手放す——。プロレスの厳しさと無常を、これほど象徴する出来事もありません。彼はその後、長いリハビリを経てリングに帰ってきました。
☘️ 風貌を「言葉」で|鬼神を背負う男
ここで、デヴィット選手(ベイラー)の見た目について少し。写真は載せませんが、言葉で描いてみます。
新日本時代の彼は、無駄をそぎ落とした、しなやかで引き締まった肉体の持ち主でした。重量級のように「重さ」で圧倒するのではなく、跳ね、回り、宙を舞う——“動き”そのものが美しい選手です。
そしてWWEのフィン・ベイラーになってからは、特別な大舞台で顔と体に鬼神「デーモン」を思わせるボディペイントを施し、別人のような形相で入場することで知られるようになりました。
普段はクールで物静か。けれどリングに上がれば、内側からひりつくような闘気がにじみ出る——。
静と動の落差こそが、この選手の最大の魅力なのだと、私は思っています。
💼 サラリーマンがプリンス・デヴィット選手から学ぶ3つの教訓
華やかな空中の名手の人生にも、現代のサラリーマンに刺さる教訓が詰まっています。
教訓①:「自分の手で、新しい仕組みを作る」
デヴィット選手の最大の功績は、強さでもベルトの数でもなく、「BULLET CLUBという仕組みをゼロから作った」ことだと私は思います。
しかも、その仕組みは本人が去ったあとも受け継がれ、世界的ブランドに育ちました。自分一人の成果ではなく、“あとに残る箱”を作ったわけです。
サラリーマンの世界でも、これは本質を突いています。目の前の数字を上げる人より、「仕組み・チーム・ブランドを残す人」のほうが、結局はずっと大きな価値を生みます。
ココナラで自分のスキルを“商品”という形にしてみる、ブログという“箱”を作る、SNSで発信の仕組みを持つ——どれも「自分が動かなくても回るもの」を作る第一歩です。
教訓②:「慣れた場所を、自分から飛び出す」
デヴィット選手は、新日本でジュニアの頂点を極め、自ら作ったBULLET CLUBの人気が絶頂のさなかに、あえてWWEという未知の海へ飛び込みました。
居心地のいい場所に留まれば、まだまだ稼げたはずです。それでも彼は、より大きな舞台でゼロから挑戦する道を選びました。
サラリーマンに翻訳すれば、「成功している今こそ、次の挑戦を考える」こと。同じ部署、同じやり方で安泰に見えても、世界は動き続けます。
一番うまくいっている時に、次の海を見ておく人は、長い目で見て強い。
教訓③:「栄光のあとにも、人生は続く」
デヴィット選手は、初代ユニバーサル王座という最高の栄誉を、負傷でほぼ同時に手放しました。手にした頂点を、すぐに失う——。
これ以上ない挫折です。
それでも彼は、長いリハビリを乗り越えて、ふたたびリングに帰ってきました。一度の栄光や一度の挫折で、人生は終わらない。
サラリーマンも同じです。大きな成功も、痛い失敗も、長いキャリアの中の“一場面”にすぎません。
大事なのは、何があっても立て直せる土台を持っておくこと。
📺 プリンス・デヴィット選手の試合を「今」観る方法
デヴィット選手(フィン・ベイラー)の試合や名場面を観たくなった方のための視聴ガイド。
| サービス | 月額 | デヴィット関連 | おすすめ度 |
|---|---|---|---|
| YouTube(公式) | 無料 | BULLET CLUB結成シーン・名勝負ハイライト多数 | ⭐⭐⭐⭐⭐ |
| ABEMA | 1,180円(プレミアム) | プロレス関連番組・現代の主要興行を生中継 | ⭐⭐⭐⭐ |
| 新日本プロレスワールド | 1,298円〜 | 新日本時代のデヴィットの試合アーカイブ | ⭐⭐⭐⭐⭐ |
まずはYouTubeで「BULLET CLUB結成」の場面を観てください。爽やかだった選手が、相棒を裏切って悪のボスに豹変する——その瞬間の会場のどよめきだけで、なぜこれが伝説の始まりなのかが体で伝わります。
新日本時代の試合をじっくり観たいなら、新日本プロレスワールドが最適です。
詳しい配信比較はプロレスはどこで観る?DAZN・ABEMA・新日本ワールドを徹底比較もご参考にどうぞ。
❓ プリンス・デヴィット選手に関するよくある質問
Q1. プリンス・デヴィットとフィン・ベイラーは同じ人?
A. はい、同じ一人の選手です。「プリンス・デヴィット」は新日本プロレス時代のリングネーム、「フィン・ベイラー(Finn Bálor)」は2014年に移籍したWWE時代のリングネームです。本名はファーガル・デヴィット、アイルランド出身です。
Q2. プリンス・デヴィットの一番の功績は?
A. 2013年に伝説のユニット「BULLET CLUB(バレットクラブ)」を創設し、その初代リーダーを務めたことです。このユニットは、後にAJスタイルズやケニー・オメガらに受け継がれ、世界的なブランドにまで成長しました。その出発点を作ったのがデヴィット選手です。
Q3. 必殺技は何?
A. 相手の腕を抱え込んで突き刺す変型DDT「ブラッディ・サンデー(Bloody Sunday)」と、コーナー最上段から両足で相手を踏み抜く「クー・デ・グラ(Coup de Grâce/とどめの一撃の意)」が代表的な必殺技とされています。クー・デ・グラはダイビング・ダブルフットスタンプとも呼ばれます。
Q4. 田口隆祐との「Apollo 55」って何?
A. デヴィット選手と日本の人気選手・田口隆祐が2009年に結成したタッグチームです。新日本のジュニアタッグ戦線で長く活躍し、IWGPジュニアタッグ王座を争う常連となりました。後にデヴィット選手がこの相棒を裏切ってBULLET CLUBを結成したことが、大きな転機になりました。
Q5. 今はどこで戦っているの?
A. 現在はWWEで「フィン・ベイラー」として活躍しています。WWEでは育成ブランドNXTの王者(歴代最長クラスの長期政権)となり、2016年には初代WWEユニバーサル王座にも輝きました(※負傷により翌日返上)。長いリハビリを経てリングに復帰し、現在も第一線で戦い続けています。
📝 まとめ:プリンス・デヴィット選手は「時代を作った平成の黒船」
- ✅ 本名ファーガル・デヴィット。1981年、アイルランド・ブレイ生まれ
- ✅ 新日本ジュニアで田口隆祐との「Apollo 55」を組み、IWGPジュニアヘビー級王座も複数回巻いた
- ✅ 2013年、田口隆祐を裏切ってBULLET CLUB(バレットクラブ)を創設・初代リーダー
- ✅ 必殺技はブラッディ・サンデー&クー・デ・グラ
- ✅ 2014年にWWEへ移り「フィン・ベイラー」に。2016年に初代ユニバーサル王者(負傷で翌日返上)
プリンス・デヴィット選手は、ただ強かった選手ではありません。自分の手で“仕組み”を作り、それを世界的なブランドへと育てる種を蒔いた——いわば「発明家」のような外国人レスラーでした。
アイルランドという小さな島から海を渡り、日本のプロレスの景色を変え、さらに世界へと飛び出していった。昭和の黒船が「巨体」や「怪奇」で日本を揺らしたとすれば、デヴィット選手は“アイデア”と“ブランド”で日本のリングを変えた、平成の黒船だと私は思います。
📺 新日本プロレスの試合を観てみたい人へ:テレビ・配信でどこが観られるかはプロレス配信サービス比較、会場で観るならプロレス観戦が初めてでも大丈夫(観戦ガイド)にまとめています。
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📚 参考・出典(4件)
本記事は、以下の公式サイト・報道などを参考に作成しています(2026年6月時点)。
- Wikipedia「Finn Bálor」(英語版) — 本名・生年・経歴・戴冠歴・必殺技
- Wikipedia「フィン・ベイラー」(日本語版) — 新日本時代・必殺技・ユニバーサル王座
- 新日本プロレス公式サイト — IWGPジュニア戴冠・田口隆祐との関係
- WWE公式サイト — 初代ユニバーサル王座・SummerSlam 2016・負傷返上
記載内容に明らかな誤りがあれば、お問い合わせフォームよりご指摘ください。
⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。
📺 黒船列伝シリーズ 第11回
第11回は、海を越えて新日本を変えた“平成の黒船”プリンス・デヴィット選手でした。次回は、また別の次なる黒船——海の向こうから日本のリングを揺らしにきた“外敵”を取り上げる予定です。誰が登場するかは、どうぞお楽しみに。
それでは、また次回。営業部長のウッシでした。マイペースにいきましょう!🐄
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