【黒船列伝②】スタン・ハンセン|ウエスタンラリアットで日本を震わせた"不沈艦"
📖 この記事の目次
※本記事はプロモーションを含みます
「スタン・ハンセンって、ロープ振り回して叫んでた怖いおじさんでしょ?」
20代・30代の方なら、そんなふわっとした印象かもしれません。
カウボーイハットをかぶり、牛追いの太いロープを頭上でブンブン振り回しながら、「ウィー!」という雄叫びとともに入場してくる巨漢の外国人。古い映像で一瞬見たことがある——その程度の記憶かもしれません。
でも、彼はただ暴れていただけの人ではありません。
昭和のプロレス全盛期、テレビの前の子どもたちが「この人が出てきたら日本人が負けるかもしれない」と本気で震えた——。そんな“本物の恐怖”を体現できた外国人レスラーは、歴史上ほんの数人だけです。スタン・ハンセンは、まぎれもなくその一人でした。
新シリーズ「黒船列伝」の第二弾は、この男です。
「闘魂列伝」が日本のプロレスラーを追うシリーズなら、「黒船列伝」は海の向こうからやってきて日本のリングを揺らした“外敵”たちを追うシリーズ。第一弾の巨人アンドレ・ザ・ジャイアントに続く二人目として、これ以上ふさわしい“暴れ牛”はいません。
「プロレスを知らない世代」のあなたに、なぜハンセンが今でも語り継がれるのか、丁寧に翻訳してお伝えします。
📋 スタン・ハンセン プロフィール
まず基本データから。あなたの親世代にとっては、テレビの中の「いちばん怖い外国人」でした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| リングネーム | スタン・ハンセン |
| 本名 | ジョン・スタンリー・ハンセン2世(John Stanley Hansen II) |
| 生年月日 | 1949年8月29日 |
| 出身 | アメリカ・テキサス州(ノックスシティ) |
| 体格 | 公称身長190cm前後/体重130kg前後(諸説あり) |
| デビュー | 1973年、テキサス・アマリロ地区 |
| 代名詞の技 | ウェスタン・ラリアット(左腕の一撃) |
| 主な異名 | 「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」 |
| 日本での主戦場 | 新日本プロレス(1977〜81年)→ 全日本プロレス(1981/82年〜) |
| 名物 | ブルロープ(牛追いロープ)を振り回し「ウィー!」で入場 |
| 栄誉 | WWE殿堂入り(2016年) |
📝 ここがポイント:身長・体重は、あえて「公称」と書いています。プロレスの世界では選手の体格は興行上やや大きめに発表されるのが通例で、ハンセンの数字にも諸説あります。それでも「並外れて分厚く、力が強かった」ことは、当時の映像を見れば誰の目にも明らかです。
🏈 アメフト選手から「テキサスの暴れ牛」へ
教師くずれの男が、リングにたどり着いた
スタン・ハンセンは1949年、アメリカ・テキサス州の生まれです。
もともとはプロレスラー志望の少年ではありませんでした。ウエストテキサス州立大学を卒業後、いったんはアメリカンフットボールの世界を目指したと伝えられています。プロチームの門も叩いたものの、最終的にはその道で成功できず、故郷で中学校の教師をしていた時期もあったとされます。
サラリーマン的に言えば、「第一志望の業界で芽が出ず、いったん地元で堅実な職に就いた」——そんなスタート地点です。決してエリート街道まっしぐらの人ではありませんでした。
転機は、大学の先輩であり、のちにプロレス界の名門となるファンク一家のテリー・ファンクに誘われたこと。これをきっかけに、1973年、テキサスのアマリロ地区でプロレスラーとしてデビューします。
「自分にしかない武器」を見つけた男
最初から大スターだったわけではありません。
ハンセンの転機は、ウェスタン・ラリアットという技にたどり着いたことでした。左腕を相手の首元へ一直線に叩き込む、シンプルで豪快な一撃。これが彼の代名詞になります。
このラリアットには有名な逸話があります。ハンセン本人が「カウボーイが牛を投げ縄で一発で捕らえる、その様子からヒントを得た」と語っているのです(Number Web)。テキサスの男らしい、土の匂いのする発想でした。
技そのものはとても素朴です。でも、だからこそ誰が見ても「効いている」とわかる。プロレスを知らない人でも、あの一撃を喰らった相手が吹っ飛ぶ姿を見れば、説明なしで凄さが伝わる——。それがハンセンの強みでした。
🇯🇵 新日本プロレスでの大ブレイク|「不沈艦」の誕生
ハンセンの名前を日本中に轟かせたのは、新日本プロレスでした。
1977年に新日本へ本格参戦すると、当時のエースアントニオ猪木を相手に、一歩も引かない荒々しいファイトで観客を熱狂させます。日本人エースを本気で脅かす外国人——その存在感が、ハンセンを一気にトップ外国人レスラーへ押し上げました。
このとき、テレビ朝日の実況アナウンサーだった古舘伊知郎が彼に贈った異名が、「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」です。
📝 古舘実況って?
古舘伊知郎は、当時の新日本プロレス中継を担当していた名物アナウンサー。選手に強烈なキャッチフレーズをつける天才で、「ブレーキの壊れたダンプカー」もその一つ。何度ぶつけても止まらず、突っ込んでくる——ハンセンの暴走ファイトを一言で表した、今も語り継がれる名フレーズです。
「沈まない軍艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」——どちらも、何をしても止められないという恐怖を表しています。技術派というより、真正面から全力で突っ込んでくる怖さ。それがハンセンの魅力でした。
ちなみにハンセンといえば、牛追い用の太いロープ(ブルロープ)を頭上で振り回しながら、「ウィー!」という雄叫びとともに入場するスタイルでも有名です。あのロープと雄叫びを見ただけで、会場の空気が一変したと言われています。
🥊 アントニオ猪木との抗争|「0.1秒差のラリアット」
ハンセンを語るうえで外せないのが、アントニオ猪木との一連の抗争です。
新日本のリングで、猪木とハンセンは何度も激突しました。日本人エースの猪木に対し、止まらない暴走ファイターのハンセン——。この対決は、当時のファンにとって「日本 vs 黒船」の象徴のような一戦でした。
中でも語り草になっているのが、1980年9月25日・広島での一戦で生まれた「0.1秒差のラリアット」と呼ばれる場面です。
ハンセンが必殺のウェスタン・ラリアットを放とうとした、まさにその瞬間。猪木が先回りするようにラリアットを叩き込んだ——。ほんのコンマ数秒の差で攻防が入れ替わった、この劇的な“逆ラリアット”は、プロレス史に残る名場面として今も語られています(note・僕と新日本プロレスと)。
両者はNWFヘビー級王座をめぐっても何度もぶつかり合いました。1981年4月23日・蔵前国技館でのタイトル戦など、数々の名勝負を残しています。
📝 補足:猪木とハンセンの試合は、年月や舞台を変えて複数回行われています。その一つひとつが、日本のプロレス史に「止まらない外敵をどう攻略するか」というテーマを刻みました。猪木については【闘魂列伝⑭】アントニオ猪木の記事で詳しく書いています。
なお、ハンセン本人は後年、「アントニオ猪木と闘うことで有名になれた」という趣旨の感謝を口にしているとされます(Number Web)。激しく潰し合った相手こそが、自分を一流に育ててくれた——。リング上の“敵”が、キャリアの恩人でもあったわけです。
🔄 全日本プロレスへの電撃移籍|「ビジネスだから」
そんなハンセンの代名詞となる出来事が、全日本プロレスへの電撃移籍でした。
1981年12月、全日本プロレスの年末の名物興行「世界最強タッグ決定リーグ戦」の最終戦。蔵前国技館のリングに、新日本の主力だったはずのハンセンが突然、乱入してきたのです。会場は騒然となりました。これが、ハンセンの全日本移籍を告げる衝撃のデビューでした。
当時のプロレス界は、新日本(猪木)と全日本(馬場)が、有力選手を引き抜き合う“仁義なき戦い”の真っ最中。ハンセンの移籍は、その引き抜き合戦のなかでも飛び抜けて大きな“事件”でした。
ハンセン本人は後年、この移籍の理由について「あくまでビジネスとして移籍しただけ」「猪木が嫌いだったわけではない」という趣旨を語っているとされます(BBMスポーツ・週刊プロレス)。恨みでも喧嘩でもなく、プロとしての選択だった、というわけです。
馬場って誰?
ジャイアント馬場は、力道山の弟子で、全日本プロレスを創設した日本プロレス界の大巨人。アントニオ猪木と並んで「昭和プロレスの二大巨頭」と語られる存在です。新日本の猪木と、全日本の馬場——この二人が選手を奪い合っていた時代の“目玉商品”が、スタン・ハンセンだったのです。
移籍にあたり、馬場はハンセンに「そのファイトスタイルのまま、うちのリングを変えてくれ」という趣旨の言葉をかけたと伝えられています。荒々しさを矯正するのではなく、その個性ごと迎え入れた。ここに、馬場の懐の深さがありました。
📺 動画で観る(公式)
📺 スタン・ハンセン ウエスタンラリアット特集(日本テレビ公式プロレスアーカイブ)
🐂 ブルーザー・ブロディとの「最強タッグ」|超獣コンビ
全日本に来たハンセンが組んだ伝説のタッグが、ブルーザー・ブロディとの“超獣コンビ”です。
ブルーザー・ブロディもまた、毛皮をまといチェーンを振り回す、規格外の暴れん坊の外国人。止まらない者同士が手を組んだこのタッグは、まさに災害級でした。
二人は全日本の年末の祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」で激突を繰り返し、1983年大会で優勝を果たしています(全日本プロレス公式・世界最強タッグ決定リーグ戦)。最終戦で当時の日本人エースコンビ「鶴龍」を相手に勝利した一戦は、語り草になっています。
“暴れ牛”ハンセンと“超獣”ブロディ——。この二人がリングに並ぶだけで、会場全体が「何かとんでもないことが起きる」という緊張に包まれました。怖いもの見たさで、人々はチケットを買ったのです。
👓 「ブレーキが壊れていた」もう一つの理由
ハンセンを語るとき、ファンの間で必ず話題になる逸話があります。それは、彼が極度の近視だったという話です。
複数のレスラーや関係者の証言として、「リング上で相手がよく見えていなかった」「だからこそ手当たり次第に全力で技を放っていた」という趣旨が語られています(Wikipedia・スタン・ハンセン)。
入場時にブルロープを振り回していたら客席の観客に当たってしまい、後でハンセンが小声で「ソーリー、ソーリー」と謝っていた——。そんなエピソードも伝わっています。
ただし、ここは断定を避けたいところです。「視力が悪いから暴走していた」という話は、彼の荒々しいファイトを面白く説明する“伝説”として広まった面もあり、どこまでが実情かは諸説あります。
確かなのは、ハンセンが「加減をしない、全力でぶつかる」レスラーだったこと。その全力さが、見ている人に本物の迫力として伝わり、愛されたのです。リング外では倹約家で知的な紳士だったとも言われ、リング上の暴れん坊との落差もまた、彼の魅力でした。
💼 サラリーマンがハンセンから学ぶ3つの教訓
破天荒な“暴れ牛”の人生にも、現代のサラリーマンに刺さる教訓が詰まっています。
教訓①:「たった一つの武器」を磨き抜く
ハンセンの代名詞は、複雑なテクニックではありませんでした。ウェスタン・ラリアット、ただ一つです。
左腕を叩き込む、それだけ。でも、その一発を誰よりも強く、誰よりも説得力のある形まで磨き上げたからこそ、彼は伝説になりました。
サラリーマンの世界も同じです。あれもこれも中途半端にできる人より、「この一点なら誰にも負けない」という武器を一つ持つ人のほうが、最後は強い。
その武器は、特定分野の知識でも、資格でも、社外での発信でも構いません。「会社の看板を外しても残る、自分だけの一撃」を一つ磨くこと。それが長く戦うための土台になります。
ココナラで自分のスキルを売ってみる、ブログを書く、SNSで発信する——どれも「自分だけのラリアット」を世の中に試す第一歩です。
教訓②:「転職は、恨みではなくビジネスで」
ハンセンは、新日本から全日本へ電撃移籍しました。そして本人は、その理由を「あくまでビジネス」と語ったとされます。
ここがプロです。前の職場への恨みや感情で動いたのではなく、自分の価値を最大化できる場所を、冷静に選んだ。そして移籍後も、古巣を悪く言うのではなく、新天地で全力を尽くしました。
サラリーマンに翻訳すれば、「辞めるときも、円満に、プロとして」。前の会社への不満をぶちまけて去るのではなく、淡々と次の舞台で結果を出す。立つ鳥跡を濁さずを実践できる人は、業界のどこへ行っても信頼されます。
感情ではなく、自分の市場価値で動く。これは、終身雇用が当たり前でなくなった今の時代こそ、効いてくる考え方です。
教訓③:「全力さは、加減上手より人を動かす」
ハンセンは、器用なレスラーではありませんでした。でも、いつも全力でした。手を抜かない、加減しない——その姿勢が、見ている人の心を掴んだのです。
サラリーマンの世界では、つい「うまく立ち回ること」が評価されがちです。でも本当に人の心を動かすのは、計算された器用さより、不器用でも全力で向き合う姿勢だったりします。
もちろん、健康あっての全力です。ハンセンが長く第一線に立てたのも、頑丈な体という土台があったから。健康は、いちばん地味で、いちばん大事な資産です。
そして健康と並ぶもう一つの土台が「お金の備え」。体を張る仕事ほど、もしものときの蓄えが効いてきます。
ウッシのおすすめは、現役のうちにコツコツ資産形成。新NISAはサラリーマンが使える心強い制度です。
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⚠️ 投資リスク注意:投資には元本割れリスクがあります。少額から、長期分散投資が基本。生活防衛資金を確保した上で、無理のない範囲で始めてください。
📺 ハンセンの試合を「今」観る方法
ハンセンの試合や名場面を観たくなった方のための視聴ガイド。
| サービス | 月額 | ハンセン関連 | おすすめ度 |
|---|---|---|---|
| YouTube(公式) | 無料 | ラリアット集・名勝負ハイライト多数 | ⭐⭐⭐⭐⭐ |
| ABEMA | 1,180円(プレミアム) | プロレス関連番組・現代の主要興行を生中継 | ⭐⭐⭐⭐ |
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まずはYouTubeで「ハンセン ラリアット」と検索してみてください。相手が一撃で吹っ飛ぶあの映像は、約40年前のものでも、なぜこれが伝説なのかが一瞬で伝わります。そこから「昔のプロレスってこんなに面白いのか」と気づいたら、有料サービスで深掘りしていくのがおすすめです。
猪木との一連の抗争を映像で追いたいなら、新日本プロレスワールドにアーカイブが残っています。
詳しい配信比較はプロレスはどこで観る?DAZN・ABEMA・新日本ワールドを徹底比較もご参考にどうぞ。
技そのものをもっと知りたい方は、プロレス技 一覧【図解】ジャンル別に全技を徹底解説でウェスタン・ラリアットも解説しています。
❓ スタン・ハンセンに関するよくある質問
Q1. スタン・ハンセンは何が凄かったの?
A. 「止まらない全力さ」です。技術で魅せるタイプではなく、何をしても止められない真正面からの突進で、日本人エースを本気で脅かしました。「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」という異名は、その止められない怖さを言い表したものです。
Q2. 代名詞の技は何?
A. ウェスタン・ラリアットです。左腕を相手の首元に一直線に叩き込む豪快な技で、ハンセン本人は「カウボーイが牛を投げ縄で捕らえる様子からヒントを得た」と語っているとされます。技の解説はプロレス技 一覧【図解】もどうぞ。
Q3. 「ウィー!」とロープって何なの?
A. ハンセンの入場スタイルです。牛追い用の太いロープ(ブルロープ)を頭上で振り回しながら、「ウィー!」という雄叫びとともに登場するのが名物でした。テキサスのカウボーイらしい演出で、これを見ただけで会場の空気が一変したと言われています。
Q4. なぜ新日本から全日本に移ったの?
A. 1981年末、全日本の年末興行に突然乱入する形で全日本へ移籍しました。当時は新日本(猪木)と全日本(馬場)が有力選手を奪い合っていた時代で、ハンセンの移籍は最大級の“事件”でした。本人は理由を「あくまでビジネス」と語ったとされています。
Q5. ハンセンは今どうしているの?
A. 2000年の試合を最後に引退しています(2001年1月に東京ドームで引退セレモニーが行われました)。引退試合は行わず、「強いスタン・ハンセンのイメージのまま引退したかった」という理由だったと伝えられています。そして2016年にはWWE殿堂入りを果たしました。アメリカの本場でも、その功績がきちんと評価されたということです。
📝 まとめ:スタン・ハンセンは「止まらない暴れ牛」
- ✅ 本名ジョン・スタンリー・ハンセン2世。1949年、アメリカ・テキサス州生まれ
- ✅ アメフトを志すも芽が出ず、教師を経てプロレス入り
- ✅ 代名詞はウェスタン・ラリアット(牛の投げ縄から発想)
- ✅ 異名は「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」
- ✅ 新日本でアントニオ猪木と抗争し、トップ外国人に
- ✅ 「0.1秒差のラリアット」など、猪木との名勝負を残す
- ✅ 1981年末、全日本プロレスへ電撃移籍(本人いわく「ビジネス」)
- ✅ ブルーザー・ブロディと「超獣コンビ」を結成、最強タッグ優勝
- ✅ ブルロープと「ウィー!」の雄叫びで入場する名物スタイル
- ✅ 2000年の試合を最後に引退、2016年WWE殿堂入り
ハンセンは、ただ暴れていただけの人ではありません。「たった一つの武器を全力で磨き抜く」という、とても真っ直ぐな生き方でリングに立ち続けた一人のプロでした。リング外では倹約家の紳士だったという落差も含めて、人間味のある“黒船”でした。
海の向こうから来て、日本のリングを真正面から揺らした“暴れ牛”——。アンドレという巨人に続き、二人目の黒船として、私はこの男をどうしても書きたかったのです。
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📚 参考・出典
本記事は、以下の公式サイト・報道などを参考に作成しています(2026年6月時点)。曖昧な点や諸説ある事項は、断定を避けて記載しています。
- Wikipedia「スタン・ハンセン」 — 本名・生涯・経歴・異名・引退・近視の逸話
- 全日本プロレス公式サイト・世界最強タッグ決定リーグ戦 — ブロディとの超獣コンビ・優勝歴
- Number Web — ラリアット誕生の逸話・猪木への感謝
- BBMスポーツ(週刊プロレス) — 全日本移籍の経緯「ビジネスだから」
- 新日本プロレスワールド — 猪木戦などのアーカイブ
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⚠️ 注意:プロレス技は専門訓練を受けた選手が安全管理下で行うものです。一般の方は絶対に真似しないでください。
📺 黒船列伝シリーズ 第2回
二人目の黒船は、テキサスからやってきた“暴れ牛”スタン・ハンセンでした。次回は、また別の次なる黒船——海の向こうから日本のリングを揺らしにきた“外敵”を取り上げる予定です。誰が登場するかは、どうぞお楽しみに。
それでは、また次回。営業部長のウッシでした。マイペースにいきましょう!🐄