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打ち上げで会った、いちばん優しかった巨人|北村克哉さんに教わったひとつのこと
— 観戦ガイド —

打ち上げで会った、いちばん優しかった巨人|北村克哉さんに教わったひとつのこと

USSIBLOG

リングの上で見た選手のことは、たくさん書いてきました。

でも今日書くのは、リングの外で一度だけ言葉を交わした人のことです。しかも、その人はもう、この世にいません。

ずっと胸の奥にしまっていました。書いていいものか、何度も迷いました。でも、教わったことをちゃんと続けている今だからこそ、感謝を言葉にしておきたい。そう思って、静かに書きます。観戦歴30年の営業部長ウッシです。

新日本プロレスに、北村克哉さんという選手がいました。

あの夜、いちばん体の大きい人がいた

以前、新日本プロレスの打ち上げに参加させてもらった夜のことを書きました。ひょんなご縁で一度だけ、興行後の席に同席させてもらえた、僕のプロレス人生でも指折りの宝物の記憶です。

その席に、ひときわ体の大きな若い選手がいました。それが北村さんでした。

正直に書きます。テレビや会場で選手の肉体は何度も見てきたつもりでした。それでも、間近で見た北村さんの体は、それまで見てきた「すごい体」とは、まるで種類が違ったんです。

服の上からでも、厚みが別物だと分かる。腕も、肩も、背中も、「盛り上がっている」なんて言葉では足りない。彫刻みたいに、そこに筋肉が積み上がっている。ああ、本物の肉体というのはこういうものなのか、と気圧されました。“マッスル・モンスター”と呼ばれていたのも、あとで知って深く納得したものです。

ところが、です。

その規格外の体から想像していた印象と、実際に言葉を交わしたときの北村さんは、まるで違いました。物腰が、驚くほど柔らかいんです。威圧感がまるでない。にこにこと穏やかで、こちらが恐縮してしまうくらい、丁寧に接してくれる。

体はいちばん大きいのに、その場でいちばん優しい。あの不思議なギャップを、僕は今でもはっきり覚えています。

その席には、キャリアを重ねたベテランの選手が何人もいました。テレビや会場で長く見てきた、名前を挙げれば誰もが知る人たちです。そんな先輩たちに囲まれて、まだ若手だった北村さんは、決して出しゃばらず、それでいて隅で小さくなるでもなく、ちょうどいい距離で、穏やかにその場にいました。あれだけの体を持ちながら、振る舞いに力みがない。強い人ほど、自分の強さをやたらと誇示しないものだと言いますが、それを地でいくような人でした。

「どうやったら、そんなに筋肉がつくんですか」

その頃の僕は、30代のはじめ。デスクワークと営業車の移動ばかりで、体が年々なまっていくのを感じていた、ごく普通のサラリーマンでした。

目の前に、人生で見たこともない肉体を持った人がいる。しかも、こんなに話しやすい空気をまとっている。プロレスファンとして、そして自分の体が気になっていた一人の男として——僕は勇気を出して、思い切り不躾な質問をしました。

「どうやったら、そんなに筋肉がつくんですか?」

今思えば、素人が本物のアスリートに向けるには、あまりに雑で、あまりに図々しい質問です。あしらわれても文句は言えなかった。

でも北村さんは、嫌な顔ひとつしませんでした。少し照れたように笑って、素人の僕にも分かる言葉で、こう教えてくれたんです。

「筋トレするなら、各部位ごとに日を決めてやったほうが効果が出るよ」

たった一言でした。

当時の僕は、正直「へえ、プロはそうやるのか」くらいの受け止めでした。専門的な話だと身構えて、半分は聞き流していたかもしれません。

でも、この一言が、後々になって、じわじわと効いてくることになります。

レスリングの猛者が、鳴り物入りでリングへ

ここで、北村さんがどんな道を歩いてきた人なのか、あらためて記しておきたいと思います。にわか知識ではなく、敬意を込めて。

北村克哉さんは、1985年12月14日、東京都杉並区の生まれ。プロレスに来る前は、アマチュアレスリングの猛者でした。

グレコローマンスタイルの96kg級で、全日本選手権を2008年から2010年まで三連覇。世界選手権にも3度出場し、日本代表としてアジアの舞台にも立った選手です。国内トップクラスの実力者だったことは、この戦績が物語っています。

現役引退後は、ケビン山崎さんのトレーニングジムでパーソナルトレーナーを務めていた時期もありました。あの体は、遺伝でも偶然でもなく、レスリングとトレーニングに人生を捧げてきた歳月そのものだったわけです。

そして2015年、格闘技イベント「巌流島」でのデビュー戦で勝利を収めると、その規格外の素材を新日本プロレスに見出されます。2016年1月に入団を発表。「新日本を変えるかもしれない大器」として、大きな期待を背負ってプロレスの世界へ入ってきました。

デビューは2017年3月13日。そして同じ年、新日本の若手の登竜門であるヤングライオン杯を優勝してみせます。デビューしたての選手が、若手の頂点に立った。期待は、確信に変わりつつありました。

ここは、プロレスをあまり知らない人にも伝えたいところです。アマチュアレスリングとプロレスは、同じ「レスリング」の名を持ちながら、まるで別の競技です。片方はポイントを奪い合い、勝ち負けを明確に決める世界。もう片方は、観客の心を動かし、物語を体で表現する世界。ルールも、求められるものも、まったく違う。

その国内トップクラスの実績を築いた30歳の男が、ゼロからプロレスラーとして出直す。積み上げた栄光をいったん脇に置いて、まったく別の山を登り直す。その決断がどれほどの勇気を必要とするものか、少し想像するだけで胸が熱くなります。北村さんは、安全な場所に留まらず、新しい山に挑んだ人でした。

未完の、しかし確かな大器

ここから先の道は、しかし、平坦ではありませんでした。

期待の大きさゆえに「未完の大器」と呼ばれることもあった北村さんは、2018年に入ると長期欠場を余儀なくされます。そして2019年1月31日をもって、新日本プロレスを退団しました。新日本の公式発表によれば、理由は練習中の怪我によるものでした。

退団のとき、北村さんは「道を見つけて再び立ち上がり、邁進したい」という趣旨の言葉を残しています。

僕は、彼の全盛期を語れるほどのファンではありません。会場でそのファイトを追い続けたわけでもない。だからこそ、外野が軽々しく「もっとやれたはずだ」なんて言うのは違うと思っています。

ただ、ひとつだけ確かなことがあります。あの夜、目の前で言葉を交わした北村さんは、間違いなく本物の体と、本物の優しさを持った人だった。戦績や肩書きとは別のところで、僕はそれを直接この目で見て、この耳で聞いた。それは誰にも書き換えられない、確かな事実です。

大器だったかどうかは、記録が決めることかもしれません。でも、いい人だったかどうかは、会った人間が決めていい。僕にとっての北村克哉さんは、打ち上げで会った、いちばん体が大きくて、いちばん優しかった人です。

2022年、あまりにも早い別れ

北村さんは、2022年の秋に、旅立たれました。

まだ、あまりにも若かった。

その報せを知ったとき、僕はしばらく言葉を失いました。あの夜、にこにこと質問に答えてくれた、あの大きな背中を思い出して。

詳しいことは、ここには書きません。書く必要もないと思っています。僕が伝えられるのは、報道の中の出来事ではなく、あの席で確かに交わした、あたたかいやりとりの記憶だけです。

亡くなった方について、僕が語れる資格はほんの少ししかない。たった一度、言葉を交わしただけの間柄です。それでも、その一度が、僕の中では今も鮮明に光っている。人の記憶というのは、時間の長さでは測れないものなんだと、しみじみ思います。

教えは、いまも僕の部屋で生きている

あの夜から、何年もの時が流れました。

僕は今、39歳。あの頃より少しだけ体を絞り、家で細々と宅トレを続けています。晩酌をやめたのが大きくて、12kgほど体重が落ちました。派手なジム通いでも、高価な器具でもない。自宅で、自分の体重だけを使った、地味なトレーニングです。

その宅トレのメニューを組むとき、僕はいつも、あの夜の一言を思い出します。

今日は胸。数日おいて、次は脚。またしばらくして、背中。
各部位ごとに日を決めて、間の日はしっかり回復させる。

北村さんが教えてくれた、あの考え方そのものです。

正直、当時は聞き流しかけていた一言でした。それが今、40歳目前のなまりかけた体を、なんとか支える背骨になっている。毎日全部を欲張ってやろうとして挫折を繰り返した僕を、「部位を分ければいい」というシンプルな一言が、何度も救ってくれました。

面白いのは、この「部位ごとに日を決める」という考え方が、プロを目指す人のためだけの難しいテクニックではない、ということです。むしろ、時間のない社会人や、回復が遅くなってきた40代にこそ、優しい組み方なんです。今日やることが一つのテーマだけなら、短い時間で終わる。全部を毎日やらなくていい、という事実そのものが、続けられない人間にとっては救いになる。北村さんがくれたのは、体を大きくする方法であると同時に、無理なく続けるための知恵でもありました。

もちろん僕がやっているのは、プロのトレーニングを素人サイズにうんと縮めた、ささやかなものです。北村さんが積み上げたあの肉体とは、比べるのもおこがましい。でも、根っこにある考え方は、間違いなくあの夜にもらったものです。

不思議なものだと思います。

その人がこの世を去っても、教えてくれたことは、こうして誰かの生活の中で生き続ける。僕がスクワットをするたび、腕立てで胸を意識するたび、北村さんの大きな背中と、あの照れたような笑顔が、部屋の隅にそっと立っている気がするんです。

教えは、人が遺していくものなんだと思います。派手な言葉じゃなくていい。たった一言でも、受け取った側が続けていれば、それは静かに、でも確かに、次の時間へ運ばれていく。

最後に

きれいにまとめる言葉は、今日は探しません。

ただ、これだけは書き残しておきたい。

北村さん。あの夜は、不躾な質問に丁寧に答えてくださって、ありがとうございました。

教わったこと、ちゃんと続けています。これからも、マイペースに続けていきます。

いつか自分の体づくりに迷う日が来ても、あの一言を思い出せば、きっと大丈夫です。あなたが遺してくれた「各部位ごとに、日を決めて」を、僕はこの先も守っていきます。

本当に、ありがとうございました。🌱

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